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今京都 なりくそわるい 2009/06/09 12:00 am
なりくそわるい
体裁が悪い。「歩きながらパン食べてナリクソワルイ」 ナリは体裁。クソは罵りの意。ナリガワルイとも。「そんなナリガワルイことせんといて」 若者は「カッコウワルイ」という。「袋ナリ(袋のまま)持って行き」「皮ナリ(皮ごと)食べてもええ」のナリは、その状態のままのこと。「すぐに」の意味もある。「帰ってくるナリ飛び出していった」 ナルハナシのナルは「成る」で、うまくまとまる話。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
左京・右京 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月1日掲載)
京都の地図を見れば右に左京区、左に右京区。京都で暮らし始めたときにややこしかったのがこの右京区・左京区。地図の感覚で行くと逆。右京・左京配置の原則は、平安京造営の時点にさかのぼる。平安京は、中国の長安(現在の西安市)をお手本にして造られた。朱雀門から羅城門まで南北に通じる朱雀大路(現・千本通り)は道幅が約85メートル。そのメインストリートを中心に、大きく右京・左京に二分されるのだが、その右左は「天皇から見て」が基本となる。

古く中国や朝鮮では「天子は南面(なんめん)す」。すなわち国の君主は南に向って政治を執るとされていた。それをお手本にした平安京であるから、天皇が大内裏から南に向って、右(西)が右京、左(東)が左京となる。地図は北を向ってつくられているから全く逆になるというわけ。平安京造営当時の右京はお手本となった長安にちなんで「長安城」と呼ばれ、対して左京は「洛陽城」と呼ばれていた。人間の心理や都市構造、そして政庁の関係で、人々は太陽の昇る方向、東へ東へと住み移るようになり、左京が発展していき、右京がさびれてしまった時期がある。そのため、左京の代名詞であった洛陽が、京都の代名詞として有名になった。京都に来ることを上洛、都の内側を洛中、外を洛外などというのはそのためだという。

平安京の右京・左京は、実質的には左京が中心となっていった。そこで平安京の大内裏を東に移したのが、今の京都御所の位置である。御所のなかでも、宮中のさまざまな儀式をとり行ってきたのが紫宸殿(ししんでん)。「天子は南面す」の原則通り、紫宸殿も南に向って建てられており、紫宸殿の広大な前庭は「南庭」と呼ばれている。ここにおいても「右左問題」が発生する。「左近の桜」と「右近の橘」である。紫宸殿の前の南庭に植えられている桜と橘の木、これらは天皇が紫宸殿から眺めたとき、左手に左近の桜、右手に右近の橘となる。紫宸殿に向って見るのとは逆になる。この配置は結構寺社仏閣は取り入れている。

わかってしまえば簡単なお話なんだけれど、地図との感覚の違いがとても邪魔をしてしまう。ちなみにパリのセーヌ川は川の上流を背に下流に向って立ったとき、右手が右岸、左手が左岸としているということだ…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。

体裁が悪い。「歩きながらパン食べてナリクソワルイ」 ナリは体裁。クソは罵りの意。ナリガワルイとも。「そんなナリガワルイことせんといて」 若者は「カッコウワルイ」という。「袋ナリ(袋のまま)持って行き」「皮ナリ(皮ごと)食べてもええ」のナリは、その状態のままのこと。「すぐに」の意味もある。「帰ってくるナリ飛び出していった」 ナルハナシのナルは「成る」で、うまくまとまる話。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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左京・右京 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月1日掲載)
京都の地図を見れば右に左京区、左に右京区。京都で暮らし始めたときにややこしかったのがこの右京区・左京区。地図の感覚で行くと逆。右京・左京配置の原則は、平安京造営の時点にさかのぼる。平安京は、中国の長安(現在の西安市)をお手本にして造られた。朱雀門から羅城門まで南北に通じる朱雀大路(現・千本通り)は道幅が約85メートル。そのメインストリートを中心に、大きく右京・左京に二分されるのだが、その右左は「天皇から見て」が基本となる。

古く中国や朝鮮では「天子は南面(なんめん)す」。すなわち国の君主は南に向って政治を執るとされていた。それをお手本にした平安京であるから、天皇が大内裏から南に向って、右(西)が右京、左(東)が左京となる。地図は北を向ってつくられているから全く逆になるというわけ。平安京造営当時の右京はお手本となった長安にちなんで「長安城」と呼ばれ、対して左京は「洛陽城」と呼ばれていた。人間の心理や都市構造、そして政庁の関係で、人々は太陽の昇る方向、東へ東へと住み移るようになり、左京が発展していき、右京がさびれてしまった時期がある。そのため、左京の代名詞であった洛陽が、京都の代名詞として有名になった。京都に来ることを上洛、都の内側を洛中、外を洛外などというのはそのためだという。

平安京の右京・左京は、実質的には左京が中心となっていった。そこで平安京の大内裏を東に移したのが、今の京都御所の位置である。御所のなかでも、宮中のさまざまな儀式をとり行ってきたのが紫宸殿(ししんでん)。「天子は南面す」の原則通り、紫宸殿も南に向って建てられており、紫宸殿の広大な前庭は「南庭」と呼ばれている。ここにおいても「右左問題」が発生する。「左近の桜」と「右近の橘」である。紫宸殿の前の南庭に植えられている桜と橘の木、これらは天皇が紫宸殿から眺めたとき、左手に左近の桜、右手に右近の橘となる。紫宸殿に向って見るのとは逆になる。この配置は結構寺社仏閣は取り入れている。

わかってしまえば簡単なお話なんだけれど、地図との感覚の違いがとても邪魔をしてしまう。ちなみにパリのセーヌ川は川の上流を背に下流に向って立ったとき、右手が右岸、左手が左岸としているということだ…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。


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天を仰いで思うこと うち 2009/06/08 12:00 am
うち
女性が使う一人称代名詞。「ウチかてこの仕事できるわ」 家の「内」の意味からで、室町時代から使用。「ウチラ今日はゆっくりできるな」のようにウチラは単数でも複数でも用いる。「自分の子」の意味で「ウチの子ども」というが、これは男女とも使用。洛北・八瀬などでは目上や同輩に「コチのいうことよう聞いてんか」と一人称代名詞にコチを使う女性も。南山城でも「コチも歳とって物忘れする」と。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(54) ちょっと気になる「ことば」の話
・・・じゃないですか

この言葉はイントネーションの上げ下げで意味が変わる。文末を上がり調子に発すると「先輩、これって違法じゃないですか?」「それって、ちょっとまずいんじゃないですか?」のように相手にその内容を確認する用法になる。確認とはいっても「違法ですよ」「まずいですよ」というのにかなり近く、断定に近いニュアンスが伴う。相手をたしなめるときなど、「違法だ」「まずい」と直接いうのがはばかられるという気持ちが、確認を偽装して断定を和らげさせるのだろう。
一方、文末を下がり調子に発すると、「あれは山田さんじないですか」「ほら、あそこに信号があるじゃないですか」などに見られるように、控えめな断定の意味になり、相手に確認するというニュアンスは一層弱まる。

このように「じゃないですか」は、はっきりと言い切らないまでも断定に使い核心の度合いで相手に主張したり確認を求めたりする用法である。
「ご飯を食べると眠くなってくるじゃないですか。だから食べるの控えてるんです」
「これって、最近流行ってるじゃないですか。でもなんか好きになれないんですよね」
これらの「じゃないですか」は、嫌だと感じる人もそうでない人もいる。嫌だという人は「ご飯を食べると眠くなることくらいいわれなくてもわかっている」「これが最近流行っていることぐらい私だって知っている」と感じたのではないだろうか。これらの例は控えめな表現を用いていることに問題がある。自明なことを「ご存知ないかもしれませんが」といった控えめな調子で教えられれば誰だって癇に障る。特に気にならなかった人は、自明なこととは捉えずに単なる情報確認だと感じたのだろう。いずれにしても人を不快にさせる危険性をはらんだ表現である。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「私って最近引っ越してきたばかりじゃないですか」
「私ってすごく忘れっぽい人じゃないですか」
この例のほうがイヤだと感じる人は多いと思う。「あなたのことなんて知るわけがない」「そんなこと誰が知るか」と腹立たしい気持ちを抱く人は少なくないはず。他人の知らないプライベートなことを「知っていて当然」という感じで共感や同意を求めているわけだから、押し付けがましくて嫌らしいと受け止められかねない。話し手だけが知っていて自分が知るはずのないことに共感を求められるのだから、不快に思うのは当然。この言い方は社会人になっても改めない人が少なくない。わかりきっていること、またその反対の知るはずのないことについて「・・・じゃないですか」という表現を使うと聞き手を不快にする…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)

