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おやかまっさん 窓 2015/04/06 12:00 am
1冊の本と出会った。本のタイトルは『こちらゆかいな窓ふき会社』。

この本の中で、窓を拭くのは愉快な動物。キリン、ペリカン、サルが大活躍する。
高層ビルが立ち並ぶ街中で見かける窓の清掃員。命綱となるロープやワイヤーで吊るされた状態で作業している様子は、高所恐怖症でなくても見ているだけで足がすくむ。そんな仕事を人間以外の動物が行うとしたら……。この本は、そんな空想から始まったのかもしれない。
この読み物で窓の清掃員として活躍するのは、キリン、ペリカン、サル。
キリンは長い首を伸ばして高い所にある窓に近づき、ペリカンは長いくちばしを使って水を汲み上げ、サルはキリンによじ登り、ペリカンのくちばしの水を使って窓を磨く。
それぞれの動物が特技を生かして窓をきれいにする彼らの会社の名前は、「はしご不用窓ふき会社」。はしごを使わずに清掃するのが、彼らのセールスポイント。さらに彼らには、それぞれ普通の動物とは違った不思議な特徴を駆使して大活躍。この3匹に、縁あって知り合ったビリーという少年も仲間に加わり、協力して仕事をこなしていく痛快な物語。
この読み物の原作者は、映画化もされ話題となった「チョコレート工場の秘密」の著者、ロアルド・ダール氏。独特のファンタスティックでコミカルな世界観は、この「こちらゆかいな窓ふき会社」にも見て取れる。「チョコレート工場の秘密」のように、お菓子もたくさん登場。ロアルド氏自身も、少年時代からお菓子が好きだったということだ。
また、軽妙で温かみのある挿絵を描いているのはクェンティン・ブレイク氏。絵本作家としても有名だが、ロアルド氏の作品でこうしてイラストを描くこともたびたびあった。たびたび登場する窓のビジュアルも独特で、三階建ての大きな窓から動物たちが身体を乗り出している様子はこの本の楽しさを象徴しているようだ。
この本はユニークな絵が多く登場しつつ読み応えもあり、幅広い世代が楽しめる1冊となっているのでは…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
【参考】『こちらゆかいな窓ふき会社』(作/ロアルド・ダール 訳/清水奈緒子 絵/クェンティン・ブレイク 評論社刊 2005年)



この本の中で、窓を拭くのは愉快な動物。キリン、ペリカン、サルが大活躍する。
高層ビルが立ち並ぶ街中で見かける窓の清掃員。命綱となるロープやワイヤーで吊るされた状態で作業している様子は、高所恐怖症でなくても見ているだけで足がすくむ。そんな仕事を人間以外の動物が行うとしたら……。この本は、そんな空想から始まったのかもしれない。
この読み物で窓の清掃員として活躍するのは、キリン、ペリカン、サル。
キリンは長い首を伸ばして高い所にある窓に近づき、ペリカンは長いくちばしを使って水を汲み上げ、サルはキリンによじ登り、ペリカンのくちばしの水を使って窓を磨く。
それぞれの動物が特技を生かして窓をきれいにする彼らの会社の名前は、「はしご不用窓ふき会社」。はしごを使わずに清掃するのが、彼らのセールスポイント。さらに彼らには、それぞれ普通の動物とは違った不思議な特徴を駆使して大活躍。この3匹に、縁あって知り合ったビリーという少年も仲間に加わり、協力して仕事をこなしていく痛快な物語。
この読み物の原作者は、映画化もされ話題となった「チョコレート工場の秘密」の著者、ロアルド・ダール氏。独特のファンタスティックでコミカルな世界観は、この「こちらゆかいな窓ふき会社」にも見て取れる。「チョコレート工場の秘密」のように、お菓子もたくさん登場。ロアルド氏自身も、少年時代からお菓子が好きだったということだ。
また、軽妙で温かみのある挿絵を描いているのはクェンティン・ブレイク氏。絵本作家としても有名だが、ロアルド氏の作品でこうしてイラストを描くこともたびたびあった。たびたび登場する窓のビジュアルも独特で、三階建ての大きな窓から動物たちが身体を乗り出している様子はこの本の楽しさを象徴しているようだ。
この本はユニークな絵が多く登場しつつ読み応えもあり、幅広い世代が楽しめる1冊となっているのでは…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
【参考】『こちらゆかいな窓ふき会社』(作/ロアルド・ダール 訳/清水奈緒子 絵/クェンティン・ブレイク 評論社刊 2005年)





