rrbのブログ - 2016/04/11のエントリ
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おやかまっさん 厄介な大人が誕生する経緯 2016/04/11 12:00 am
なんでも思い通りになると感じていたものが、どうも思い通りにならないものらしいとわかり始めるのは何歳くらいか?ふつうは、幼児期の後半から、遅くても小学校に入学する前後には、「どうも世の中は期待通りに動くとは限らない」とだんだん判明してくる。天気になるはずの遠足の日が雨になったり、大好きな先生が転勤で、あまり好きではない先生が担任になったり…。
この思うようにならないストレスを、親に対してぶつける「反抗期」ってやつは、ふつうは14〜17歳の頃だ。小学校の前後に感じるのは、大人の社会に対する複雑な思いではなく、思い通りにいかない苛立ちや自分自身への苛立ちである。
「全能」だと感じていた自分に、じつは「限界」があることを知る。親の助けがあったからできた、助けがないと自分だけではできない。その当たり前のことに気づく、とまどいもある。
自分にはできない。でも周囲には、それをうまくやっているヤツがいる。自分が病気で休んでも、クラスのみんなは遠足に行ってしまう。
直前.にケガをして走れなくても、運動会は滞りなく行われる。こうした体験を重ねて、「どうやら世界は自分を中心にまわっているのではない」ことを発見する。こういう葛藤を経て、人は大人になっていくのである。
大人のなかには、そんな葛藤を経験せずに大人になった人もいる。また、経験しているのに現在の立場におぼれてしまう人もいる。周囲の迷惑を顧みず、「世界の中心は自分」という人だ。
バブル時代に「自分の気持ち至上主義」とも呼べるライフスタイルがあった。自分にあうと思われるものを、買わせるためでもあった。多くの日本人が、この風潮に酔ってしまったのである。
「自分がいちばんカワイイ」から電車の中で化粧するのも平気。「自分の気持ちをいちばんに考える生き方がステキ」だから、子どもをクルマに放ったまま、パチンコをするのもOK。
「自分の気持ち至上主義」で生きた世代や育てられた世代が、そのまま子育て世代になれどうなるか、想像に難くない。
次のようなモンスターペアレンツが現れることもある。
「頼んだわけではないのだから、学校の給食で『いただきます』を言わせるな」
「卒業アルバムに、うちの子どもの写真が少ない、撮りなおせ」
つまり「自分の気持ち至上主義」が「自分の子ども至上主義」につながる。
こうして厄介な大人たちが誕生していくのである…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《神戸》
この思うようにならないストレスを、親に対してぶつける「反抗期」ってやつは、ふつうは14〜17歳の頃だ。小学校の前後に感じるのは、大人の社会に対する複雑な思いではなく、思い通りにいかない苛立ちや自分自身への苛立ちである。
「全能」だと感じていた自分に、じつは「限界」があることを知る。親の助けがあったからできた、助けがないと自分だけではできない。その当たり前のことに気づく、とまどいもある。
自分にはできない。でも周囲には、それをうまくやっているヤツがいる。自分が病気で休んでも、クラスのみんなは遠足に行ってしまう。
直前.にケガをして走れなくても、運動会は滞りなく行われる。こうした体験を重ねて、「どうやら世界は自分を中心にまわっているのではない」ことを発見する。こういう葛藤を経て、人は大人になっていくのである。
大人のなかには、そんな葛藤を経験せずに大人になった人もいる。また、経験しているのに現在の立場におぼれてしまう人もいる。周囲の迷惑を顧みず、「世界の中心は自分」という人だ。
バブル時代に「自分の気持ち至上主義」とも呼べるライフスタイルがあった。自分にあうと思われるものを、買わせるためでもあった。多くの日本人が、この風潮に酔ってしまったのである。
「自分がいちばんカワイイ」から電車の中で化粧するのも平気。「自分の気持ちをいちばんに考える生き方がステキ」だから、子どもをクルマに放ったまま、パチンコをするのもOK。
「自分の気持ち至上主義」で生きた世代や育てられた世代が、そのまま子育て世代になれどうなるか、想像に難くない。
次のようなモンスターペアレンツが現れることもある。
「頼んだわけではないのだから、学校の給食で『いただきます』を言わせるな」
「卒業アルバムに、うちの子どもの写真が少ない、撮りなおせ」
つまり「自分の気持ち至上主義」が「自分の子ども至上主義」につながる。
こうして厄介な大人たちが誕生していくのである…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《神戸》
自由には責任がともない、権利にも義務がともなう、を忘れたらあんということや