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rrbのブログ - 2009/10のエントリ

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今京都 もみない 2009/10/06 12:00 am

みない
まずい。うまくない。モムナイともいう。「モミナイもんどすけど、食べてみとくれやす」 ウマクナイ、ウモーモナイから変化した。味気無い、不満なの意味でも使う。「こんだけの分量ではちょっとモミナイな」「見とうもない」から「みっともない」を作ったように、「美味うもない」をウモムナイとし、「ウ」を省いた。アジナイの語に押されて、モミナイという人は少なくなった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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神社 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月5日掲載)
夏の陽射しの強い中、「どこにあるのぉ!?」と自転車でグルグル走り回って、やっとたどり着いた「幸神社」。「さいのかみのやしろ」と読む。ここで愛を誓った男女の縁は永遠に結ばれると、古くから伝えられている。境内は、派手派手しさがなく、ひっそりしている。



お話は神話の時代にさかのぼる。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が複数の神々を連れて、天から日向の高千穂へ向かっていた。分かれ道にさしかかると、一行を待ち伏せる異形の神に出会った。背が高く、赤く輝く目を持ち、異様に長い鼻の男だった。



同行した一人の女神が男の前に出た。天岩屋戸に隠れた天照大神を、伏せたおけの上で踊ることで引き出すことに成功した天鈿女命(あめのうずめのみこと)だった。男と問答を繰り返すと、名前を猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)といい、一行を道案内するために参上していたことが分かる。無事に道案内の役目を果たした後、二人の神は結ばれた。



幸神社は猿田彦大神と天鈿女命をまつる。周辺地域は、平安京以前は出雲氏一族が本拠地としていたことから、主祭神の猿田彦大神は出雲路の道祖神でもあった。都ができると、平安京の鬼門の東北の神を担った。天と地を導き結んだとする二人の神にあやかり「縁結び」となったのかも知れないね。



同神社には男と女の思いをめぐる、もう一つのお話がある。それは境内の東北の隅に大小の石が重ねて置かれた石の神。道を守り、都の邪気を払うとして敬われてきた。



この石神が、おそらく狂言「石神」に登場する石神ではないかと考えられている。この狂言は夫と別れるのを石神に決めてもらうため、石を持ち上げられるかどうかをつづるものだ。境内では石神は安置され、触ったり持ち上げたりすることはできない。



社殿には色々な思いが書き込まれた多くの絵馬が飾られている。縁結びにあやかろうと参拝にきたわけでなく、「今京都」のために訪問したのではご利益がないかな、と思いつつ手を合わせて一心に祈る自分が滑稽。ここは縁結びの幸神社、御利益は「永遠の愛」ってとこかな…今京都。


 

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天を仰いで思うこと けんずい 2009/10/05 12:00 am

んずい
間食。呉音で読むと、ケンズイとなる。昔、朝夕二食のころ、今の昼食に当たる中間の食事をケンズイといった。三食の時代になって、昼食と夕食の間に食べる軽食をケンズイと呼ぶようになった。地域でケンズイの意味はさまざま。棟上げの日に出る酒や食物をいったり、新築の家に贈る米や酒をいうところもある。大工職人に出す昼食と夕食の間のケンズイもある。間水・間炊・硯水と書くのは当て字。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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を仰いで思うこと



月のお話。月見(つきみ)とは、満月など月を眺めて楽しむことで、観月(かんげつ)ともいう。月見(お月見)とは、旧暦の8月15日と9月13日に月を鑑賞すること。前者の夜を「十五夜」、後者の夜を「十三夜」と呼び、十五夜の月は、サトイモなどを供えることが多いため「芋名月」とも呼ばれる。一方、十三夜の月は、栗や豆を供えることが多いため「栗名月」又は「豆名月」とも呼ばれる。どちらか一方の月見だけをすることは、「片見月」として嫌われたというから驚きである。十五夜の月を鑑賞する習慣は中国から伝わったというが、十三夜の月見は日本独特の風習であり、平安時代に貴族たちが集まって、月を見て詩歌を詠んだのが始まりといわれる。十五夜の月は「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」とも呼ばれる。繰り返しになるが、十五夜は、中国が始まりとされる。中国では中秋節として盛大に祝い月餅を作ってお供えする。この月餅が日本に伝わって、月見団子に変ったとか。十三夜は、日本独自の風習があり、ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月または栗名月という。江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」と言って遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行うために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった、ということだ。



さて、その月だが、国によっても扱いが違う。中国・日本では、月を愛でるという習慣が古くからあり、日本では縄文時代ごろからあるといわれ、平安時代ごろから中国から月見の祭事が伝わると貴族などの間で観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などにのったりして水面に揺れる月を楽しむ)など歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。しかし、ヨーロッパでは満月は人の心をかき乱し、狂わせるものであるといわれ、月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て変身するというのは、その典型的な例。とても月を眺めて楽しむという気分にはなれなかったようだ。日本では『竹取物語』に、月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があるため、中国から観月の風習が入るまでは月に対する考えがヨーロッパと似ていたのではないかといわれている。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。また、俳諧では葉月十四日、十六日のことを特に「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でるが、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低いというから、見ることができないかも知れない。その他に、月を愛でる証として、十五夜以後、月の出はしだいに遅くなり、十六夜(いざよい)の月は山の端にいざよい、十七夜(立待月)は立ち待つほどに出、十八夜(居待月(いまちづき))は座し居て待ち、十九夜(臥待月(ふしまちづき))は臥して待ち、二十日(更待月(ふけすまちづき))には夜半近くと遅くなる、という呼称があるところからも伺える。いずれにしても、月は太陽と同じように地球にとっては大切な存在。住んでいる地域や国が違っても、みんな「おなじ月をみている」のは確かだ…と、天を仰いで思うこと。

なじ月をみている
ステキな企画(←クリック)に参画。10月2日から出張。出張先の天気が良くないとの情報だったのでカメラは持って行かなかった。ところが、晴れ。あいにく携帯電話のデタルカメラモードでしか撮れなかった。


(10月2日の月。飛行機の中から)


(10月3日の月。出張先にて)

こういうことがあるから、やはりカメラはいつも持っていかないとダメね。大いに反省。そうそう、企画された方の「おなじ月をみている」はここ(←クリック)。


 

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今京都 むしやしない 2009/10/04 12:00 am

しやしない
「晩ごはんまで、まだ間があるさかい、ムシヤシナイにパンでも食べていて」 虫養い。空腹を一時的にしのぐ軽食のこと。腹の中の虫を養うという意味から。「何もあらしまへんけど、オムシヤシナイにどうぞおあがりやす」 丁寧にオムシヤシナイという。江戸時代には、客をもてなすときに、食後に出す食べ物を「後段(ごだん)」といった。幕末の英和辞書には、dessertは「後段」と訳されている。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(278)




 

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今京都 つろくする 2009/10/03 12:00 am

ろくする
釣り合いがとれる。調和する。「おまえにツロクした学校に入れたらええ」「この服にこの靴ではちょっとツロクせんわな」 対禄(ついろく)という意味からか。禄高が釣り合う、禄に相当するということからツロクというようになった。ツーロクという地域もある。縁談のときにも使用した語。京都人はツロクする付き合いを重んじた。分相応の生活を心掛ける風習は町家に住む人たちの知恵でもあった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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秋の名月。格別に意識して撮ろうとは思っていないが、何気なく撮ってしまう月。また、突然、衝撃的に出会う月。最近の記憶では嵐山で見た月(←クリック)が印象的だった。
昨年からここ数年後の名月の予定
 平成20(2008)年 -  9月14日
 平成21(2009)年 - 10月03日
 平成22(2010)年 -  9月22日
 平成23(2011)年 -  9月12日
 平成24(2012)年 -  9月30日
 平成25(2013)年 -  9月19日
 平成26(2014)年 -  9月08日
 平成27(2015)年 -  9月27日
 平成28(2016)年 -  9月15日
今日は名月だ。昨年の名月の記事はここ(←クリック)。

