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天を仰いで思うこと かにここ 2009/05/25 12:00 am

にここ
「約束の時間にカニココ間に合うてよかった」「お金がのうてカニココや」のように「とにかく」「ぎりぎり」の意味で使用。西陣・室町を中心に用いた。語源は「かにかく」。「かにかく」の語が衰え、トニカクに変わっていくとともに使用しなくなった。名詞としては、新生児の初めて出す便も、臨終の人のそれもカニココである。「カニココが出たしもうあかんわ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(12)
髪にまつわる話 (エキサイト 2008年2月27日掲載)



「今京都」で掲載した「髪にまつわる話」の締めくくり。17世紀のフランス国王、ルイ13世は心労ゆえに薄毛となり、22歳でカツラをつけたという。廷臣たちがそれに倣い、カツラはやがて上流階級の正装として各国に広まったという。時は移れど、世に「自分を変えたい」願望は尽きない。「ハゲを隠しているという意識につきまとわれているかぎり、変貌できない」とクギを刺す本もあると聞く。隠せぬままに変わり損ねた落胆は大きい。


(京都府南丹市美山町)

育毛ケアで効果が薄かった男性が大手業者を訴え、430万円を返して貰う和解が成立したという記事が以前に新聞に載っていた。業者は「必ず生えるとは言っていない」と反論したが、原告の強い不満に折れたということだ。毎週の頭皮ケアや補助食品に、この男性は約680万円と4年の時を費やしたという。生える保証のない育毛にこれほどお金がかかり、その出費と手間をいとわぬ客層があることに驚く。あるべき物が無いのを恥じる心に、業者は手を差し伸べる。毛が戻って前向きに変われるのならいいが、見てくれや世間体に追われる人生はもったいない。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

頭髪の気になり具合は「自分の人生をどの程度自分のものにできたかを測るものさし」でもあるという。人は交通事故を笑えないが、バナナの皮で転べば笑う。なぜなら、大したことではないからだ。ここに精神的にハゲを克服するポイントがあるという。神に頼るのでもなく、薬に頼るのでもない。「大したことはない」と思えることこそ、体裁ではなく内面から自分を変るポイントだということだ。なるほど…と、天を仰いで思うこと。
★「今京都」で掲載した髪にまつわる話は、ここここここ


 

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今京都 かまへん 2009/05/24 12:00 am

まへん
相手が何か失敗した時に、「カマヘン、カマヘン、そんなこと気にせんといて」というと、相手の心は和む。カマヘンは「構わない」ということ。カメヘンともいい、カマシマヘンと丁寧に使う。「失敗してもダイジナイ」の大事ないは、差し支えない、大したことはないの意で、丁寧にいう時はダイジオヘン・ダイジオマヘンとも。ダイジョーオヘンというところもある。ダンナイしダイジナイに基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(262)




 

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今京都 あいのもん 2009/05/23 12:00 am

いのもん
間食。「ごはん食べんと、アイノモンばっかり欲しがる」。間食、おやつをナンドともいう。子どもはよく「ナンドええもんおくれ」とねだった。ナンゾともいう。午前10時、午後3時頃に相楽郡上狛の農家などでも間食の意味で用い、「寒うなったさかい、ナンド引っかけときや」などといった。おやつは午後の間食。八つどき(午後3時)に食べることから。ナンドより上品な感じもする。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月11日掲載)
「京都が空襲を免れたのは米軍による文化財保護のため」との説は間違いであった」というのは空襲に掲載したとおり。さらに調べていくと、「原爆投下の第一目標は、広島でも長崎でもなく、京都だった」ということが浮かんできた。



「三方を山に囲まれた盆地である京都は、原爆の爆風が最大の効果を発揮しうる地形、加えて人口100万都市、宗教的意義をもつ重要都市でもある」と理想的な条件を備える原爆投下目標都市として、通常爆撃を温存していた可能性が高いという。(空襲が合計6回と他の地域に比べて少ないのはそういうことだったのか。) このことはアメリカの公文書として公表された原爆関係極秘文書の中から、上空からの目標にしやすい旧国鉄・梅小路機関区(現在の梅小路蒸気機関車館)を照準点として、直径3マイル(4.8km)の円が描かれた地図が発見されているということによる。



梅小路機関区は東海道線と山陰線の合流地点を利用した広大な車庫。9000m上空から識別するには絶好のポイントというわけだ。もしも梅小路機関区に原爆が投下されていたら、京都盆地は南西と南に開いているので、そこから新鮮な空気が補給され、火の手は爆心地から北東および北の方向、つまり市の中心地から洛東、洛北まで全域をなめつくしたろうといわれる。京都では1944(昭和19)年から五条通、御池通、紫明通など各地で建物疎開が始まっていた。馬町が初空襲に遭うと被害が洛中に迫ったとして、祇園白川沿いをはじめ建物の撤去はさらに広がった。こうして長らく住み慣れた家々を多くの人が手放したわけだが、東京・大阪・名古屋がいちめん焼け野原になるにつけ、有無を言わせない切迫感があったに違いない。しかし、このころに人類史上最初の原爆投下のために、海の向こうでは京都の地図が広げられていたことになる。