女性が使う一人称代名詞。「ウチかてこの仕事できるわ」 家の「内」の意味からで、室町時代から使用。「ウチラ今日はゆっくりできるな」のようにウチラは単数でも複数でも用いる。「自分の子」の意味で「ウチの子ども」というが、これは男女とも使用。洛北・八瀬などでは目上や同輩に「コチのいうことよう聞いてんか」と一人称代名詞にコチを使う女性も。南山城でも「コチも歳とって物忘れする」と。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(54) ちょっと気になる「ことば」の話
・・・じゃないですか

この言葉はイントネーションの上げ下げで意味が変わる。文末を上がり調子に発すると「先輩、これって違法じゃないですか?」「それって、ちょっとまずいんじゃないですか?」のように相手にその内容を確認する用法になる。確認とはいっても「違法ですよ」「まずいですよ」というのにかなり近く、断定に近いニュアンスが伴う。相手をたしなめるときなど、「違法だ」「まずい」と直接いうのがはばかられるという気持ちが、確認を偽装して断定を和らげさせるのだろう。
一方、文末を下がり調子に発すると、「あれは山田さんじないですか」「ほら、あそこに信号があるじゃないですか」などに見られるように、控えめな断定の意味になり、相手に確認するというニュアンスは一層弱まる。

このように「じゃないですか」は、はっきりと言い切らないまでも断定に使い核心の度合いで相手に主張したり確認を求めたりする用法である。
「ご飯を食べると眠くなってくるじゃないですか。だから食べるの控えてるんです」
「これって、最近流行ってるじゃないですか。でもなんか好きになれないんですよね」
これらの「じゃないですか」は、嫌だと感じる人もそうでない人もいる。嫌だという人は「ご飯を食べると眠くなることくらいいわれなくてもわかっている」「これが最近流行っていることぐらい私だって知っている」と感じたのではないだろうか。これらの例は控えめな表現を用いていることに問題がある。自明なことを「ご存知ないかもしれませんが」といった控えめな調子で教えられれば誰だって癇に障る。特に気にならなかった人は、自明なこととは捉えずに単なる情報確認だと感じたのだろう。いずれにしても人を不快にさせる危険性をはらんだ表現である。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「私って最近引っ越してきたばかりじゃないですか」
「私ってすごく忘れっぽい人じゃないですか」
この例のほうがイヤだと感じる人は多いと思う。「あなたのことなんて知るわけがない」「そんなこと誰が知るか」と腹立たしい気持ちを抱く人は少なくないはず。他人の知らないプライベートなことを「知っていて当然」という感じで共感や同意を求めているわけだから、押し付けがましくて嫌らしいと受け止められかねない。話し手だけが知っていて自分が知るはずのないことに共感を求められるのだから、不快に思うのは当然。この言い方は社会人になっても改めない人が少なくない。わかりきっていること、またその反対の知るはずのないことについて「・・・じゃないですか」という表現を使うと聞き手を不快にする…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


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今京都 おすわりやす 2009/06/07 12:00 am
おすわりやす
どうぞ座ってください。「オ〜ヤス」の敬語形式は京都ではよく用いる。「オ座りヤス」「オあがりヤス」「お座りやす、いすどっせ あんまり乗ったらこけまっせ」は京の童歌。床几や腰掛に座った子どもが、椅子の代わりになる。その子どものひざの上に他の子が一人、二人と腰をおろしていく遊戯で、椅子の代わりになった子どもが歌った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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羅漢



地蔵物語(264)


