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天を仰いで思うこと ごもくをほかす 2009/05/20 12:00 am

もくをほかす
「ゴモク」はごみ、「ホカス」は捨てるの意。4月、京都に住み始め、「学生はん、そこのゴモク、ホカシトイテンカ」といわれ、きょとんとして分からない若者も多い。ゴミは「ご」の実のこと。平安時代から松の落葉を「ご」といい、燃料にした。芭蕉の句に「ごを焚いて手拭(てぬぐい)あぶる寒さかな」 ホカスは「放下す」の意味からで、京都から大阪にかけて「ゴモクをホカス」の使用地域がみられる。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(51)  ちょっと気になる「ことば」の話
よろしかったでしょうか



最近、ファミリーレストランなどで、「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」と使われる。注文が以上でいいかを聞いているのだから、「ご注文は以上でよろしいでしょうか」というように、現在形でいいのではないか。「これでよいか」は現在のことについての評価(良し悪し)を聞いているものであり、「これでよかったか」は過去のことについての評価を尋ねているものである。だから、現在している注文について「よかったか」と訪ねるのはおかしいのではないかという疑問がでてくる。



「よい(よろしい)」と「よかった(よろしかった)」の違いについて、考えてみると、「よい」は現在のことについての現在における評価を表わす。「注文はこれでよい」は、現在注文をしている、その注文内容はこれでよい、ということだ。それに対して、「よかった」は、過去のことについての現在における評価を表わす。「昨日の注文はよかった」は、昨日という過去において行った注文について現在振り返ってよかったと評価している。つまり、「よい」と「よかった」は評価の対象は現在のことと過去のことで違うが、評価の時点はいずれも現在で共通だということだ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

だから、「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」の「ご注文」が過去のこととみなすことができれば許される表現ということになる。注文を色々して、し終わった、それは現在の注文ではあるけれど、し終わった過去の注文でもある。注文が過去のものとみなされれば「先ほどのご注文はあれでよろしかったでしょうか」に準ずるような表現として許されるのではないか。この表現がでてくる論理、この表現にあまり違和感を持たないという人の論理はこの辺にあるのではないかと考える。
そうそう、もうひとつ。「あなたは○○さんでいらっしゃったでしょうか」というのも聞く。この場合、「いらっしゃった(わよね)」と相手に確認する用法に「でしょうか」という相手に質問をする表現の混在となるので避けるべきだろう…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


 

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今京都 ややこしい 2009/05/19 12:00 am

やこしい
「えらいヤヤコシイ話やな」のヤヤコシイは、込み入っている、複雑な、判断しにくいの意。大人からオトナシイをつくったが、ヤヤコシイはヤヤコ(赤ちゃん)を形容詞化した。ヤヤコのように扱いにくいこと。「あんなヤヤコシイとらえ所のない男と付き合うてるんか」 「ヤヤコシイ(浮いた)うわさが立ってるのや」 「ヤヤコシイ(うっとうしい)顔してどこへ行く」 のように、多様なニュアンスがある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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の数学者 (旧ヴィレッジ 2007年8月3日掲載)
平成の数学者といえば、テレビでもおなじみの秋山仁氏が思い浮かぶ。しかし、京都にもその昔、現在も使われている幾多の数学を広めた人がいた。ニニンガシ、二サンガロク…ククハチジュウイチで終わる九九の暗唱。子どものころ教え込まれたこの暗唱は大人になってからも、実生活でとても役に立っている。この九九の暗唱はいつ頃からあるのか。



実は九九の歴史は非常に古い。驚くなかれ、平安時代の「口遊(くちずさみ)」(970年、源為憲)に、すでに教育としての九九が現れるという。そんなに昔から、日本人は九九の暗唱をしていた。ただし、これは貴族の子弟教育のための教科書で、九九もやはり中国から伝わったという。さらに、当時は「九九八十一、九八七十二…」と、今とは逆の順序で大きい数字から始まっている。だから「九九」という名がついたという。



教科書であったということだから、庶民には長らく遠い存在で、和算と呼ばれる算術が庶民のあいだに普及しだすのは江戸時代。そしてその普及に貢献したのが京都人というのである。江戸初期に、一家に一冊はあるといわれたほど、あらゆる階級の人に普及したという超ベストセラー数学書を書いた人、その人の名を吉田光由(よしだみつよし)(1598〜1672)という。大堰川や高瀬川の開削で知られる角倉家の一族ということ。その本の名を「塵劫記(じんこうき)」という。角倉了以の弟のひ孫に当たるという。角倉は屋号で、角倉家の姓は吉田といったということだ。



吉田光由は、1958(慶長3)年、嵯峨に生まれる。数学に興味をもち、当時、京都で「天下一割算」の看板を掲げて教え、割り算の書を刊行した毛利重能(もうりしげのり)という数学者について学んだ。光由の若き時代は、角倉了以の子、素庵(そあん)が活躍していたころ。素庵は土木事業に数学の知識が必要なことを痛感していたので、光由の研究を支援したという。そして明の「算法統宗(さんぽうとうそう)」をもとにして、当時の経済や暮らしに役立つ実用数学書「塵劫記(じんこうき)」が誕生した。1627(寛永4)年のことであった。



