ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2025 7月 » »
29 30 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - rrbさんのエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

今京都 酒池肉林 2008/11/26 12:00 am

ゅちにくりん…贅沢をきわめた盛大な酒宴。いかがわしい宴会。
◇ちょっと予備知識 → 「酒池」は酒をたたえた池。「肉林」は木に干肉をかけて林のようにしたもの。
                殷の紂王(ちゅうおう)が池に酒を満たし、木に肉をかけ、その間を裸の男女に走り回らせて
                酒宴を開いたという故事から。
                類義語に肉山脯林(にくざんほりん)がある。

宅八幡宮 vol.4  vol.3はここ
さて、この宮家八幡宮には「かんの虫封じ」以外にも意外のものがある。「韓国合併奉告祭碑」である。大阪生まれの李明博氏が韓国大統領に就任し、今後、冷え切った日韓関係がどう改善するかが注目されている。現在に至る日韓の歴史認識問題は、1910(明治43)年8月の韓国併合が最大の要因だ。



韓国側から見れば「汚辱」である、この出来事を、日本の「盛事」として記念した「韓国合併奉告祭碑」が三宅八幡宮に残る。参道の東側に堂々とそびえ立ち、高さ3mもある。題字は、京都府知事を務め、琵琶湖疏水の建設を推進した北垣国道によるものだという。



昔から境内にあるが、いつ、どのような経緯で建てられたのか、くわしく分からず、当時の様子を伝える文書や記録も一切残っていないという。漢文でつづられた石碑の文書を書き下し文に改めると、「…按(あん)るに、わが帝国の韓土に事あるは、遠く神世にはじまれり。その後、日槍帰化し、任那(みまなょ来朝す。神后ここに征するに、三韓風靡(ふうび)して、わが内府となれり…」などと記される。



さらに、豊臣秀吉の文禄・慶長の役、明治時代の日清、日露戦争を経て、ついに韓国全土を日本の領土としたとあり、神として祭る応神天皇に「奉告」したかたちとなっている。京都をはじめ、全国的に祝賀ムードが漂っていた。



碑を調べた京都府立大名誉教授によると「神話の時代から悲願であった朝鮮半島を日本の領土とし、植民地支配を正当化した内容だ。明治末期の歴史認識を如実に表しており、その後の歴史展開とも密接につながっている」と指摘している。



ただし、碑には謎が残る。韓国併合に関する「詔書(しょうしょ)」を出し、条約を公表したのは8月29日だが、碑文は9月29日と刻んでいる。また、同じような碑が全国でいくつ建立されたか不明なままだ。
最近では、韓国の研究者やマスメディアに取り上げられる機会が増え、時折、韓国人観光客も見学に来るらしい。



京都府立大名誉教授によると「日韓両国の歴史において、負のシンボルとも言える碑だが、歴史的な事実は否定できない。歪曲せず、どう後世に伝えていくのか、大きな課題として残る」ということだ。先人が残した碑は一世紀近くを経てなお重くのしかかるということか…今京都。(続く)


 

このエントリーの情報

今京都 因果応報 2008/11/25 12:00 am

んがおうほう…行いに応じてその報いがあること。
◇ちょっと予備知識 → 「因果」とは、もとは仏教語。前世の行いが現世に、現世の行いが来世に報いとなって
                現れることをいう。現在では悪いことに対して使われることが多い。
                類義語に悪因悪果(あくいんあっか)・前因後果(ぜんいんこうか)・
                善因善果(ぜんいんぜんか)・福善禍淫(ふくぜんかいん)がある。

宅八幡宮 vol.3  vol.2はここ
かんの虫封じや病気平癒など子どもの守り神として知られる三宅八幡宮。特に明治時代から昭和の初めにかけて熱烈な信仰を集め、子どもの無事を祈って訪れる人が絶えなかった。多い時には1日に50〜60件も祈祷の申し込みがあったという。また、叡山電鉄三宅八幡駅前に乳母車を貸し出す店があったともいわれる。



現在も祈祷を受ける理由の約3分の1が、かんの虫封じと夜泣き止めで最も多いという。



同神社はもともと、田の虫よけの神として敬われていた。いつ、どういう理由で子どもの神の信仰に変わったのか分からないが、1852(嘉永5)年に子どもを描いた絵馬が奉納されていることから、このころには一定の知名度があったようだ。



