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天を仰いで思うこと その声はいまも 2012/03/14 12:00 am

の声はいまも
『現代詩手帖』(2011年6月号)に収録されている高良留美子さんの詩「その声はいまも」が天声人語(2012年1月28日付『朝日新聞』)で、紹介された。

あの女(ひと)は ひとり わたしに立ち向かってきた
南三陸町役場の 防災マイクから その声はいまも響いている
わたしはあの女(ひと)を町ごと呑み込んでしまったが
その声を消すことはできない

ただいま津波が襲来しています 高台へ避難してください
海岸近くには 絶対に近付かないでください

わたしに意志はない
時がくれば 大地は動き 海は襲いかかる
ひとつの岩盤が沈みこみ もうひとつの岩盤を跳ね上げたのだ
人間はわたしをみくびっていた

わたしの巨大な力に あの女(ひと)は ひとり 立ち向かってた
わたしはあの女(ひと)の声を聞いている
その声のなかから いのちが蘇るのを感じている
わたしはあの女(ひと)の身体を呑みこんでしまったが
いまもその声は わたしの底に響いている


津波を擬人化した「わたし」。「あの女(ひと)」とは、最後まで避難を呼びかけた宮城県南三陸町の職員、遠藤未希さんのことである。天声人語は、遠藤さんは、埼玉県の道徳の副読本に載るとも伝えている。この詩、余計な解説などは要らないと思う。ひとつひとつをしっかり読めば、心の中に何かが生まれるはずだ。人類は英知を絞り繁栄してきたが、地球の振動ひとつでいとも簡単に壊滅状態に追い込まれる。恐るべきは自然の営み。あれから1年。「今、私にできることは何だろう」と考えるが、非力な自分がそこにいるだけだった…と、天を仰いで思うこと。




 

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天を仰いで思うこと 言葉 2012/03/09 12:00 am


「森の生活」を書いた米国の随筆家ソローは忘れがたい言葉を多く残した。たとえば、「ほんの一瞬でも、お互いの立場から世界を見ることができれば奇跡が起こるだろう」。とかく自分の立場にこだわりがちな人間への、時代を超えたメッセージと読める。
以上は、天声人語(朝日新聞、2012年2月10日)からの引用である。今日は「言葉」「ことば」について考えてみる。
私たち人類が、他の生命体と最も異なるのは「言葉」を使うところだろう。『広辞苑』で「言葉」を調べると、「ある意味を表わすために、口でいったり字に書いたりするもの。語。言語。」とある。

かつての偉人は数々の含蓄のある言葉を残している。今、本屋さんに、たくさん並んでいるピーター・ファーディナンド・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)の言葉などもそうだ。天声人語の記事をきっかけに、『ソロー語録』(文遊社)なるものを買った。124ページもので1600円(税別)。ちょっと高い買い物だ。



ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)は、1817年アメリカに生まれる。ソローは、詩人、作家、思想家、ナチュラリストなど多彩な顔をもつ。また、ソローの言葉は、誰よりも深く考え、実践し、今日の自然保護思想・政治思想などに大きな影響を与え続けているという。

その本の、あるページに、「自分自身を知ることは、振り向かずに後ろを見るのと同じくらい難しい」という言葉がある。言われてみれば簡単で納得できることであるが、「振り向かずに後ろを見る」ということをもってくることができるかどうかが問題だ。このあたりに非凡さを感じる。日常的に使っている言葉であるが、深く考え、選んで使用することは少ない。言葉を考えて選ぶという行為は、とても重要であると気づかされる。

しかし、一方、現代社会では、その言葉が乱れていると指摘されている。私たちは自分の思いなどを言葉でしか伝えることが出来ないのに、その言葉を真摯に扱っていないのではないか。人が発する言葉は、その人の心を100%表わすことができないのも事実である。だからこそ、言葉の重みや大切さを、もっと理解していく必要があるのではないだろうか。

私たちは言葉によってしか生きられないのである。たった一言が人を傷つけることもあれば、人の胸を打つこともある。私たちは今一度、言葉が持つ力について再考すべき時にきているのではないか。



ソローは言う。「重要なのは、何を見るかではなく、何が見えてくるかである。」と。
さらに言う。「何も変りはしない、変るのは僕らだ。」と。
もっと心に響く言葉があった。「友人のために僕ができることは、ただ彼の友達でいることである。」と。
あえて解説の必要はない言葉だ。特別に何かをする必要はなく、ただただ友達でいつづけることが大切なことだ。

私たちが言葉の使い方を正すだけで、言葉の乱れが指摘されている現代社会を変えることができるのではないだろうか…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 薄氷 2012/03/05 12:00 am


先日、新聞を読んでいると「うすらい(正確には「うすらひ」」という言葉が出ていた。漢字では「薄氷」と書く。『広辞苑』では、「薄ら氷」となっているが、『古語辞典』では「薄氷」となっている。
通常、「薄氷」は「はくひょう」と読む。けれど、「うすらひ」という読み方の方がステキな響きだと思う。
意味は、どちらの読みでも変わらずだ。だったら、「うすらひ」を使っていきたい…という今京都。




 

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