どうぞ座ってください。「オ〜ヤス」の敬語形式は京都ではよく用いる。「オ座りヤス」「オあがりヤス」「お座りやす、いすどっせ あんまり乗ったらこけまっせ」は京の童歌。床几や腰掛に座った子どもが、椅子の代わりになる。その子どものひざの上に他の子が一人、二人と腰をおろしていく遊戯で、椅子の代わりになった子どもが歌った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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羅漢



地蔵物語(264)



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今京都 なむなむ 2009/06/06 12:00 am
なむなむ
まずまず。まあまあ。「お母さんお元気ですか」と言われて、「ナムナムやってます」と答える。「今日はしんどいし、ナムナムしてよか」など、働きの鈍いさまにも使う。高齢の人は用いるが、若者は使用しなくなった。「田んぼに水がナムナムは入っている」のように満ちたさまにも。大阪商人の「もうかりまっか」と聞かれて、
「まぁ、ボチボチだすな」のような表現は京都ではあまり使わない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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マニア・オタク (旧フォトヴィレッジ 2007年7月27日掲載)
世の中には色々なマニアがいる。最も多いのが「鉄道マニアかも…」と思っている。誰しも自分のお友達の中にひとりやふたりは必ず「鉄道マニア」がいるような気がする。今日は、鉄道マニアのお友達に教えてもらった、というより半強制的に聞かされた、お話をひとつ。

JRには、東京・大阪・福岡の各近郊区間だけに通用する「大都市近郊区間内の乗車券」という運賃規定があるそうだ。どういうことかというと、例えば、JRで京都から大阪までの行き方としては、
(1)東海道線の下りを利用して新快速で27分
という行き方だけでなく、
(2)京都から奈良線で木津、木津から片町線で京橋、京橋から環状線で大阪駅
と、ぐるっと遠回りして、たどり着くこともできるというもの。しかも、この二つルートは同じ金額で行けるというから驚き。

このカラクリは、JRの「運賃計算の特例−大都市近郊区間内の乗車券」にあるという。この乗車券は、大阪近郊区間でみれば、西は赤穂線の播州赤穂、北は山陰線の園部、湖西線なら近江塩津、東は東海道線の米原、さらにその先、北陸線で近江塩津までも、南は関西線の柘植から奈良を経て阪和線・和歌山線の和歌山までという広範囲。この範囲内の乗車経路を重複したり二度同じ駅を通らない限り、運賃は「最も安くなる経路を使って計算できる」となっているという。つまり、大阪近郊区間内の路線をどのように遠回りしても、最短ルートで行くのと同一運賃であるということ。こういうのを目ざとく見つけるのが「鉄道マニア」のマニアたるゆえんなんだろうなぁ…と少し感心。

で、ついでに説明してくれた(何度もいうけれど半強制的に聞かされた)のであるが、京都から一つ目の西大路駅までの切符120円を買う。これで、西大路駅まで行く最大遠回りのルートは、
京都→山科→近江塩津→米原→草津→柘植→木津→奈良→天理→高田→五条→高野口→和歌山→天王寺→西九条→大阪→西大路
となり、このルートを120円で乗り回せるという。このルートは湖西から琵琶湖をぐるりと一周したのち、草津線で三重県の柘植へ、それから関西本線、桜井線で大和路を縦貫、和歌山線で和歌山に出て、阪和線、環状線で大阪経由、西大路到着というものらしい。これはもう立派な大旅行だ。なにせ、このルート、所要時間約12時間。乗車距離465.3km。これは京都から東海道線で神奈川県の藤沢あたりに相当するらしい。さらに、このルートの途中で検札があれば、三重県にいようが和歌山県にいようが堂々と京都からの120円切符を見せればよい。なんのお咎めもないということだ。この長旅が120円というのがステキだ。ただし、切符は当日限りで、途中下車前途無効。つまり最終駅の西大路駅まで改札の外に出られないということ。スゴイ世界だと思った。

「お弁当持参で一日かけてどう?」
「京都→西大路は一駅で5分もかかんないよ。マニアとかオタクでないと行かないでしょ?」
「あのね、マニア・オタクでも滅多行かないよ。時刻表の上で見つけたらそれで満足。誰が12時間もかけて行くかいなぁ。あたしゃそんなに暇じゃない!」
「自分が行かないんだったら勧めなさんなよ。これだからマニア・オタクは理解できひん。」
「ふ〜ん、マニア・オタクは理解できひん…ね。いつも写真の話でしゃべりまくるのは、どこのどなただっけかなぁ?」
「…。」
お互いが理解しがたい「マニア・オタク」かも知れないけど、楽しくお酒を呑める間柄だということを改めて認識。こういうやり取りが続き、ワインのフルボトルが何本あくのやら…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。

まずまず。まあまあ。「お母さんお元気ですか」と言われて、「ナムナムやってます」と答える。「今日はしんどいし、ナムナムしてよか」など、働きの鈍いさまにも使う。高齢の人は用いるが、若者は使用しなくなった。「田んぼに水がナムナムは入っている」のように満ちたさまにも。大阪商人の「もうかりまっか」と聞かれて、
「まぁ、ボチボチだすな」のような表現は京都ではあまり使わない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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マニア・オタク (旧フォトヴィレッジ 2007年7月27日掲載)
世の中には色々なマニアがいる。最も多いのが「鉄道マニアかも…」と思っている。誰しも自分のお友達の中にひとりやふたりは必ず「鉄道マニア」がいるような気がする。今日は、鉄道マニアのお友達に教えてもらった、というより半強制的に聞かされた、お話をひとつ。

JRには、東京・大阪・福岡の各近郊区間だけに通用する「大都市近郊区間内の乗車券」という運賃規定があるそうだ。どういうことかというと、例えば、JRで京都から大阪までの行き方としては、
(1)東海道線の下りを利用して新快速で27分
という行き方だけでなく、
(2)京都から奈良線で木津、木津から片町線で京橋、京橋から環状線で大阪駅
と、ぐるっと遠回りして、たどり着くこともできるというもの。しかも、この二つルートは同じ金額で行けるというから驚き。

このカラクリは、JRの「運賃計算の特例−大都市近郊区間内の乗車券」にあるという。この乗車券は、大阪近郊区間でみれば、西は赤穂線の播州赤穂、北は山陰線の園部、湖西線なら近江塩津、東は東海道線の米原、さらにその先、北陸線で近江塩津までも、南は関西線の柘植から奈良を経て阪和線・和歌山線の和歌山までという広範囲。この範囲内の乗車経路を重複したり二度同じ駅を通らない限り、運賃は「最も安くなる経路を使って計算できる」となっているという。つまり、大阪近郊区間内の路線をどのように遠回りしても、最短ルートで行くのと同一運賃であるということ。こういうのを目ざとく見つけるのが「鉄道マニア」のマニアたるゆえんなんだろうなぁ…と少し感心。

で、ついでに説明してくれた(何度もいうけれど半強制的に聞かされた)のであるが、京都から一つ目の西大路駅までの切符120円を買う。これで、西大路駅まで行く最大遠回りのルートは、
京都→山科→近江塩津→米原→草津→柘植→木津→奈良→天理→高田→五条→高野口→和歌山→天王寺→西九条→大阪→西大路
となり、このルートを120円で乗り回せるという。このルートは湖西から琵琶湖をぐるりと一周したのち、草津線で三重県の柘植へ、それから関西本線、桜井線で大和路を縦貫、和歌山線で和歌山に出て、阪和線、環状線で大阪経由、西大路到着というものらしい。これはもう立派な大旅行だ。なにせ、このルート、所要時間約12時間。乗車距離465.3km。これは京都から東海道線で神奈川県の藤沢あたりに相当するらしい。さらに、このルートの途中で検札があれば、三重県にいようが和歌山県にいようが堂々と京都からの120円切符を見せればよい。なんのお咎めもないということだ。この長旅が120円というのがステキだ。ただし、切符は当日限りで、途中下車前途無効。つまり最終駅の西大路駅まで改札の外に出られないということ。スゴイ世界だと思った。

