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今京都 安井金比羅宮(安井神社) 2016/04/12 12:00 am
第38代天智天皇(てんちてんのう)の御代(668〜671年)に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が一堂を創建し、紫色の藤を植え藤寺と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まる安井金比羅宮は「安井のこんぴらさん」で知られる。明治維新の後、「安井神社」と改称し、更に「安井金比羅宮」と改め現在に至っている。
主祭神は、かの「日本三大怨霊」とも呼ばれた崇徳天皇。保元の乱で讃岐に流された崇徳天皇が、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、ここは古来より断ち物の祈願所として信仰されてきた。戦によって心ならずも寵妃阿波内侍とお別れにならざるを得なかった崇徳上皇は、人々が自分のような悲しい境遇にあわぬよう、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶切ってくれるというもの。
しかし、不倫相手の男性とその妻との縁を壊したい女や、嫌いな相手を陥れたい人など、憎い相手を不幸にしたい、ドロっとした人々が全国から集まる。参拝者の多くは、「縁切り縁結び碑(いし)」が目当てだ。碑には、「○○と縁を切りたい」などの願い事が書かれた「形代(かたしろ)」という身代わりのお札が一面にビッシリ貼られている。まず切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書いた「形代」を持って願い事を念じながら碑の表から裏へ穴をくぐり、悪縁を切る。次に裏から表へくぐって良縁を結ぶ。最後に「形代」を碑に貼り、縁切り・縁結びのお願いが完了となる。
「○○の彼女の××が、○○と同棲を解消し、事故や病気で死んでくれますように」
「○○が会社をクビになり、一生苦しむように」
「息子と○○との婚約が破談になりますように」
「おかあさんが今つきあっている男の人とはやく別れますように」
などなど、背筋が凍るような怨念がたっぷり詰まった絵馬が多い。
本来は、「あらゆる悪い縁を切り、良縁を結ぶ」ご利益である。良縁に結ばれた夫婦やカップルがお参りしても縁が切れることはない。むしろ、更に、より深く、より強く結ばれる御利益をいただけるとのことだ。男女の縁はもちろん、病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁を切って良縁に結ばれようというもの。
しかし、絵馬には、日頃の不満や恨み辛みを書いたものから、特定の相手の不幸を願うものまで、実名で書かれており、かなりの数の怨念が渦巻いている…という今京都。




《京都・安井神社》
主祭神は、かの「日本三大怨霊」とも呼ばれた崇徳天皇。保元の乱で讃岐に流された崇徳天皇が、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、ここは古来より断ち物の祈願所として信仰されてきた。戦によって心ならずも寵妃阿波内侍とお別れにならざるを得なかった崇徳上皇は、人々が自分のような悲しい境遇にあわぬよう、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶切ってくれるというもの。
しかし、不倫相手の男性とその妻との縁を壊したい女や、嫌いな相手を陥れたい人など、憎い相手を不幸にしたい、ドロっとした人々が全国から集まる。参拝者の多くは、「縁切り縁結び碑(いし)」が目当てだ。碑には、「○○と縁を切りたい」などの願い事が書かれた「形代(かたしろ)」という身代わりのお札が一面にビッシリ貼られている。まず切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書いた「形代」を持って願い事を念じながら碑の表から裏へ穴をくぐり、悪縁を切る。次に裏から表へくぐって良縁を結ぶ。最後に「形代」を碑に貼り、縁切り・縁結びのお願いが完了となる。
「○○の彼女の××が、○○と同棲を解消し、事故や病気で死んでくれますように」
「○○が会社をクビになり、一生苦しむように」
「息子と○○との婚約が破談になりますように」
「おかあさんが今つきあっている男の人とはやく別れますように」
などなど、背筋が凍るような怨念がたっぷり詰まった絵馬が多い。
本来は、「あらゆる悪い縁を切り、良縁を結ぶ」ご利益である。良縁に結ばれた夫婦やカップルがお参りしても縁が切れることはない。むしろ、更に、より深く、より強く結ばれる御利益をいただけるとのことだ。男女の縁はもちろん、病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁を切って良縁に結ばれようというもの。
しかし、絵馬には、日頃の不満や恨み辛みを書いたものから、特定の相手の不幸を願うものまで、実名で書かれており、かなりの数の怨念が渦巻いている…という今京都。




《京都・安井神社》
絵馬をじっくり読むのが恐い! もし自分の名前が書かれていたら…ゾゾッ!
