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rrbのブログ - 2016/04のエントリ

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天を仰いで思うこと でも 2016/04/22 12:00 am

「でも」という言葉は不思議だと思う。
たとえば、「死んでもあなたと暮らしていたい」と言った場合、「死んでからも」という意味である。一方、「死んでも嫌だ」と言った場合、「死んだとしても」という意味となる。同じ「死んでも」であるが、その次に続く言葉により意味が変化する。
「でも」という言葉というより、同じ字面・音であっても、それに続く文面により意味が異なる。この面白い現象は、日本語特有かもしれない…と、天を仰いで思うこと。

またまた、面白いことを考えるね、ちゃんと仕事してるのかな?と心配になるよ

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おやかまっさん お前 2016/04/21 12:00 am

夫婦が「いつまでも、仲よく暮らしていきましょう」ということを、『お前百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の生えるまで』という。これは、妻が、夫に対して、言った言葉である。夫の年齢が100才、妻の年齢が99才になるまで、末長く、仲よく暮らしたいという願いが、こめられている。

「お前」とは、妻が夫を呼ぶときに使う言葉。古くは、目上の人に対する尊敬語として使った。「百」は100才のこと。「わしゃ」は、「わし」のことで、「わたくし」を短くした言葉であり、この場合は妻自身を示す。「九十九」は99才。

さて、この言葉、てっきり男性が女性に発したものだと思っていた。思い込みはあかんということだ。調べて正しく理解しておきたい。

「お前さん」
「なんだい?」
「なんもないよ、お前さん」
「おかしな奴だなぁ」
そんな甘いやり取り…無縁だぁ〜!…ということで、どうも、おやかまっさんどした。


《京都・首途八幡宮(かどで はちまんぐう)界隈》

人って思い込みが激しいところがあるよね、正しく理解することは大切だね

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今京都 千本通り 2016/04/20 12:00 am

京都に「千本通り」という通りがある。『京都大辞典』によると、この名称は、承久年間(1219〜22)、船岡山西麓にあった葬送の地、蓮台野へ至る道に供養のために千本の卒塔婆を建てたことによるという。
この千本通りと今出川通りが交わる千本今出川界隈は結構面白い。
以前に「今京都」で掲載したが、まず、 千本釈迦堂 があり、ここにはお釈迦さんと観音さんが居る。
次に「釘抜地蔵」で親しまれている 石像寺 。ここにはお地蔵さんと阿弥陀さんが居る。
そして「千本えんま堂」で親しまれている 引接寺 。ここには閻魔さんが居る。
「お釈迦さんの教えを聞いて、観音さんとお地蔵さんが力をあわせ、閻魔さんに阿弥陀さんの国に行けるようにお願いする」という一つの物語が完成する。
4月の上旬に釘抜地蔵と千本釈迦堂を訪れながら、そんなことを考えていた…という今京都。


《京都・千本釈迦堂》


《京都・釘抜地蔵》


《京都・千本えんま堂》

今までとちょっと趣向が違う『今京都』やね。いいやん!

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今京都 新学期/諸説あり 2016/04/19 12:00 am

欧米などでは9月から新学期が始まるが、日本では4月から新学期が始まる。なぜ日本では4月からなのか…ざっくりと調べてみた。

4月を新学期とする制度が取り入れられたのは、1887(明治20)年、高等師範学校でのことだそうだ。理由は、当時の師範学校の学資は全額が給費されていたうえ、寄宿舎など財政補助によって成り立っているものが多かった。それが、前年の1886(明治19)年に国の予算会計年度が4月から翌年の3月という区切りに変更になった為、会計年度と新学期が同じほうが便利…という理にかなった話だ。

それもいいが、こんな理由はどうだろうか。ドンヨリとした日が続く冬が明け、華やかな春が訪れる。人々の心にはどこか晴れやかな気持ちが芽生え、「さぁ、これから勉強に頑張るぞ」「これから社会人として頑張る」とポジティブになりやすい。
一方で個人的には9月または10月始まりも賛成である。年度の区切りに長〜い夏休みを置く。夏休みが終わり、さぁ新年度の始まりだ…というのもいいのではないか。
会計年度がどうのこうのというより、こんな理由のほうが楽しいのでは…ということで、どうも、おやかまっさんどした。


《京都・安井神社》

調べると残念というか色気のない理由が多いよね

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今京都 清めたいのは 2016/04/18 12:00 am

寺社仏閣の写真撮りで自分にとって外せない場所のひとつが手水舎である。同時に、参拝に欠かせないのも手水である。目には見えない自分についた罪や穢れを祓うため、参拝の前に必ず手と口を清めるのが作法。その際、「祓いたまへ 清めたまえ」と心で唱えたり、口で言ったりするのがよいとか…。

「この水、きれいなん?」
「えっ、これどうすんの?」
「意味あるん?」

手水舎で、そんな会話が最近増えたようです。清めたいのは、軽々しくも騒々しくもある、その会話かも…と撮りながら感じることもシバシバ。その前に、「人のふり見て我がふり直せ」だな…ということで、どうも、おやかまっさんどした。




《京都・安井神社》

写真を撮っていると色々な発見があるよね

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