「お弁当持参で一日かけてどう?」
「京都→西大路は一駅で5分もかかんないよ。マニアとかオタクでないと行かないでしょ?」
「あのね、マニア・オタクでも滅多行かないよ。時刻表の上で見つけたらそれで満足。誰が12時間もかけて行くかいなぁ。あたしゃそんなに暇じゃない!」
「自分が行かないんだったら勧めなさんなよ。これだからマニア・オタクは理解できひん。」
「ふ〜ん、マニア・オタクは理解できひん…ね。いつも写真の話でしゃべりまくるのは、どこのどなただっけかなぁ?」
「…。」
お互いが理解しがたい「マニア・オタク」かも知れないけど、楽しくお酒を呑める間柄だということを改めて認識。こういうやり取りが続き、ワインのフルボトルが何本あくのやら…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。


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天を仰いで思うこと うさる 2009/06/05 12:00 am
うさる
ありあまる。流行がすたれるの意。失せてしまうから。「この品物はどこの店にもウサルほどある」「去年はやったのに、もうウサってしもた」のように流行遅れの意味もある。ハヤリウサリは流行し、廃れること。江戸時代の『両京俚言考(りょうきょうりげんこう)』には「うさり、うさる流行物のふ(不)流行に成りたるをいふ。
全盛なりし人気も失せ去りたりといふ。うささりの略語ならむ」とある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(53)
お茶について思うこと

♪夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘じゃないか♪
のお茶の話。立春から数えて八十八日目にあたる日で、だいたい5月2日頃。お茶は栄西禅師(1141〜1215年)の『喫茶養生記』に「茶は養生の仙薬なり、人の寿命を延ばす妙術なり。」と記されているとおりで日本人の食生活の核となって今日まで私達の心身を養ってきた。今や世界一の長寿を誇る日本。その背景には「日本型食生活」があるといわれている。国際的にも高く評価されている「日本型食生活」に欠かせない飲み物が緑茶。緑茶に含まれるカテキン類はガン予防、コレステロール・血圧の調整、血糖の上昇抑制、血小板の凝集抑制、抗アレルギー・抗酸化・抗菌作用がある。カフェインは中枢神経を興奮、睡眠防止、強心、利尿、抗喘息作用がある。テアニンには精神をリラックスさせる作用、アルツハイマー防止作用がある。ビタミン成分には痩せる効果がある。

また中国では三千年前に著されたといわれる『神農本草経』(最古の医薬書)には「神農は一日に百草を嘗め、七十の毒に当たり、これを茶で消し…」という記載があり、解毒の作用があることが古くからわかっていた。明時代の薬物書『本草綱目』には「茶葉は、頭にできるオデキ、腫れ物を治し、利尿・通便し、痰や熱を除き、乾きを止め、眠気を覚まし…」と記載されている。ただし適度でないと「冷やす作用が強いので、飲み過ぎると脾・胃が冷えて、元気を損じ、腹痛、嘔吐など種々の害をもたらす」という事実もある。お茶をはじめ苦味を持つ食品には「体を冷やして熱を冷まし、血を止め、痛みを鎮め、神経を和らげ、利尿作用によって体内の余分な水分を排泄する、苦汁(ニガリ)が豆腐を固めるように軟らかいものを固める作用がある。苦味の食べ物は大変少なく、毎日欠乏しないように食物で摂取するのは容易ではない。緑茶で補う。昔の人はお茶を飲むときに必ず梅干と黒砂糖をお茶受けにしていた。つまり、五味(甘い、辛い、苦い、酸っぱい、塩辛い)の調和だ。
梅干…塩と赤紫蘇でつけるので、酸っぱい、塩辛い、辛いの三味一体
お茶…苦い
砂糖…甘い
で五味の調和をとっていたということだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
さて、日本茶に比べて中国茶、つまり烏龍茶との違いを少し。決定的な違いはアミノ酸の量だという。日本茶、特に玉露や煎茶にはアミノ酸が豊富に含まれている。したがって、お茶を飲みすぎると満腹感となる。一方、烏龍茶は玉露や煎茶よりはアミノ酸が少ない。烏龍茶をたくさん飲んでもお腹がタップタップしないのはそういうところにある。さらに、カフェインの量も玉露や煎茶より少ない。簡単に表現すると、玉露や煎茶などはいくら熱いお茶を飲んでも身体を冷やす効果があり、烏龍茶は逆に体内を燃焼させる効果がある、ということだ。ダイエットに烏龍茶がよいといわれている要因もこの燃焼である。これからの季節、冷房などによる身体の冷えには注意したいところだ。烏龍茶で冷え予防、これが一番の効果かもしれない。いずれまた、お茶講釈をしてみたい…と、天を仰いで思うこと。

