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おやかまっさん さまざま 2016/02/16 12:00 am
文章やしゃべり言葉でよく使用される「さまざま」。これも大和言葉がある。四方山(よもやま)だ。色々、たくさんという意味である。このブログのカテゴリ「おやかまっさん」は四方山話つづり。この「四方山」実は、『太平記』巻第五「大塔宮熊野落事」に次のようにある。
御供の人々、上には其気色を不顕といへ共、下には皆悦思へる事無限。角て十余日を過させ給けるに、或夜家主の兵衛尉、客殿に出て薪などせさせ、四方山(よもやま)の物語共しける次に申けるは、「旁は定て聞及ばせ給たる事も候覧。
原文の訳は、文献などに任せるとして、「四方山(よもやま)の物語共しける…」は、「さまざまの話などをしたその折に」となる。四方山という字面はあまり好きではないが、「よもやま」という響きは好きだ…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

御供の人々、上には其気色を不顕といへ共、下には皆悦思へる事無限。角て十余日を過させ給けるに、或夜家主の兵衛尉、客殿に出て薪などせさせ、四方山(よもやま)の物語共しける次に申けるは、「旁は定て聞及ばせ給たる事も候覧。
原文の訳は、文献などに任せるとして、「四方山(よもやま)の物語共しける…」は、「さまざまの話などをしたその折に」となる。四方山という字面はあまり好きではないが、「よもやま」という響きは好きだ…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

なるほど! 「四方山話はおやかまっさん」がわかった気がする
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◆◆なう バブル 2016/02/15 12:00 am
バブル経済やバブル景気などで使われる「バブル」。カタカナなので当然「外来語」である。これを大和言葉では何というか。
泡沫(うたかた)である。水に浮く泡を指し、そこから、はかなく消えやすいものに対する表現となった。古くは『方丈記』にその記述がある。どこにあるかって? 冒頭の部分だよ。みんなが暗記しているであろう「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の次だ。「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」。そして「世中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし」と続く。
意味は、「川の流れは、とどまる事はない。しかも、流れる水は同じ水ではない。水の淀みに浮かぶ泡沫(うたたか)は、消えてはまた現れ、永遠にそこに存在するものではない。人の世の中も同じようなもので、富貴名誉享楽とかいったものは、その場限りのものである」と、まぁ、多少、意訳したが、一言でいうならば、「万物は常に変化し続け、変わらないものはない」という意味だ…という神戸なう。

《神戸》
泡沫(うたかた)である。水に浮く泡を指し、そこから、はかなく消えやすいものに対する表現となった。古くは『方丈記』にその記述がある。どこにあるかって? 冒頭の部分だよ。みんなが暗記しているであろう「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の次だ。「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」。そして「世中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし」と続く。
意味は、「川の流れは、とどまる事はない。しかも、流れる水は同じ水ではない。水の淀みに浮かぶ泡沫(うたたか)は、消えてはまた現れ、永遠にそこに存在するものではない。人の世の中も同じようなもので、富貴名誉享楽とかいったものは、その場限りのものである」と、まぁ、多少、意訳したが、一言でいうならば、「万物は常に変化し続け、変わらないものはない」という意味だ…という神戸なう。

《神戸》
ふ〜ん、「もとの水にあらず」までしか覚えてないや
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天を仰いで思うこと ライカの特長 2016/02/12 12:00 am
不思議なことに、ライカで撮ると魅力的な写真が何枚も撮れてしまう。色の出方や被写体の立体感などが他のカメラや一眼レフで撮ったものと違って見える。ライカだからなのか、レンジファインダーカメラだからなのか、謎が残るが少なくとも撮り手は言葉にはできない魅力を感じてしまうし、感じている。それと、ライカレンズの アポ・ズミクロンM f2.0/50mm ASPH は、「化け物か…」と思うような価格&性能だ。
レンジファインダーで撮っていると、一眼レフでは感じられない「ゆとり」のようなものを感じることがある。一眼レフカメラに比べてシャッターを押すまでの時間をゆっくりと取ってしまう。おまけに自問自答の独り言「ブツブツ」が多くなるようだ。これも魅力のひとつであろう。
ライカで撮っていると、 CANON 1D がとても恋しくなることがあるということだ。「あ〜ぁ、いま1Dを持っていたらなぁ」と思うことがシバシバある。いっそうのこと全て持ち歩こうか…と、天を仰いで思うこと。

レンジファインダーで撮っていると、一眼レフでは感じられない「ゆとり」のようなものを感じることがある。一眼レフカメラに比べてシャッターを押すまでの時間をゆっくりと取ってしまう。おまけに自問自答の独り言「ブツブツ」が多くなるようだ。これも魅力のひとつであろう。
ライカで撮っていると、 CANON 1D がとても恋しくなることがあるということだ。「あ〜ぁ、いま1Dを持っていたらなぁ」と思うことがシバシバある。いっそうのこと全て持ち歩こうか…と、天を仰いで思うこと。