こうした信仰が一気に広がるきっかけになった言い伝えがある。幼い祐宮(さちのみや)(後の明治天皇)が病を患った際、女御(にょうご)が同神社に使いを出して平癒を祈願した、というのだ。この話は、宮内省(当時)が大正−昭和初期にかけて編さんした「明治天皇紀」も触れている。



同書によると、北野天満宮などにも使いが出たほか、高僧が加持を行うなど周囲の心配ぶりが伝わるが、なぜ洛中から離れた同神社が選ばれたのだろうか。



京都市文化財保護課によると、傍証として『明治天皇の生母・中山慶子は一時、隣接する修学院村に里子に出されていた。同神社の近くに女官を輩出する家があった。もともと皇室とかかわりが深い土地柄』が挙げられるという。



こうした背景から、女御らの頭に同神社が浮かんだのかもしれないが、資料が乏しくはっきりとはわからない。この話が世に広がると、参拝者が急増した。学区や団体での参拝も珍しくなかったようだ。



600人を超す親子の参拝を描いた明治初年の絵馬も残っており、盛況ぶりがうかがえる。大正末の記録では、祈祷を受けた人の約7割が3歳以下なので、かんの虫封じや夜泣き止め祈願が多かったのではないかと想像する。


(子どもを描いた絵馬)

今は、医学の発達もあり、かんの虫封じで祈祷を受ける人は昔ほど多くはないだろう。それでもインターネットで調べて来る人もあり、子どもの無事を願う気持ちは今も変わらない…今京都。(続く)


 

このエントリーの情報

今京都 首鼠両端 2008/11/24 12:00 am

ゅそりょうたん…どうしたらよいか迷って、決めかねること。ぐすぐずと周囲の状況をさぐること。日和見。
◇ちょっと予備知識 → 「首鼠」はねずみが穴から首を出して、きょろきょろと様子をうかがうこと。
                類義語に右顧左眄(うこさべん)・狐疑逡巡(こぎしゅんじゅん)がある。
                対義語は旗幟鮮明(きしせんめい)。

並み










蔵物語(222)




 

このエントリーの情報

今京都 意味深長 2008/11/23 12:00 am

みしんちょう…発言や文章に奥深い意味や含みがあること。また、言外に別の意味が含まれていること。
◇ちょっと予備知識 → 「深長」を「慎重」と書くのは誤り。「意味深」などと縮めて使うこともある。
                類義語に意在言外(いざいげんがい)・微言大義(びげんたいぎ)がある。

並み










蔵物語(221)




 

このエントリーの情報

今京都 朱唇皓歯 2008/11/22 12:00 am

ゅしんこうし…美しい女性を形容することば。
◇ちょっと予備知識 → 「朱唇」は紅をさして赤くした女性の唇。「皓歯」は真っ白で美しい歯。
                類義語に朱唇榴歯(しゅしんりゅうし)・明眸皓歯(めいぼうこうし)・
                紅口白牙(こうこうはくが)・紅粉青蛾(こうふんせいが)がある。

宅八幡宮 vol.2  vol.1はここ
その、備後三郎三宅高徳は、備前国児島郡の生まれで和田備後守範長の子。後鳥羽上皇の第四皇子頼仁親王の血を継ぐ血統。父の教えを受け和漢を学び、神童と呼ばれた人物である。



応仁の乱の戦火によって焼失したが、数十年後に里人たちによって復旧が始められ、1869(明治2)年に拝殿、1887(明治20)年に本殿が再建された。



ところで、三宅八幡神社は俗に「虫八幡」と呼ばれ、子供のかんの虫封じの神として江戸末期頃から信仰を集め、それらの様子が絵馬として奉納されていて、境内の絵馬堂で見られる。



現在は、毎年、9月15日の例祭には子供連れで賑わっている。



また、境内を歩いて神社の鳥居前に狛犬ならぬ「狛鳩」に気付く。



境内の茶店にも「鳩餅」が売られていて、名物という。石清水八幡宮(八幡市)の鳩は八幡神の使いとして信仰されているが、三宅八幡宮と鳩との関係の詳細は不明という。



さて、随分と前置きが長くなってしまったが、ここ「三宅八幡宮」を訪れたのは「かんの虫封じ」が目的であった…今京都。(2008年11月25日に続く)


 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

« 1 ... 338 339 340 (341) 342 343 344 ... 412 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop