ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2010 1月 » »
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 1 2 3 4 5 6
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - 2010/01のエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

今京都 てんご 2010/01/11 12:00 am

んご
いたずら。悪ふざけ。冗談。「お兄ちゃんテンゴばっかりしたはる」「テンゴ言うてはるのやろ」 ふざけることを「てんごう」とも言った。「転合・転業」と書くのは当て字。「癲狂」(てんきょう)からか。癲狂は癇癪と狂気の意味。「テンゴばかりしていると大怪我のもとやで」と注意したものである。江戸時代に、いたずら書きを「てんごう書き」、ふざけた酒の飲み方を「てんごう飲み」と言った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ジオ塔
昭和初期にラジオを共同で聴くために建てられた「ラジオ塔」の遺構が京都市内の公園に現存している。



ラジオ塔は、家庭にラジオが普及していなかった1930(昭和5)年に大阪市の天王寺公園に初めて建てられ、戦時中にかけて全国の公園や広場に造られた。多くはNHKや自治体が設け、コンクリートや石で造った高さ2〜3mの塔の中に受信機と拡声器を備えていた。



京都では82年に修復された東山区の円山公園、上京区の橘公園、北区の船岡山公園・紫野柳公園・小松原公園、左京区の萩公園など計8基の確認がされている。北区の船岡山公園では、ラジオ体操愛好団体が市に修復依頼をしているとのことだ。



やがて、このラジオ塔から「ラジオ体操第一用意…」という音声が復活するのだろうか…今京都。


 

このエントリーの情報

おやかまっさん なきみそ 2010/01/10 12:00 am

きみそ
泣き虫。よく泣く人。「太郎はナキミソや」 ミソはヘス(圧す)に基づく。ベシ、ベソからミソになった。ナキとも。「あの子はナキで困ります」 動詞「泣く」を名詞化した。ませた人をマセ、いらつく人をイラチという類。西陣織屋では茹でた枝豆をナキマメと言った。「ウデーマメ、サヤマメ」と売りに来た。秋口に茹で豆を食べるころから夜なべが始まり、その辛さから泣き豆と名づけた。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

蔵物語(289)と



この「地蔵物語」はどこまで続くのだろうか? と気になる時がある。京都にお地蔵さんが多いことは、お地蔵さん地蔵物語お盆(4)地蔵盆の雰囲気で伝えたとおりである。それらのことがきっかけで「地蔵物語」としてシリーズ化していったのだが、今回で289回。写真の在庫を確認しても300回は軽くいきそうだ。それでも全てを撮り終わっているわけではないから先が見えない。京都の町を散策しては撮り溜めているが、完全制覇がくるのだろう、と気が遠くなりそうだ。一度撮ったものはチェックしているから重複はないと自負しているが、ある町内の分は怪しい状況となっている。まぁ、続けられる限り続けたい。



一方、羅漢さんは確実に同じ羅漢さんを掲載している。理由は、同じ羅漢さんでも、撮った日・カメラ・レンズ・アングルが違ったりしているからだ。今季の冬は雪に埋もれる羅漢さんを撮りたいと考えているが、あいにく、積雪はまだない。年末年始や先日の寒波でも積雪がないのは珍しい。それだけ温暖化が進んだということか。撮りたいシーンがなかなか撮れないのは辛いが、自然現象だけに、焦ってもしかたないと割り切るしかない。



話は変わるが、お友達のブログを年末から全く訪問できていないのが辛い。年末年始の雑多で、年末年始のご挨拶もできていないという無礼を働いている。この場を借りて、心からお詫び申し上げたい。なんとか今の課題を解決し、いつもの「おはようございます」という決まりセリフで訪問したい。もうしばらく無礼を許してくだいませ。
さて、今年も羅漢さんと地蔵物語には何かとお世話になりそうだ…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


 

このエントリーの情報

今京都 おことーさんどす 2010/01/09 12:00 am

ことーさんどす
年末になって、正月の準備に忙しいときにいう。むかし商人は、集金先でオコトーサンドスとあいさつした。「ご繁盛で何より結構です」ということ。「事多し、お事の多いことです」の意味から。大晦日にお茶屋に入る舞妓・芸妓もオコトーサンドスと言った。祇園花街では12月13日は「事始め」で、舞妓・芸妓は芸事の師匠にあいさつに行く。商家では別家から本家へ鏡餅を持参するしきたりがあった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