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おやかまっさん 履けるかな 2015/04/03 12:00 am

赤いヒール。
高い! 値段の話ではなく、ヒールの高さ。
ぜーったい、無理。
足をくじくのがオチだ。
「今京都」は町撮りができていないので、まだ更新は無理。
「天を仰いで思うこと」や「おやかまっさん」は思うままに掲載すればよい。
さて、のんびりと更新していこう…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。




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天を仰いで思うこと 再開 2015/03/26 12:00 am
再開
随分と放置していたこのブログ。
「今京都」と「天を仰いで思うこと」の両方を再開しようと思っている。
毎日更新は無理だとしても、
その日その日に感じたことなどを綴っていければ…な。
それと、以前に「写真・ブログ」を通じて知り合った人たちのブログも訪問しよう。
4月から再開だ…と、天を仰いで思うこと。


随分と放置していたこのブログ。
「今京都」と「天を仰いで思うこと」の両方を再開しようと思っている。
毎日更新は無理だとしても、
その日その日に感じたことなどを綴っていければ…な。
それと、以前に「写真・ブログ」を通じて知り合った人たちのブログも訪問しよう。
4月から再開だ…と、天を仰いで思うこと。





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天を仰いで思うこと 天気予報 2013/03/28 12:00 am
天気予報
日常生活でもっとも馴染みの深い確率といえば天気予報だ。あてにならないと言いながらも、天気予報から情報を得ている。降水確率0%と言われれば、誰だって傘を持っていかないものだ。しかし、実は降水確率0%でも、絶対に雨が降らないという訳ではない。
降水確率とは、過去の気象データと比較して、今後一定の時間内に1mm以上の雨または雪がどのくらいの割合で降るかを表したものだ。つまり統計的確率。
例えば、明日の午前6時から正午までの予報の場合、その時間帯に予想される気象条件と同じような過去の気象データを探して、当時、雨が降ったかを調べ、同様の気象データのうちで雨が降った割合を求めたものだ。過去の実績で100回中60回降っていれば、降水確率60%となる。降水確率60%とは、こうした確率予報が出された日が100回あったとすると、そのうちのだいたい60回は1mm以上の雨が降るだろうという意味。
ここでの盲点は、1%の位が四捨五入されて10%刻みの分類とされている、ことだ。過去の実績が0〜4%なら降水確率は四捨五入されて0%となる。5〜14%は10%、15〜24%は20%・・・となる。降水確率0%と発表されても最大で4%が含まれることになり、100回のうち4回は1mm以上の雨が降ってもおかしくないということになる。
さらに、注意したいことは「1時間あたり1mmの雨」である。1mmといってもこちらは切り捨て表示なので、1.0mm〜1.9mmが1mmとなるということ。1.9mmは「傘がないとあかん」と誰もが判断する雨量である。
もうひとつ、時間との兼ね合いだ。観測時間の最初の30分間に1.8mmの雨が降って、その後止んだ場合、1時間で換算すると0.9mmとなり、記録としては「降水」とはならない。だから降水確率0%でも雨が降らないのではなく、記録上「降水」とならない降水はあり得るということだ。
統計データの取り方の問題なので、「天気予報が外れた!」と怒っては、気象庁や気象予報士がかわいそうだ…と、天を仰いで思うこと。