びす神 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月31日掲載)
ふくよかな表情でタイを抱え、右手に釣りざおを持つ。商売繁盛のご利益があるとされるえびす神は、七福神の中で唯一、日本で生まれたと伝わる。「えべっさん」の愛称で庶民から親しまれているため、えびす神を祭る神社は全国で数千に上るという。



京都のゑびす神社は、西宮神社、大阪今宮神社とともに「日本三大えびす」に数えられ、庶民のえびす信仰発祥地の一つ。ゑびす神社のえびす神伝説は、神社の縁起と深くかかわっている。ゑびす神社は、臨済宗の開祖栄西が建仁寺を建てるための鎮守社として1202(建仁2)年に創建した。栄西は航海の危険性から約200年間途絶えていた海外留学に挑み、宋に2度渡った。



江戸中期刊行の「都名所車」に逸話が残っている。栄西は船で宋に向かう途中嵐に巻き込まれたが、慌てる様子もなく海に向かって拝んだ。すると波間からえびす神が現れ、船首に立つと、たちまち波風が静まったという。栄西はその姿を写しとどめ、えびす神をまつる社を建てた。「渡航中にえびす神が現れる話は海の神、旅の神としての接点もあるが、えびす神は万能で霊験あらたかな神。神職出身の栄西禅師はもともとえびす神を深く信仰していたのではないか」といわれる。



ゑびす神社によると、室町時代には京都で同神社を含む「七福神めぐり」が始まった。江戸時代には商売繁盛や旅の安全を祈る人たちでにぎわいを増した。江戸中期に大衆に広まった「都林泉名所図会」には、大勢の人が詰め掛ける境内の様子が描かれている。絵の中で人々が手にするササは、ゑびす神社が江戸時代に配り始めた札の代わりという。これが全国に広まり、「えべっさんのササ」が定着したといわれる。



1月の十日えびすには、5日間で全国から100万人が訪れるという。 もっと儲かるようにと考えるのではなく、心新たに1年の無事を祈るのが本来の祈願。景気の良い悪いに関係なく、毎年多くの人にお参りいただきたいというのが本社の真意かも知れない…今京都。


 

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天を仰いで思うこと うらんちょ 2009/10/02 12:00 am

らんちょ
裏の町。裏の町といっても同じ区域内である。「うちのウランチョのお菓子屋さんで、おかきを買うてきてんか」 裏通りの町という意味。上の町(かみのちょう…北の方にある町)をカミンチョと町をチョと短く言う。チョウとマチの読みに注意したい。河原町や木屋町はマチである。農村でも田の区画をマチという。市(いち)と町(まち)は江戸時代中ごろまで混用されていた。市も品物を売買する場所だけでなく人の多く集まる所であった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より

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方山話(75)
神々について思うこと



さて、昨日のある意味ショッキングなお話、「因幡の白兎」。このお話で、大黒様で知られる大国主の命が登場する。ショッキングな内容を説明ために、このお話のあらすじも引用掲載し、キーとなる部分には下線をすることにしよう。