折神社
京福電車嵐山線(嵐電)には、読み方が難しい駅名が多い。蚕ノ社(かいこのやしろ)、太秦(うずまさ)、帷子ノ辻(かたびらのつじ)、有栖川(ありすがわ)、車折(くるまざき)、鹿王院(ろくおういん)…。京都の人には当り前になっているが、いちど頭をまっさらにして、漢字を眺めてみると、こんなに読みづらい地名が続く観光地は他にないような気がする。



蚕ノ社、太秦の地名は、秦氏の渡来文化によることが知られている。しかし、問題は車折である。読もうとすれば「くるまおり」と読めるところを「くるまざき」と読む。それに考えてみたら、京都の古社で「車」などとつく名前は、少なくとも牛車(ぎっしゃ)の登場後ではないか。車折とは通称名なのか、それとも、もとは別の名称があったのかもしれない。それから、車折神社といえば芸能人がお詣りに行くので有名な神社。芸能の神様である「芸能神社」が境内にあって、有名人の名前も随所に読める玉垣がどんどん境内に延びている。そのことと車折は、何かつながりがあるのだろうか。こういう疑問が沸き起こる。





そもそも車折神社の名前の由来は、後嵯峨天皇(1242〜46)が大堰川(おおいがわ)へ行幸する際、神社の前にある石のそばを通りかかると、急に車の轅(ながえ・牛に引かせる二本の長柄)が折れた。天皇はここに清原頼業が祀られていることを知り、非礼をわびて「車折大明神」の神号と正一位の位を贈った。こうして「車折神社」の名がついたのだという。この神社はもともと清原頼業、すなわち経書(けいしょ)と法律の大学者であった人を子孫が祀った「宝寿院」というお寺であった。





古くは「車折神社」でなく、「車前神社」や「車裂神社」の漢字が使われていたそうだ。それが「車析神社」に統一され、さらに現在の「車折神社」と書かれるようになったのは江戸時代末期からとのことだ。後嵯峨天皇の命名からすれば「車前」や「車裂」はその意味をよく表わしている。地名に松前を「まさき」と読む例があるように、前には「先」という意味があり、古くは前と先を同意語のように使っていたことが考えられる。漢和辞典を見ると、裂は「裂(さ)く」と読み「さける、ばらばらに分かれる」。そして「析」にも同様に「さく(割く)」という意味が紹介されている。現在使われている「折」の手偏は「析」の木偏が誤り伝わった形、とも書いてある。



「車折」にいたる漢字の変遷が、おぼろげながらも見えてくる。「車前」や「車裂」は意味通りではあるが、神社名としてふさわしくなかったのかもしれない。また江戸時代には「析」の字がいまよりもっとひんぱんに使われていたのに、現在「分析」や「解析」にしか用いないように、「車析」もまた「車折」に改められたのではないか、などと勝手に想像してみたり。



このややこしい神社名を世に送り出すきっかけとなったその石。後嵯峨天皇の前で神威をあらわし車の轅を折ったとされる石が境内にあるという。拝殿に向かって右手前、石垣と木々に囲われ、注連がはられて、ひっそりと小さな石が祀られていた…今京都。


 

このエントリーの情報

今京都 またにする 2010/01/08 12:00 am

たにする
またこの次にする。「その話やったらマタニシてんか」「結構なお話どすけどマタニシておくれやす」 あからさまに拒否するのでなく婉曲なことわり方。訪問販売を受けたときなどの断りの表現に「また貰いまっさ」という。「今日は忙しおすさかいマタモライマッサ」と婉曲に断る。「またもや、またしても」の表現はマタゾロである。「ちゃんと断ったのにマタゾロ来やはった」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

都の大学



学問の都として古くからの伝統を持つ京都は、現在も全国有数の大学都市として知られている。ちょっと古いが、2001(平成13)年度の調査では、京都市内に所在する大学(4年制・短大)は37校で、その学生数は約13万6000人(京都市総人口の約1割)にのぼり、学生数の人口比は全国の大都市で第1位となっている。ちなみに同年度、東京都区部は126校・約48万人、大阪市では17校・約3万7000人だった。このような現在につながる大学の制度は、1886(明治19)年の帝国大学令にもとづく帝国大学(現在の東京大学)の創立に始まる。これに続く2番目の帝国大学として設立されたのが、京都帝国大学(現在の京都大学)だ。明治以降、官立の帝国大学とは別に、私立の学校が次々と創立された。京都では早くから同志社英学校(現在の同志社大学)や京都法政学校(現在の立命館大学)が創立されたほか、京都に本山を置く仏教各宗派の学校も改革が進められ、明治時代に近代的な学校となった。


