rrbのブログ - 2018/03のエントリ
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天を仰いで思うこと オーシャンビュー 2018/03/23 12:00 am
「オーシャンビュー」という言葉で、窓から見える海はどの方向だと想像する? 東か西か、それとも南か。場合によっても北もある。私はついつい西をイメージしてしまい、夕陽が見えると想像。ホテルのパンフなどに水平線近くにある太陽とともに露天風呂に入っている写真を見ると、夕陽を見ながらのんびり…と想像してしまう。説明書きを読むと、「サンライズ(sunrise)」の文字が。日の出を見ながら露天風呂? 「サンセット(sunset)」、つまり夕陽を見ながらの露天風呂のほうがしっくりくるでしょ! そう感じるのは私だけ?
上の写真、1枚目は夕陽で2枚目は朝日。説明を加えなければ違いがわからない。西を望むか東を望むか。私は西を望みたい…と、天を仰いで思うこと。
上の写真、1枚目は夕陽で2枚目は朝日。説明を加えなければ違いがわからない。西を望むか東を望むか。私は西を望みたい…と、天を仰いで思うこと。
風呂と結びつくと夕陽をイメージするよね
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今京都 「写メ」という言葉 2018/03/22 12:00 am
「写メ」とはガラケー時代の言葉。「写メして」と使われていた。現在のスマホ時代、イヤ、スマホ世代としたほうがいいかもだが、「写メ」とは言わない。「インスタ」である。インスタグラムのインスタではない。インスタントカメラのインスタである。言葉は時代とともに変化し、言葉にも市民権がある。『広辞苑』等に掲載されるようになると市民権を得たことになる。時折、辞書を読むのはおもしろい…という今京都。
《京都・市内》
《京都・市内》
天を仰いで…調やね
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今京都 岬神社(土佐稲荷) 2018/03/21 12:00 am
以前に掲載したけれど、たまたま通りかかったので寄ってみた岬神社。蛸薬師通の河原町通と木屋町通の間にある岬神社。
室町幕府完成の10年後、1348(貞和4)年に鴨川西岸、岬のように出っ張った所に祠を建てて祀られたのが始まり。江戸初期になると、少し西に位置する備前島町に建てられた土佐藩京屋敷に遷座されたとき、倉稲魂命(くらないたまのみこと)・石栄神(せきえいかみ)の2座を祭神とした。
土佐藩邸の庭に祀られることになったので、それ以来、「土佐稲荷」と呼ばれるようになった…という今京都。
《京都・岬神社》
室町幕府完成の10年後、1348(貞和4)年に鴨川西岸、岬のように出っ張った所に祠を建てて祀られたのが始まり。江戸初期になると、少し西に位置する備前島町に建てられた土佐藩京屋敷に遷座されたとき、倉稲魂命(くらないたまのみこと)・石栄神(せきえいかみ)の2座を祭神とした。
土佐藩邸の庭に祀られることになったので、それ以来、「土佐稲荷」と呼ばれるようになった…という今京都。
《京都・岬神社》
暑さ寒さも彼岸まででよ…とは言ってないか
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今京都 新京極通 2018/03/20 12:00 am
新京極通(しんきょうごくどおり)は、京都市中京区の南北の通りの一つ。三条通から四条通までの比較的短い通りで、1872年に京都府参事槇村正直によって作られた。
かつては広大な寺域を誇った時宗十二派の四条派の金蓮寺が、18世紀末から寺域の切り売りをはじめ、明治以前に売却地に料亭・飲食店・商店・見世物小屋が建っていた。一つ隣の寺町通(寺町京極)に集まる寺院の境内が、縁日の舞台として利用されるようになり、人が多く集まったため、各寺院の境内を整理し、寺町通のすぐ東側に新しく道路を造ったのが新京極通のはじまり。
明治の中頃には見世物小屋や芝居小屋が建ち並び、現在の繁華街の原型ができた…という今京都。
《京都・新京極通》
かつては広大な寺域を誇った時宗十二派の四条派の金蓮寺が、18世紀末から寺域の切り売りをはじめ、明治以前に売却地に料亭・飲食店・商店・見世物小屋が建っていた。一つ隣の寺町通(寺町京極)に集まる寺院の境内が、縁日の舞台として利用されるようになり、人が多く集まったため、各寺院の境内を整理し、寺町通のすぐ東側に新しく道路を造ったのが新京極通のはじまり。
明治の中頃には見世物小屋や芝居小屋が建ち並び、現在の繁華街の原型ができた…という今京都。
《京都・新京極通》
修学旅行生も多いよね
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今京都 黄色い提灯 2018/03/19 12:00 am
赤色は多いけど、黄色い提灯。京都ではあまり見かけない気がするが、黄色は意外と目を引くことを発見。他にもないか探してみよう…という今京都。
《京都・中京区》
《京都・中京区》
黄色い地用珍は目を引くね