全部持ち歩くことなんてできないでしょ?すぐに「重い〜」って文句言うやん
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おやかまっさん メンテ必要? 2016/02/11 12:00 am
ブログの記事一覧などをメンテしなくてはいけない。ランダムでスクロールさせているスズメさんの写真もほとんど更新していない。システム管理人さんに相談してみよう…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《京都・辰巳神社》

《京都・辰巳神社》
僕もメンテが必要ではないか…と思っているよ〜
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今京都 血洗池(ちあらいいけ) 2016/02/10 12:00 am
住宅が立て込む京都市山科区御陵地区。京都薬科大グラウンド南端の、ブロック塀ごしに下方をのぞき込むと、家の敷地に囲まれた3m四方のくぼみに清澄な水が見え、鯉や金魚が遊ぶ。これが「血洗池」と地元で呼ばれている池のなごりらしい。
ブロック塀の前方には、地面から30cmほど突き出た四角い石に、「義経の腰掛石」と看板書きがある。牛若丸(源義経の幼名)が京都から奥州に向かう途中、この付近で盗賊に襲われ、盗賊を切り倒した。その刀を洗ったのが隣の血洗池で、牛若丸はこの石に腰掛けてしばし休息した、とのことだ。
住宅地の片隅に、「血洗」の伝承。ちょっとギャップがありすぎて、にわかに信じがたい。しかし、依然のこの辺は、田んぼが多くカエルの鳴き声がうるさい所であり、また、竹やぶがうっそうとしており、子どもでも遊ぶのが怖かったようなところだという。血洗池も、宅地化する前はもっと広かったといい、湧水はあちらこちらにあったとのことだ。
血洗池には別の伝承もある。牛若丸は盗賊に襲われたのではなく、蹴上ですれちがった平家の侍関原与一に水を蹴(け)り上げられたことに怒り、一党を切り捨て、その刀を洗ったのだという説。これは江戸時代の「擁州府志」にも記述がみられ、「蹴上」の地名の由来にもなった逸話だ。
聞いた話としては、木曽義仲が義経に敗れ大津へ落ちゆく途中で、巴(ともえ)御前とともに血で塗れた刀を洗ったという説などいくつかの説があるという。
まぁ、はっきりしたことはわからないから伝承なんだろう。ともかく血洗池がそこにあることは事実であり、わずかに残された池は、現在に残る「血洗町」の町名の由来を語っている。中世では、東海道は江戸時代よりも南寄りで、腰掛石付近を通っていたという説もある。一帯は京焼の清水六兵衞にちなむ「六兵ヱ池」など、わき水が多いが、池のほとんどは埋め立てられ公園や住宅地となっている…という今京都。

《京都・西陣界隈》
ブロック塀の前方には、地面から30cmほど突き出た四角い石に、「義経の腰掛石」と看板書きがある。牛若丸(源義経の幼名)が京都から奥州に向かう途中、この付近で盗賊に襲われ、盗賊を切り倒した。その刀を洗ったのが隣の血洗池で、牛若丸はこの石に腰掛けてしばし休息した、とのことだ。
住宅地の片隅に、「血洗」の伝承。ちょっとギャップがありすぎて、にわかに信じがたい。しかし、依然のこの辺は、田んぼが多くカエルの鳴き声がうるさい所であり、また、竹やぶがうっそうとしており、子どもでも遊ぶのが怖かったようなところだという。血洗池も、宅地化する前はもっと広かったといい、湧水はあちらこちらにあったとのことだ。
血洗池には別の伝承もある。牛若丸は盗賊に襲われたのではなく、蹴上ですれちがった平家の侍関原与一に水を蹴(け)り上げられたことに怒り、一党を切り捨て、その刀を洗ったのだという説。これは江戸時代の「擁州府志」にも記述がみられ、「蹴上」の地名の由来にもなった逸話だ。
聞いた話としては、木曽義仲が義経に敗れ大津へ落ちゆく途中で、巴(ともえ)御前とともに血で塗れた刀を洗ったという説などいくつかの説があるという。
まぁ、はっきりしたことはわからないから伝承なんだろう。ともかく血洗池がそこにあることは事実であり、わずかに残された池は、現在に残る「血洗町」の町名の由来を語っている。中世では、東海道は江戸時代よりも南寄りで、腰掛石付近を通っていたという説もある。一帯は京焼の清水六兵衞にちなむ「六兵ヱ池」など、わき水が多いが、池のほとんどは埋め立てられ公園や住宅地となっている…という今京都。

《京都・西陣界隈》
掘り起こせばどの町にも「昔語り」があるということだろう