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rrbのブログ - 2009/06のエントリ

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今京都 ざんぐり 2009/06/20 12:00 am

んぐり
西陣織の着物を観賞して、「この生地、ザングリとした肌触りや」という。ふくらみがあり、柔らかな感触を指す。京焼の作品を見て「この壷はザングリしたできばえどすな」のように自然の風味の感じられる形容にも。京料理については「このお皿にザングリ盛っとくれやす」 風雅で、あか抜けした自然の感じを伝える。江戸時代天保年間(1830〜44)から使用。擬態語に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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現在、京都を離れています。ブログの更新はいたしますが、皆様のブログへの訪問は無理だと思います。ご容赦ください。また、この間(月曜日まで)、羅漢をお楽しみください。










 

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今京都 ななこ 2009/06/19 12:00 am

なこ
お手玉のこと。「ナナコであそびましょ」「七小石(ななこいし)」の省略で、もと七個の小石を入れて遊んだことから。オジャミは京都周辺で多く用いた。オコンメも京都府南部で使った。お手玉遊びの歌にもこれらの語はでてくる。「おじゃみ、おひー、おふー、おみー、およー、…」「おこんめいっこ にこ さんこめさして よんこ ごこ ろっこめさして ななこ はっこ きゅうこめさいてじゅこめでたい…」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)


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今京都 ごじょ 2009/06/18 12:00 am

じょ
京都に地下鉄ができた当初、五条をゴジョという車内アナウンスが聞かれた。三条はサンジョ、御幸町をゴコマチという人は江戸時代からいた。学校はガッコ、養生をヨージョというように長母音を短くいうのが特徴。昭和初期には七条をヒッチョと発音し、京都駅をヒッチョノステンショ、質屋をヒチヤと書いた看板もあった。松原をマツワラ、室町をモロマチ、建仁寺をケンネンジと記した記録も残る。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月7日掲載)
京都のお寺を語るときは欠かせない言葉が「塔頭」。「たっちゅう」と読む。京都ではしごく当たり前に使っているこの言葉。しかし、「塔頭」と書いて「たっちゅう」と読むのは漢字としては例外的だ。本来なら「塔」も「頭」も「とう」と読んで「とうとう」となりそうなものなのに…。



調べてみると「塔頭」の「頭」を「ちゅう」と読むのは中国の唐音に由来するという。仏教用語としてそのまま取り入れられたようだ。「頭(ちゅう)」は「ほとり」という意味。本来は禅宗で祖師などの墓のほとりに建てられた塔、あるいは墓を護持するために建てられた小さな庵をさす言葉だったということ。それが、本山の住持をつとめた高僧・名僧が住む隠居所を「塔頭」と呼ぶようになった。



しかし、この時点ではまだ本山の建物のひとつで、独立した寺院ではなかった。が、やがてそれらの小院がのちの弟子たちに受け継がれ、現在の独立した塔頭寺院になったという。広辞苑には「(転じて)一山内にある小寺院。大寺に所属する別坊。寺中(じちゅう)。子院。わきでら」と説明されている。現在では禅宗以外でも本山のある寺域内に独立した小院がいくつか見られ、それらの末寺もまた塔頭と呼ばれている。天龍寺や相国寺、建仁寺、東福寺、南禅寺などは多くの塔頭をもつ。塔頭の数が多いお寺といえば、京都では21の塔頭をもつ大徳寺。そして大徳寺をさらに上回るのが妙心寺で、その数はなんと47というから驚きである。



敷地内(山内)にあるのが基本なんだけれど、中には敷地外(山外)に塔頭もある。それを山外塔頭という。
さて、この塔頭に絡んでのお話をひとつ。大徳寺はその本坊は非公開。大徳寺へ行っても肝心の大徳寺は拝観できず、21ある塔頭の龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院を見学することになる。つまり、大徳寺という敷地内(山内)に入ることはできるが、肝心の本坊は非公開で、塔頭を見学して大徳寺参拝となるということ。なんか釈然としないものがあるという…今京都。 ※写真は御室仁和寺で本文とは関係ないのであしからず。


 

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天を仰いで思うこと のじ 2009/06/17 12:00 am


「このお菓子はノジがないな」 口中に長く持ちこたえること。「能持」「能治」の意味にもとづく。せんべいのようにすぐに食べてしまうものに対して、飴は口中に持ちこたえるから、ノジがよいという。『日葡辞書』にはノージと出ている。子どものおやつの選択にも、ノジを考えた先人の知恵がしのばれる。むかし、旅行などに携えた食糧を「かて」といったが、「かてる」(混ぜ合わせる)の意から。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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のネタ雑学(44)
ステンレスはもともと錆びている?



高温に強く、錆びないのがステンレスの特徴。ところがステンレスは錆によって、あの光沢がつくり出されているというから、頭が混乱してしまいそうだ。



ステンレスの主原料は鉄だが、鉄だけでは空気や水の中の酸素と反応して、酸化鉄である錆を生じてしまう。そこで、常温で酸化されることのないクロムを混ぜることにした。鉄にクロムを混ぜた合金をつくると、すぐに表面が酸化されるが、内部まで酸化しようとする働きをクロムが止めるので合金の表面を酸化膜が覆う形になる。この錆の幕によって内部の鉄が保護されるため、独特の光沢が保たれ、腐食してしまうことがないという。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

錆も使い方で便利なものになるだなぁ…と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)


 

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今京都 かもげじょう 2009/06/16 12:00 am

もげじょう
5月15日は葵祭。王朝絵巻さながらに行列は京都御所から下鴨神社、午後は上賀茂神社に向かう。「オトオリ」(路頭の儀)と言う。古くは賀茂祭といったが、奉仕の人が冠にアオイの葉をかざし、神輿などにアオイを結んだので葵祭と呼ばれる。両神社を「賀茂下上」(かもげじょう)といい、古文書では下鴨神社を上賀茂神社より先に記す。上社は賀茂別雷命(かもわけいかすものみこと)を、下社はその母、玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭神とし、母を祭る神社を先にいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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の七口 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月26日掲載)
京の七口とは、日本全国から都を目指す際の出入り口ポイントをさす。京の七口は「しちくち」とは言わない。必ず「ななくち」というということだが、辞典には「しちくち」と書かれている。しかし、京都の人は「ななくち」という。粟田口、丹波口、鞍馬口、荒神口などは現在でも地名や駅名として使われている。かつて東海道を東から西へ歩いて京を目指せばたどり着くのが京の東玄関・粟田口。丹後・丹波地方から山を越えて亀岡を経て、京に入れば丹波口。鞍馬方面から鞍馬街道を下りてくれば鞍馬口。坂本から比叡山を越えて洛中に入るには荒神口などなど。



いま、地下鉄鞍馬口駅のホームには「当駅は鞍馬寺の下車駅ではありません」と貼り紙がされている。確かにそうだ。七口という発想がなければ、鞍馬寺をめざす観光客が鞍馬口で降りてしまうのは無理もないこと。七口はやはり都ならではの「道の口」なのである。いっぽう七口の内側に暮らす京都人にはこれまた七口という意識がない。粟田口も荒神口も固有地名としてすっかり板についている。京の七口を数え始めたら、口と名のつく地名は多い。若狭から大原街道を経て出町に入れば大原口、鷹峯街道からの入口は長坂口、伏見へ通じる伏見口、竹田口や鳥羽口もあるし、東寺口もある。数えると七口どころではない。



京の七口は室町時代に出現したといわれる。しかし「七口」と呼ばれるもののその場所は決まったものではなく「京の出入り口の総称」のようであったらしい。室町幕府のもとでは、出入り口としての口が開かれていたというより、関所を設けて口を閉ざすことにより、通行税をとる窓口にしていた。街道に関所を設け、関銭を徴収するという方法は中世のころからすでに始まっていたが、そこに目をつけ、七口という新しい関所を生み出した。当然、関所は増えるし、位置も名称も一定ではなかった。やがて京の七口が整備されたのは豊臣秀吉の御土居(おどい)築造による。これは洛中を砦のように御土居で囲み、その周囲には堀をめぐらし「十の口ありと也。悪徒出走の時、早鐘をつかせ、それを合図に十門をたてて・・・」(「古今聴観」)とまさしく都の要塞めいてくるのだが、ここに記されたとおり、当時は十口あった。北から長坂口、鞍馬口、大原口、今道の下口(志賀道口、のちに荒神口)、粟田口、伏見口、竹田口、鳥羽口、東寺口、西七条口となっている。



ここで疑問が…なぜ七口なんだろう。十口とすればよいものを。江戸時代の人もそう思ったのか、江戸時代には主要街道である京の七道と七口を結びつけたりもしているが、それでもなおおさまりきらない。「鳥羽口、伏見口、丹波口、粟田口、八瀬口、若狭口、長坂口」とも「東寺口、竹田口、五条橋口、大原口、三条橋口、千本口、七条口」ともいうと、但し書きがついている。但し書きのたびに新しい口が増えているのも面白い現象だ。「口(くち)」のお話だけに少しおしゃべりが過ぎたような気がする…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。


 

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