その実用数学書「塵劫記(じんこうき)」のなかにそろばんの使い方や九九の暗唱法はもちろん、ねずみ算の例題などもねずみの絵入りで具体的に示されているという。実用だけではなく、後半にはルートや円周率を扱う高等数学が含まれているというから驚き。京都人の吉田光由の手によって九九が庶民に広がり、その恩恵を平成の時代でも、あるいはこれからも受けるというお話…今京都。 ※写真は京都嵯峨鳥居本界隈で本文とは関係ないのであしからず。


 

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天を仰いで思うこと はしり 2009/05/18 12:00 am

しり
台所の流し元。「お茶碗やお皿をハシリまで持って行って」 東京のナガシに対する。ハシリモトは台所の水の流れるもと、水道の蛇口のもとを指す。台所はダイドコとも。宮中の清涼殿内の女房の詰め所である台盤所の略。台所に設置して茶器などを収納するタンス風のものをミズヤという。「お茶碗をミズヤにいれてナオス(しまう)」 水屋はもとは茶室の隣室に設けた茶器を洗う場所。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(7)
ポストの色 (エキサイト 2008年2月9日掲載)



日本に最初にポストができたのは、今から130年以上も前の1871年のこと。このころは、まだポストは木で作られており、今のように赤い色はしていなかった。つまり、ポストは最初から赤かったわけではない。



ポストが赤くなったのは、最初のポストができてから37年後の1908年のこと。この年、初めて鉄でできた赤いポストが町に置かれた。このときポストを赤くぬった理由は、やはり赤が一番目につくからということ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

町の中に置いたときにどんな色にすればよく目立つかということから決定された。なぜポストが赤いかは、その色がよく目立つためという理由。
そういえば、「カラスがカーァと鳴くのも、角のポストが赤いのも、みんなの成績が悪いのも、みーんなワタシが悪いんです」という先生がいた。高校のときの英語の先生だった…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 うしろふりむいたらあかん 2009/05/17 12:00 am

しろふりむいたらあかん
十三まいりは、13歳になった少年少女が嵐山にある法輪寺の虚空蔵菩薩に参詣する行事。福徳・知恵・美声を授かる。13日は同菩薩の縁日。参詣の帰途、渡月橋を渡りきるまでは後ろを振り返ってはならない。振り返れば、授かったものを返してしまうと言い伝える。「これ、ウシロフリムイタラアカンえ。せっかくもろた知恵を返してしまうがな」 (『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(261)




 

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今京都 やすらいはなや 2009/05/16 12:00 am

すらいはなや
やすらい祭は、桜の花を愛で、落花を惜しんで、病魔を退散させ、五穀豊穣を祈願する花鎮めの祭礼。紫野や上賀茂地域で民衆の平安を祈る。紫野・今宮神社のやすらい祭は4月の第2日曜日。祭り行列では風流傘、鬼踊りが続き、「やすらい花や 花や咲きたるや やすらい花や (花よ安らかであれ)」などと囃しことばを繰り返す。花傘の中央に竹で編んだ花籠をつけ、桜、ツツジ、山吹などの生け花を挿す。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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気に関する語句(春雨じゃ濡れていこう・北山時雨) (旧フォトヴィレッジ 2007年11月1日掲載)



金田一晴彦さんの『ことばの歳時記』のなかで「古来の有名なお天気に関する語句は、京都を標準として出来ているものが多いことが知られる」という記述がある。「女心と秋の空」「男心と秋の空」。日本の秋は一年中でいちばん晴天が続く季節なんだけれど、秋の空は定めがないとしてこの言葉が使われる。これは、京の都の空模様を標準としているという。



京都でも秋は好天に恵まれるのであるが、晩秋の京都はしぐれが多く「北山時雨(しぐれ)」といわれるくらい。この時季は、今出川通とかを境に北と南で天気が違うことがよくある。今の暦でいえば、時雨は初冬の風物詩だけれど、旧暦でいえば10月が時雨の季節となる。気象学からいえば時雨は「京都を中心とする近畿地方内陸部の独特な現象」をいうらしい。午前中は晴れていたのに、午後になって北山の方向がにわかに暗くなったかと思うと、サーっとしぐれる。かと思うと日がさしてきて、やんだかと思うとまたサーっとくる。ホントに気まぐれである。



芝居で月形半平太が京都・三条の宿を出るときにいう台詞で有名な「春雨じゃ濡れていこう」も京都発の気象用語。これは「春雨が風流だから濡れていこうといったのではなく、京都の春雨は横から降り込んでくる霧雨のような雨で、傘をさしても無駄だから傘なしでいこう」といったものらしい。霧雨のような春雨は京都の特徴であるという。最近は地球温暖化の影響か霧のような春雨も少なく、傘がほしくなるような雨となっているような気がする。いずれにしても、古来のお天気用語は盆地の京都で言われてきたもの、という京の街のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


 

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