[あらすじ] 八岐の大蛇を退治した須佐之男命にはたくさんの子供があり、子孫も増えました。その一人に大国主の命がいます。隣の因幡の国に、八上姫というたいへん美しい姫がいるといううわさがつたわってきました。神々は自分のお嫁さんにしようと因幡の国へ出かけて行きました。しかも、(1)旅の荷物を全部大国主の命に持たせて。大国主の命は大きな袋を肩に掛けて、後からゆっくりとついていきました。先を歩いていた神々は海岸にでてきました。そこには毛をむしり取られて赤い肌を出したウサギが死んだようにうずくまっていました。
「へんなウサギがいるぞ」「毛をむしり取られているぞ」 (2)仲間同士で笑いながら今度はウサギに向かって言いました。
「おい、ウサギよ。早く元の様な体にもどりたければ、海の水を浴びて小高い丘の上で風に吹かれて寝ていれば治るぞ。」
(3)ウサギは言われたとおりにすると、前よりも痛みがひどくなりました。泣きながら転がっていると、そこに大国主の命が通りかかりました。命はやさしく訳を聞きました。こういうことだったのです。
因幡の国でウサギたちが楽しく暮らしていました。ある日、松原で遊んでいると、突然恐ろしい音とともに洪水が押し寄せてきて、あたりのものを一辺に押し流してしまいました。ウサギ達はうまく逃げ出したのですが、一匹だけ波にさらわれてしまいました。やっとのことで隠岐島にたどりつきました。しばらくくらしているうちに、一人では寂しくなり帰りたいと思うようになりました。ある日、海でワニザメを見つけました。
「ワニザメさん、あなたの仲間は沢山いるようだけど、私たちの仲間とどちらが多いか比べっこしようよ。君が仲間を全部集めて、この島から気多の岬まで並べてごらん。私がその上を飛んで渡りながら数えてあげるよ。」
島から岬まで見事な橋ができあがりました。ウサギは数えながら渡っていきました。岬につくころには、ウサギは嬉しくて嬉しくて、言わなくてもいいことを言ってしまったのです。
「私は、岬に帰りたかっただけさ。お人好しのワニザメさん。」
それを聞いた最後のワニザメは、後一歩というところでウサギを捕まえ、毛をむしり取ってしまったのです。(4)ウサギが泣いているところに、神様達がやってきました。海の水を浴びて風に当たるように教えてもらい、その通りにしたところ、前よりもひどくなってしまったのです。大国主の命は気の毒に思いました。
「みんなワニザメをだましたおまえを反省させようとそんなことを教えたのかも知れない。これからうそをついてはいけないよ。」
「はい。」
「体を川の真水でよく洗いなさい。そして、がまの穂綿にくるまっているとすぐになおるよ。」
しばらくすると、ウサギの体には、元のようなしろい毛が生えてきました。ウサギは大国主の命に言いました。
(5)あの意地悪な神様は、八上姫をお嫁にもらうことはできません。八上姫は、大国主の命様を選ぶでしょう。」
大国主の命はまた大きなふくろを担いでみんなの後を追っていきました。 [終わり]



さて、下線部分を見ていくと、まず(1)は学校等で「いじめ」につながるとして禁止されている「荷物持ち」を神がしている。(2)は困っているウサギを助けることもなく、ウソをついて、(3)(4)のようになっている。これは、れっきとした「いじめ」ではないか!? 神がウサギをいじめている。ウサギがはっきりと(5)で「あの意地悪な神様」と指摘している。ここまできたら賢明な皆さんにはもうお解かりだろう。そう、人々に「神」として崇められている存在の方々が、実際は「いじめ」をしていたということにショックを受けたということ、だ。日本神話の読み聞かせのなかのひとつだったのだが、この内容には驚いた。他の話にも、現代でいう「いじめ」が数々存在している。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

そもそも、「神」とは何? たとえば、仏教であれば、「人を救済するために自ら修行を積む」という行為があり、その修行の成果で「仏」となり、人々を苦難から救済…と明確である。しかし、「神」は…。さらに「神々の戦い」などのお話もあり、「戦争」もしている。「神」とは、もっとも人間に近い存在なのか…などなど、考えていると無限ループに陥り、抜け出せなくなってしまいそうだ。別に神を冒涜しているわけではない。しかし、この件は、いつまでも、つきそうにないので、このあたりでお開きとしよう…と、天を仰いで思うこと。


 

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