日常生活でもっとも馴染みの深い確率といえば天気予報だ。あてにならないと言いながらも、天気予報から情報を得ている。降水確率0%と言われれば、誰だって傘を持っていかないものだ。しかし、実は降水確率0%でも、絶対に雨が降らないという訳ではない。
降水確率とは、過去の気象データと比較して、今後一定の時間内に1mm以上の雨または雪がどのくらいの割合で降るかを表したものだ。つまり統計的確率。
例えば、明日の午前6時から正午までの予報の場合、その時間帯に予想される気象条件と同じような過去の気象データを探して、当時、雨が降ったかを調べ、同様の気象データのうちで雨が降った割合を求めたものだ。過去の実績で100回中60回降っていれば、降水確率60%となる。降水確率60%とは、こうした確率予報が出された日が100回あったとすると、そのうちのだいたい60回は1mm以上の雨が降るだろうという意味。
ここでの盲点は、1%の位が四捨五入されて10%刻みの分類とされている、ことだ。過去の実績が0〜4%なら降水確率は四捨五入されて0%となる。5〜14%は10%、15〜24%は20%・・・となる。降水確率0%と発表されても最大で4%が含まれることになり、100回のうち4回は1mm以上の雨が降ってもおかしくないということになる。
さらに、注意したいことは「1時間あたり1mmの雨」である。1mmといってもこちらは切り捨て表示なので、1.0mm〜1.9mmが1mmとなるということ。1.9mmは「傘がないとあかん」と誰もが判断する雨量である。
もうひとつ、時間との兼ね合いだ。観測時間の最初の30分間に1.8mmの雨が降って、その後止んだ場合、1時間で換算すると0.9mmとなり、記録としては「降水」とはならない。だから降水確率0%でも雨が降らないのではなく、記録上「降水」とならない降水はあり得るということだ。
統計データの取り方の問題なので、「天気予報が外れた!」と怒っては、気象庁や気象予報士がかわいそうだ…と、天を仰いで思うこと。



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天を仰いで思うこと あきらめない 2012/08/19 12:00 am
あきらめない
ロンドンで義足ランナーとして初めて五輪に参加し、400mに出た南アフリカのオスカー・ピストリウス選手(25)のこと。
準決勝で敗れはしたが、同走の選手が敬意の印にゼッケンの交換を求めてきた。
両すねの骨を欠いて生まれ、程なく膝から下を切断。
「私の義足は靴と同じ」
10代から短距離を磨き、北京パラリンピックでは敵なし。
称賛の一方で、義足は加速装置ではないのか、といった批判もくすぶる。
「道具によるドーピング」の声に抗し、出場規定のハードルを幾つも越え、たどり着いたのがロンドン。
「オスカー、敗者とは最後にゴールする人じゃない。はなから出場を諦めちゃう人を言うんだよ。」
同選手の10年前に亡くなった母親の言葉が紹介された。
とても心に響く。
偉大な選手を育てる偉大な母。当然、当人たちは「偉大」と自負している訳ではあるまい。
しかし、偉大な選手(人物)の傍にいる人々の何気ない一言が、なんとなく普通ではないような気がする。
こういうところに人生の教訓があり、日常的に心に「あきらめない」ことが刻み込まれているのだろう。
「できない」と何もしないのではなく、「できないかも」でも何かをすることが重要である。
元気をもらった言葉に約半年ぶりの更新となった…と、天を仰いで思うこと。


ロンドンで義足ランナーとして初めて五輪に参加し、400mに出た南アフリカのオスカー・ピストリウス選手(25)のこと。
準決勝で敗れはしたが、同走の選手が敬意の印にゼッケンの交換を求めてきた。
両すねの骨を欠いて生まれ、程なく膝から下を切断。
「私の義足は靴と同じ」
10代から短距離を磨き、北京パラリンピックでは敵なし。
称賛の一方で、義足は加速装置ではないのか、といった批判もくすぶる。
「道具によるドーピング」の声に抗し、出場規定のハードルを幾つも越え、たどり着いたのがロンドン。
「オスカー、敗者とは最後にゴールする人じゃない。はなから出場を諦めちゃう人を言うんだよ。」
同選手の10年前に亡くなった母親の言葉が紹介された。
とても心に響く。
偉大な選手を育てる偉大な母。当然、当人たちは「偉大」と自負している訳ではあるまい。
しかし、偉大な選手(人物)の傍にいる人々の何気ない一言が、なんとなく普通ではないような気がする。
こういうところに人生の教訓があり、日常的に心に「あきらめない」ことが刻み込まれているのだろう。
「できない」と何もしないのではなく、「できないかも」でも何かをすることが重要である。
元気をもらった言葉に約半年ぶりの更新となった…と、天を仰いで思うこと。