(神戸ルミナリエ) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

当初、最高学府としての大学と認められていたのは、官立の帝国大学に限られていが、やがて多くの私立学校が大学を名乗るようになり、1918(大正7)年の大学令施行によって、官立・私立を問わず多数の大学が大学令による最高学府として発足した。さらに戦後、教育制度が改革され、1947(昭和22)年の学校教育法施行により大学も新制大学として改編され、現在にいたる大学教育制度が整備されることになったというのが、歴史の概略だ。


(神戸ルミナリエ) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

その大学で学ぶ学生たちの動きとして、島根、千葉の両県で昨秋、女子大生が凶悪事件に巻き込まれたのを受け、京都の某女子大の学生有志が自学キャンパス周辺のパトロールや防犯マップ作りに取り組んでいると聞いた。同様の悲劇を繰り返すまいと、通学路の危険個所に目を光らせて「自分たちの身の安全は自分たちで守る」と意気込んでいるという。凶悪な事件が続く中での護身のひとつとしての動きだろうが、「頑張れ」と思わずエールを送りたくなる。
一方、京都の某私立大学の男子学生(22歳)が女性盗撮の疑いで逮捕されている。インターネットのアダルトサイトで知り合った相手と女性のスカート内を盗撮したというものだ。手口は、女性店員にひとりが話しかけている間に、もうひとりが靴の先につけたピンカメラでスカート内を撮影するというもの。ある意味、チームプレーであるが、このチームプレーは、いただけない。「親に高い学費を出してもらって、前科者となるとは何事だ」と思わず激怒したくなる。
これらのことはほぼ同時期のもだが、同じ大学生でも意識の違いがこれほどにあるのか、と驚かされる…今京都。 ※2009神戸ルミナリエの掲載は本日でおしまい。

言板
先日、「京都の釣鐘」についてお問い合わせいただいた方へ。
折り返しメールをさせていただきましたが、気になることがありますので、この場に掲載させていただきます。こちらからのメールが「迷惑ボックス」に入ってしまう可能性があります。「返信がない」とお困りではないか、と気になりましたので、受信ボックスにメールが届いていない場合は、迷惑メールボックスも確認してください。
また、万一のことを想定して、お問い合わせの内容はここ(←クリック)に掲載しています。
よろしくお願いいたします。


 

このエントリーの情報

おやかまっさん とろい 2010/01/07 12:00 am

ろい
のろい。にぶい。「何やらしてもトロイし、早速の間に合わん」 江戸時代から使用。擬態語のトロトロに基づく。トロクサイ、トロコイとも。ドンクサイともいうが、ドンは「鈍」の意。クサイは、悪臭の意味から。厭い退ける気持ちを示す接尾語。ドンナは、愚鈍な、あいにく。「へまな」の意味で、「えらいドンナことしましたな」という。「どうにもならない」はドンナラン。「そんなことしたらドンナラン」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)


年末・年始の休暇が終り、ようよう仕事モードになりつつあるが、まだまだ、正月気分ではないが休み癖が抜け切らない。最も苦しむのが、「時間への拘束」というか「時間の概念」だ。○時から会議、○時にはどこそこへ行く、○時に来訪者の予定…等々、時間に縛られっぱなしである。



考えてみれば、知能のある生命体として人間は地球上に君臨しているといっても過言ではない。しかし、その人間の行動を支配しているのは「時間」ではないかというような気がする。人の生活から「時間」というものを取り除いたらどうなるだろう? ○時△分の新幹線に乗るとか、○時△分に待ち合わせなどもなくなる。人間社会は混乱するであろうし、日々の生活もどうなることかわからない。そう考えたとき、人は時間を利用(使用)しているようだが、実際は、時間に支配されているようだ。



人が時間を計る「時計」というものを作り出さなければどうなっていただろう。日の高いうちに出発しよう、日が暮れたから帰ろう、など、やはり、目安となる時間に縛られて生活しているのには変わりないような気がするが、現在のように厳密な時間な拘束されることはないだろう。何かの目安を羅針盤に行動を起こすのは間違いないが、「おおよそ」であり、それほど楽なことはないが、待たされる側にとってみたらたまったものではない。しかし、「おおよそ」であるから、「遅い」「早い」という基準も曖昧なものになるから、特に気にすることもなくなるだろうか…。



時間の流れは一定であり、おおよそ不変的なものだ。人は、その流れに合わせて生活しているのには違いない。そう考えたとき、この世を支配しているのは「時間」ではないかと思う…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。 ※写真は神戸ルミナリエ いずれも カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4


 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

« 1 2 3 4 (5) 6 7 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop