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今京都 八瀬赦免地踊 2011/10/11 12:00 am
八瀬赦免地踊
赦免地(しゃめんち)とは、年貢や諸役が免除された土地のことで、八瀬は後醍醐天皇により永代の赦免地に定められた。しかし、18世紀初頭、比叡山と赦免の権利を争い、その際、八瀬の権利を守った老中秋元但馬守に感謝してはじまったのが、八瀬赦免地踊(やせしゃめんちおどり)だという。
午後8時、着物姿の女装した燈籠着(とろぎ)と呼ばれる少年8人が、武者や鳥の絵が描かれた高さ70cmの紙の燈籠を頭に乗せ、警固(けご)にともなわれて八瀬小学校が秋元神社まで約500mを練り歩く。闇夜に燈籠の光が浮きあがり幻想的な風景だという。

この三連休はあちこちで地元の鎮守の神様のお祭りや運動会が多かったようだ。天気も安定した暖かさ絶好の行楽日和。そんな中での仕事だった三連休。休みの日は休みとして過ごしたいものだ…という『きょうの京都』の今京都。

赦免地(しゃめんち)とは、年貢や諸役が免除された土地のことで、八瀬は後醍醐天皇により永代の赦免地に定められた。しかし、18世紀初頭、比叡山と赦免の権利を争い、その際、八瀬の権利を守った老中秋元但馬守に感謝してはじまったのが、八瀬赦免地踊(やせしゃめんちおどり)だという。
午後8時、着物姿の女装した燈籠着(とろぎ)と呼ばれる少年8人が、武者や鳥の絵が描かれた高さ70cmの紙の燈籠を頭に乗せ、警固(けご)にともなわれて八瀬小学校が秋元神社まで約500mを練り歩く。闇夜に燈籠の光が浮きあがり幻想的な風景だという。

この三連休はあちこちで地元の鎮守の神様のお祭りや運動会が多かったようだ。天気も安定した暖かさ絶好の行楽日和。そんな中での仕事だった三連休。休みの日は休みとして過ごしたいものだ…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 曝涼 2011/10/10 12:00 am
曝涼
曝涼(ばくりょう)とは、秋の天気のよい日に衣類や書籍、茶道具などに風を通すことで、虫干しのこと。奈良国立博物館で毎年10月下旬から開かれる「正倉院展」も、曝涼の一環ともされている。
大徳寺では、10月第二日曜日、というから昨日であるが、曝涼を行い、本坊で寺宝を公開している。中国の南宋から元の時代に活躍した禅僧もっけい筆の「観音猿鶴図」(国宝)や、狩野探幽筆の襖絵(重要文化財)などが鑑賞できる。ただし、雨が降れば中止となる。1年に1日だけの公開なので、曝涼の日をはずさずに出かけたい。と記載したいが、きのうのことなので一年後となってしまう。

今回の内容は、『きょうの京都』とは言いがたいものになってしまった。深く反省しなければならないが、そのあたりは愛嬌ということで堪忍してもらいたい…という『きょうの京都』の今京都。

曝涼(ばくりょう)とは、秋の天気のよい日に衣類や書籍、茶道具などに風を通すことで、虫干しのこと。奈良国立博物館で毎年10月下旬から開かれる「正倉院展」も、曝涼の一環ともされている。
大徳寺では、10月第二日曜日、というから昨日であるが、曝涼を行い、本坊で寺宝を公開している。中国の南宋から元の時代に活躍した禅僧もっけい筆の「観音猿鶴図」(国宝)や、狩野探幽筆の襖絵(重要文化財)などが鑑賞できる。ただし、雨が降れば中止となる。1年に1日だけの公開なので、曝涼の日をはずさずに出かけたい。と記載したいが、きのうのことなので一年後となってしまう。

今回の内容は、『きょうの京都』とは言いがたいものになってしまった。深く反省しなければならないが、そのあたりは愛嬌ということで堪忍してもらいたい…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 長岡天満宮例祭 2011/10/09 12:00 am
長岡天満宮例祭
9日に例祭がおこなわれる長岡天満宮の祭神は菅原道真である。この長岡京の地は、もとは桓武天皇が平城京から遷した都があったところで、道真が在原業平たち宮廷貴族と詩歌管弦の宴をもよおし、また道真が太宰府へ赴く前に立ち寄り、名残を惜しんだという。903(延喜3)年に道真が太宰府で亡くなったのち、その縁により、道真が刻んだ木像を御神体として祀ったのが当社のはじまりと伝わっている。
江戸時代に八条宮家の所領となり、1638(寛永15)年に八条宮智仁親王により灌漑用溜池として造られた周囲約1kmの「八条ケ池」の景観がすばらしい。

京都は菅原道真のゆかりの地が多い。当然と言えば当然であろうが、気になるのは京都以外にもゆかりの地が多いということだ。全国でどれくらいあるのだろうか。菅原道真公だらけになるのではないかと予想するほどの偉人であろう。また、日本でこれほどまでに名を馳せた人もいないのではないだろうか…という『きょうの京都』の今京都。

9日に例祭がおこなわれる長岡天満宮の祭神は菅原道真である。この長岡京の地は、もとは桓武天皇が平城京から遷した都があったところで、道真が在原業平たち宮廷貴族と詩歌管弦の宴をもよおし、また道真が太宰府へ赴く前に立ち寄り、名残を惜しんだという。903(延喜3)年に道真が太宰府で亡くなったのち、その縁により、道真が刻んだ木像を御神体として祀ったのが当社のはじまりと伝わっている。
江戸時代に八条宮家の所領となり、1638(寛永15)年に八条宮智仁親王により灌漑用溜池として造られた周囲約1kmの「八条ケ池」の景観がすばらしい。

京都は菅原道真のゆかりの地が多い。当然と言えば当然であろうが、気になるのは京都以外にもゆかりの地が多いということだ。全国でどれくらいあるのだろうか。菅原道真公だらけになるのではないかと予想するほどの偉人であろう。また、日本でこれほどまでに名を馳せた人もいないのではないだろうか…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 今宮神社例大祭 2011/10/08 12:00 am
今宮神社例大祭
4月の「やすらい祭」で有名な今宮神社の摂社疫神社の祭神が、同社に鎮座した日にちなむ例大祭である。
8日は前夜祭にあたり、午後7時から「人長(じんちょう)の舞」が奉納される。人長とは、神楽の舞人の長のことである。境内の電気が消され、本殿と拝殿の間に篝火が焚かれるなか、鏡を模した白い輪を下げた採物(とりもの・人長が舞うときにもつ杖のようなもの)をもって舞われる。
翌9日の例大祭では、午前10時から「東遊(あずまあそび)」が奉納される。

今宮神社は京都市北区にある神社で、神社の東側で売られている「あぶり餅」が有名である。この「あぶり餅」は京都名物の一つでもある。現在、「一和」と「かざりや」という2件の茶屋があり、「一和」は創業1000年以上、「かざりや」は400年以上の老舗だ。「あぶり餅」は、一口サイズの餅に、きな粉をまぶして竹串にさし、炭火であぶり、仕上げに白味噌のタレをつけたもの。江戸時代にコレラが大流行した時に、今宮神社に「あぶり餅」を奉納したところ、コレラが治ったという逸話もあり、疫病よけとされている。また、一休が、餅に味噌を塗って食べたことがルーツとも言われている。京都にお越しの際には、是非、食べてみて欲しい一品だと思う…という『きょうの京都』の今京都。

4月の「やすらい祭」で有名な今宮神社の摂社疫神社の祭神が、同社に鎮座した日にちなむ例大祭である。
8日は前夜祭にあたり、午後7時から「人長(じんちょう)の舞」が奉納される。人長とは、神楽の舞人の長のことである。境内の電気が消され、本殿と拝殿の間に篝火が焚かれるなか、鏡を模した白い輪を下げた採物(とりもの・人長が舞うときにもつ杖のようなもの)をもって舞われる。
翌9日の例大祭では、午前10時から「東遊(あずまあそび)」が奉納される。

今宮神社は京都市北区にある神社で、神社の東側で売られている「あぶり餅」が有名である。この「あぶり餅」は京都名物の一つでもある。現在、「一和」と「かざりや」という2件の茶屋があり、「一和」は創業1000年以上、「かざりや」は400年以上の老舗だ。「あぶり餅」は、一口サイズの餅に、きな粉をまぶして竹串にさし、炭火であぶり、仕上げに白味噌のタレをつけたもの。江戸時代にコレラが大流行した時に、今宮神社に「あぶり餅」を奉納したところ、コレラが治ったという逸話もあり、疫病よけとされている。また、一休が、餅に味噌を塗って食べたことがルーツとも言われている。京都にお越しの際には、是非、食べてみて欲しい一品だと思う…という『きょうの京都』の今京都。


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今京都 高盛御供 2011/10/07 12:00 am
高盛御供
味噌を接着剤代わりに小芋や大根なますを円錐形に盛って筆柿やサツマイモで飾りつけたものや、炊きたてのご飯を竹の型にはめこみ縄でしばった盛相(もっそう)などが台におかれる。それを、黒い小袖に柴の丸帯、ハンノキで染めた橙色の三幅の前垂れをつけた女性が頭にのせて神前まで運び、五穀豊穣を祈る。

この「高盛御供(たかもりごく)」は、古代の神饌のようすを伝えるという。高盛御供は北白川天神宮で行われる。北白川天神宮は、地区の産土神として信仰をあつめ、八世紀前半の創建と伝わっているという。
この高盛御供は、体育の日の一週間前の日曜日に行われるというから、今年は10月2日だったのか。そうだとしたら、タイムリーではない話題に恥ずかしい限りだ…という『きょうの京都』の今京都。

味噌を接着剤代わりに小芋や大根なますを円錐形に盛って筆柿やサツマイモで飾りつけたものや、炊きたてのご飯を竹の型にはめこみ縄でしばった盛相(もっそう)などが台におかれる。それを、黒い小袖に柴の丸帯、ハンノキで染めた橙色の三幅の前垂れをつけた女性が頭にのせて神前まで運び、五穀豊穣を祈る。

この「高盛御供(たかもりごく)」は、古代の神饌のようすを伝えるという。高盛御供は北白川天神宮で行われる。北白川天神宮は、地区の産土神として信仰をあつめ、八世紀前半の創建と伝わっているという。
この高盛御供は、体育の日の一週間前の日曜日に行われるというから、今年は10月2日だったのか。そうだとしたら、タイムリーではない話題に恥ずかしい限りだ…という『きょうの京都』の今京都。