ありあまる。流行がすたれるの意。失せてしまうから。「この品物はどこの店にもウサルほどある」「去年はやったのに、もうウサってしもた」のように流行遅れの意味もある。ハヤリウサリは流行し、廃れること。江戸時代の『両京俚言考(りょうきょうりげんこう)』には「うさり、うさる流行物のふ(不)流行に成りたるをいふ。
全盛なりし人気も失せ去りたりといふ。うささりの略語ならむ」とある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(53)
お茶について思うこと

♪夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘じゃないか♪
のお茶の話。立春から数えて八十八日目にあたる日で、だいたい5月2日頃。お茶は栄西禅師(1141〜1215年)の『喫茶養生記』に「茶は養生の仙薬なり、人の寿命を延ばす妙術なり。」と記されているとおりで日本人の食生活の核となって今日まで私達の心身を養ってきた。今や世界一の長寿を誇る日本。その背景には「日本型食生活」があるといわれている。国際的にも高く評価されている「日本型食生活」に欠かせない飲み物が緑茶。緑茶に含まれるカテキン類はガン予防、コレステロール・血圧の調整、血糖の上昇抑制、血小板の凝集抑制、抗アレルギー・抗酸化・抗菌作用がある。カフェインは中枢神経を興奮、睡眠防止、強心、利尿、抗喘息作用がある。テアニンには精神をリラックスさせる作用、アルツハイマー防止作用がある。ビタミン成分には痩せる効果がある。

また中国では三千年前に著されたといわれる『神農本草経』(最古の医薬書)には「神農は一日に百草を嘗め、七十の毒に当たり、これを茶で消し…」という記載があり、解毒の作用があることが古くからわかっていた。明時代の薬物書『本草綱目』には「茶葉は、頭にできるオデキ、腫れ物を治し、利尿・通便し、痰や熱を除き、乾きを止め、眠気を覚まし…」と記載されている。ただし適度でないと「冷やす作用が強いので、飲み過ぎると脾・胃が冷えて、元気を損じ、腹痛、嘔吐など種々の害をもたらす」という事実もある。お茶をはじめ苦味を持つ食品には「体を冷やして熱を冷まし、血を止め、痛みを鎮め、神経を和らげ、利尿作用によって体内の余分な水分を排泄する、苦汁(ニガリ)が豆腐を固めるように軟らかいものを固める作用がある。苦味の食べ物は大変少なく、毎日欠乏しないように食物で摂取するのは容易ではない。緑茶で補う。昔の人はお茶を飲むときに必ず梅干と黒砂糖をお茶受けにしていた。つまり、五味(甘い、辛い、苦い、酸っぱい、塩辛い)の調和だ。
梅干…塩と赤紫蘇でつけるので、酸っぱい、塩辛い、辛いの三味一体
お茶…苦い
砂糖…甘い
で五味の調和をとっていたということだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
さて、日本茶に比べて中国茶、つまり烏龍茶との違いを少し。決定的な違いはアミノ酸の量だという。日本茶、特に玉露や煎茶にはアミノ酸が豊富に含まれている。したがって、お茶を飲みすぎると満腹感となる。一方、烏龍茶は玉露や煎茶よりはアミノ酸が少ない。烏龍茶をたくさん飲んでもお腹がタップタップしないのはそういうところにある。さらに、カフェインの量も玉露や煎茶より少ない。簡単に表現すると、玉露や煎茶などはいくら熱いお茶を飲んでも身体を冷やす効果があり、烏龍茶は逆に体内を燃焼させる効果がある、ということだ。ダイエットに烏龍茶がよいといわれている要因もこの燃焼である。これからの季節、冷房などによる身体の冷えには注意したいところだ。烏龍茶で冷え予防、これが一番の効果かもしれない。いずれまた、お茶講釈をしてみたい…と、天を仰いで思うこと。