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おやかまっさん 厄介な大人が誕生する経緯 2016/04/11 12:00 am
なんでも思い通りになると感じていたものが、どうも思い通りにならないものらしいとわかり始めるのは何歳くらいか?ふつうは、幼児期の後半から、遅くても小学校に入学する前後には、「どうも世の中は期待通りに動くとは限らない」とだんだん判明してくる。天気になるはずの遠足の日が雨になったり、大好きな先生が転勤で、あまり好きではない先生が担任になったり…。
この思うようにならないストレスを、親に対してぶつける「反抗期」ってやつは、ふつうは14〜17歳の頃だ。小学校の前後に感じるのは、大人の社会に対する複雑な思いではなく、思い通りにいかない苛立ちや自分自身への苛立ちである。
「全能」だと感じていた自分に、じつは「限界」があることを知る。親の助けがあったからできた、助けがないと自分だけではできない。その当たり前のことに気づく、とまどいもある。
自分にはできない。でも周囲には、それをうまくやっているヤツがいる。自分が病気で休んでも、クラスのみんなは遠足に行ってしまう。
直前.にケガをして走れなくても、運動会は滞りなく行われる。こうした体験を重ねて、「どうやら世界は自分を中心にまわっているのではない」ことを発見する。こういう葛藤を経て、人は大人になっていくのである。
大人のなかには、そんな葛藤を経験せずに大人になった人もいる。また、経験しているのに現在の立場におぼれてしまう人もいる。周囲の迷惑を顧みず、「世界の中心は自分」という人だ。
バブル時代に「自分の気持ち至上主義」とも呼べるライフスタイルがあった。自分にあうと思われるものを、買わせるためでもあった。多くの日本人が、この風潮に酔ってしまったのである。
「自分がいちばんカワイイ」から電車の中で化粧するのも平気。「自分の気持ちをいちばんに考える生き方がステキ」だから、子どもをクルマに放ったまま、パチンコをするのもOK。
「自分の気持ち至上主義」で生きた世代や育てられた世代が、そのまま子育て世代になれどうなるか、想像に難くない。
次のようなモンスターペアレンツが現れることもある。
「頼んだわけではないのだから、学校の給食で『いただきます』を言わせるな」
「卒業アルバムに、うちの子どもの写真が少ない、撮りなおせ」
つまり「自分の気持ち至上主義」が「自分の子ども至上主義」につながる。
こうして厄介な大人たちが誕生していくのである…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《神戸》
この思うようにならないストレスを、親に対してぶつける「反抗期」ってやつは、ふつうは14〜17歳の頃だ。小学校の前後に感じるのは、大人の社会に対する複雑な思いではなく、思い通りにいかない苛立ちや自分自身への苛立ちである。
「全能」だと感じていた自分に、じつは「限界」があることを知る。親の助けがあったからできた、助けがないと自分だけではできない。その当たり前のことに気づく、とまどいもある。
自分にはできない。でも周囲には、それをうまくやっているヤツがいる。自分が病気で休んでも、クラスのみんなは遠足に行ってしまう。
直前.にケガをして走れなくても、運動会は滞りなく行われる。こうした体験を重ねて、「どうやら世界は自分を中心にまわっているのではない」ことを発見する。こういう葛藤を経て、人は大人になっていくのである。
大人のなかには、そんな葛藤を経験せずに大人になった人もいる。また、経験しているのに現在の立場におぼれてしまう人もいる。周囲の迷惑を顧みず、「世界の中心は自分」という人だ。
バブル時代に「自分の気持ち至上主義」とも呼べるライフスタイルがあった。自分にあうと思われるものを、買わせるためでもあった。多くの日本人が、この風潮に酔ってしまったのである。
「自分がいちばんカワイイ」から電車の中で化粧するのも平気。「自分の気持ちをいちばんに考える生き方がステキ」だから、子どもをクルマに放ったまま、パチンコをするのもOK。
「自分の気持ち至上主義」で生きた世代や育てられた世代が、そのまま子育て世代になれどうなるか、想像に難くない。
次のようなモンスターペアレンツが現れることもある。
「頼んだわけではないのだから、学校の給食で『いただきます』を言わせるな」
「卒業アルバムに、うちの子どもの写真が少ない、撮りなおせ」
つまり「自分の気持ち至上主義」が「自分の子ども至上主義」につながる。
こうして厄介な大人たちが誕生していくのである…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《神戸》
自由には責任がともない、権利にも義務がともなう、を忘れたらあんということや
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天を仰いで思うこと 徳力 2016/04/08 12:00 am
実際に「知力」「体力」という言葉はよく使うが、「徳力(とくりょく)」という言葉はあまり使われない。それは、「知力」や「体力」には、量が多い少ないの目盛があって、テストで測ることができるけれど、心の問題は測れないからだろう。心が豊かか貧しいかには明確な目盛はないし、ましてや、テストで成績や順位をつけられるようなものでもない。だから、「徳力」とは言わす、単に「徳」があるかないかで判断することが多くなる。
学校に、国語、算数・数学、理科、社会のような強化だけでなく、体育や道徳、学活、総合の時間、音楽、図工・美術、技術・家庭、のような教科があるのが納得できる。音楽、図工・美術、技術・家庭の実技系は、頭と手先(体一部)を結びつけ、同時に心を豊かにする教科だともいえる。
当然、先にも述べたように、「ココロ」については尺度がない。教師の判断ひとつで変わるものだ。そのために「徳力」の指導は難しい…と、天を仰いで思うこと。

学校に、国語、算数・数学、理科、社会のような強化だけでなく、体育や道徳、学活、総合の時間、音楽、図工・美術、技術・家庭、のような教科があるのが納得できる。音楽、図工・美術、技術・家庭の実技系は、頭と手先(体一部)を結びつけ、同時に心を豊かにする教科だともいえる。
当然、先にも述べたように、「ココロ」については尺度がない。教師の判断ひとつで変わるものだ。そのために「徳力」の指導は難しい…と、天を仰いで思うこと。

「徳力」とは倫理観へとつながっていくものだね
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おやかまっさん 知徳体 2016/04/07 12:00 am
「知徳体(ちとくたい)」という言葉がある。といっても、『広辞苑』には掲載されていない。子どもが成長するには、「知」「徳」「体」のバランスが大切だというように使う教育界での言葉だ。
「知」は、「知識」「知恵」の「知」で、アタマ(頭)にかかわることを示す。
「徳」は、「道徳」「美徳」の「徳」で、ココロ(心)にかかわることを示す。
「体」は、「体格」「体重」の「体」で、カラダ(体)にかかわることを示す。
つまり、頭と心と体の発育バランスが大切ということ。頭でっかちで、知識はたくさん頭に入っていても、心が貧しかったり、体はやたら鍛えていても、頭がついていかないから、試合で勝てなかったり、心は優しいけれど、体が弱く(体力不足)で人を助けられなかったり。そうならないように「知力」「徳力」「体力」のバランスのよい育成をめざし、
「知育(ちいく)」…アタマ(頭)を鍛えること
「徳育(とくいく)」…ココロ(心)を鍛えること
「体育(タイイク)」…カラダ(体)を鍛えること
を教師が指導する。
これが学校の役割でもある…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《京都・東山界隈》
「知」は、「知識」「知恵」の「知」で、アタマ(頭)にかかわることを示す。
「徳」は、「道徳」「美徳」の「徳」で、ココロ(心)にかかわることを示す。
「体」は、「体格」「体重」の「体」で、カラダ(体)にかかわることを示す。
つまり、頭と心と体の発育バランスが大切ということ。頭でっかちで、知識はたくさん頭に入っていても、心が貧しかったり、体はやたら鍛えていても、頭がついていかないから、試合で勝てなかったり、心は優しいけれど、体が弱く(体力不足)で人を助けられなかったり。そうならないように「知力」「徳力」「体力」のバランスのよい育成をめざし、
「知育(ちいく)」…アタマ(頭)を鍛えること
「徳育(とくいく)」…ココロ(心)を鍛えること
「体育(タイイク)」…カラダ(体)を鍛えること
を教師が指導する。
これが学校の役割でもある…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《京都・東山界隈》
最近は本来の学校の役目が忘れられているように感じるなぁ
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おやかまっさん なかんずく 2016/04/06 12:00 am
同じ性質や傾向を持ついくつかの事柄について述べたあと、「なかでも、○○はその性質が強い」と語りたいとき、「なかでも」に代えて使えるのが「なかんずく」である。
かつて同じ意味でもちいられた「中に就くに」が変化した言葉とされている。「この商品は、ルックス、使いやすさ、片付けやすさのすべてに優れているが、なかんずく、片付けやすさに関しては他の追随を許さない」といった形で使う。この使い方でプレゼンはぐっと引き締まるのではないだろうか…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《京都・祇園界隈》
かつて同じ意味でもちいられた「中に就くに」が変化した言葉とされている。「この商品は、ルックス、使いやすさ、片付けやすさのすべてに優れているが、なかんずく、片付けやすさに関しては他の追随を許さない」といった形で使う。この使い方でプレゼンはぐっと引き締まるのではないだろうか…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《京都・祇園界隈》
「なかんずくスズメの写真においては秀でる」って言ってもらえるようになりね〜