どういう経緯で京都に原爆が落とされなかったのかはわからない。しかし、京都に原爆が落とされなかったことを「よかった」などと言うつもりは全くない。広島でも長崎でも、それ以外の地域でもよくない。原爆、いや、戦争はあってはならないこと。体験や記憶が風化してしまったとき、また「戦争」を繰り返してしまう可能性がある、おろかな生命体、それが人間だとしっかりと認識しておきたい。そして、いったん戦争が始まると、どんな歴史都市も世界遺産も戦争の前では虚しいということもしっかりと意識に留めておくべきだと思う。さまざまな偶然が重なって、奇跡的にも焼け残った都市、それが京都というべきかも知れない、という京の街のお話…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。


 

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天を仰いで思うこと よそう 2009/05/22 12:00 am

そう
「ご飯ヨソテ」「味噌汁お椀にヨソウ」のヨソウは「装う」からで、準備する、支度することに由来。身なりを飾る意になり、飲食物を整え、用意することから容器に入れる意味へ広がった。室町時代のことばを集めた『日葡辞書』にも記される。『平家物語』には「飯うづたかくよそひ」とある。また「ご馳走」の「馳走」はもとは走り回ること。準備に奔走し、客をもてなすことからおいしい食物の意に。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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のネタ雑学(41)
ツバメはなぜ去年の巣を覚えている?



前の巣を使うのは親ツバメ。その確率は50〜60%といわれている。ツバメは高いところから見た景色をちゃんと覚えているという。巣をつくるときに、枯れ草の切れ端や泥の固まりを何十回も運ぶから、巣の場所をしっかり覚えることができるのだろう。



渡りのときも、この記憶がしっかり役立つ。ツバメは体の中に、自分だけにわかる体内時計と呼ばれるものを持っていて、太陽や星座を見ては「この時刻に太陽がこの方角に見えるから、こちらが南」といった判断をしながら飛んでいる。やがて巣のある街に近づくと、去年の記憶が呼び起こされて、前に使っていた巣にたどりつくというわけ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

ただし、空が曇っているときは、方向が決められず群れがバラバラになってしまうことがあり、途中で力尽きててしまうのもいるというので、この程度の確率になるのだろう。なお、去年生まれた若いツバメは、新しい巣をつくる。家の軒下にツバメが巣をつくったら、来年も帰ってくることを信じて、そのままにしておくのがよい…と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)


 

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今京都 よせる 2009/05/21 12:00 am

せる
子どもの遊びに「うちの子もヨセテやってや」と母が頼む。寄せるの意。交ぜるの意で、マゼテともいう。足し算をヨセ算というか、加えること。子どもが遊戯中に一時中止を申し出るときに、しゃがんで人差し指と親指で輪を作り、「ニッキ」という。見切るの意。鬼ごっこなどで、一時中止を今はタイムというが、「タンマ」は東京周辺から広まった。ためらうの意味だろう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月10日掲載)
高校球児の暑い夏の熱い闘いが甲子園で始まると、傍らで「戦争」がささやかれる。夏の灼熱の熱風をはるかにしのぐ原爆の爆風。戦争の悲惨さが語られるたびに目頭が熱くなることがある。夏は様々な意味において「あつい」。



「京都は戦争で焼けなかったから」−戦争体験のある世代の方が京都を訪れると、ひと昔前までなら、必ずこう口にしたものらしいという。古い文化財が受け継がれているのも、街の中心地に瓦屋根が残るのも、100万都市として唯一空襲を免れたおかげ。そしてそれは、米軍が古都の貴重な文化財を保護したから−日本中の人々は長い間そう信じてきたという。しかし、京都は一度も空襲を受けなかったのかというと、そうではない。実際に空襲はあった。他都市の大空襲とは比較にならないが、計6回の空襲を受け、家々が吹き飛び、多くの死傷者が出でいる。「京都は空襲がなかったから助かった」では、実際に被害に遭って亡くなった方々が浮かばれない。



1945(昭和20)年1月16日深夜、三重県方面から来襲したB29爆撃機が京都市上空を旋回したのち、東山区馬町(うままち)に爆弾を落とした。被害の中心地は渋谷通(しぶたにとおり)の東大路東入ル。これが京都空襲の最初。死者41人、負傷者48人、被害家屋は316戸。その後は3月19日(右京区)、4月16日(右京区)、4月22日(北区)、5月11日(上京区、右京区)と続く。6月26日の早朝に上京区の西陣出水・正親地区に馬町と並ぶ規模の空襲があった。死者50人、負傷者66人、被害家屋292戸。



しかし、この情報は、戦時下なので正しい情報が伝わらず「間髪の防空活動に被害は僅少」とされたという。ここに上げた数字も信憑性にかけ、実際はもっと多数の死者・負傷者がいたというのが事実のようだ。日本は平和な時代が続いている。しかし、その裏には戦争という悲惨な人罪があったことを忘れてはいけない。「戦争を知らない子どもたち」ではあるが、戦争は決して繰り返してはいけない。その思いを込めて、これまであまり知られていなかった京都の空襲のお話…今京都。 ※写真は京都嵯峨界隈で本文と写真は関係ないのであしからず。


 

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