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rrbのブログ - 2009/05のエントリ

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今京都 やすらいはなや 2009/05/16 12:00 am

すらいはなや
やすらい祭は、桜の花を愛で、落花を惜しんで、病魔を退散させ、五穀豊穣を祈願する花鎮めの祭礼。紫野や上賀茂地域で民衆の平安を祈る。紫野・今宮神社のやすらい祭は4月の第2日曜日。祭り行列では風流傘、鬼踊りが続き、「やすらい花や 花や咲きたるや やすらい花や (花よ安らかであれ)」などと囃しことばを繰り返す。花傘の中央に竹で編んだ花籠をつけ、桜、ツツジ、山吹などの生け花を挿す。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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気に関する語句(春雨じゃ濡れていこう・北山時雨) (旧フォトヴィレッジ 2007年11月1日掲載)



金田一晴彦さんの『ことばの歳時記』のなかで「古来の有名なお天気に関する語句は、京都を標準として出来ているものが多いことが知られる」という記述がある。「女心と秋の空」「男心と秋の空」。日本の秋は一年中でいちばん晴天が続く季節なんだけれど、秋の空は定めがないとしてこの言葉が使われる。これは、京の都の空模様を標準としているという。



京都でも秋は好天に恵まれるのであるが、晩秋の京都はしぐれが多く「北山時雨(しぐれ)」といわれるくらい。この時季は、今出川通とかを境に北と南で天気が違うことがよくある。今の暦でいえば、時雨は初冬の風物詩だけれど、旧暦でいえば10月が時雨の季節となる。気象学からいえば時雨は「京都を中心とする近畿地方内陸部の独特な現象」をいうらしい。午前中は晴れていたのに、午後になって北山の方向がにわかに暗くなったかと思うと、サーっとしぐれる。かと思うと日がさしてきて、やんだかと思うとまたサーっとくる。ホントに気まぐれである。



芝居で月形半平太が京都・三条の宿を出るときにいう台詞で有名な「春雨じゃ濡れていこう」も京都発の気象用語。これは「春雨が風流だから濡れていこうといったのではなく、京都の春雨は横から降り込んでくる霧雨のような雨で、傘をさしても無駄だから傘なしでいこう」といったものらしい。霧雨のような春雨は京都の特徴であるという。最近は地球温暖化の影響か霧のような春雨も少なく、傘がほしくなるような雨となっているような気がする。いずれにしても、古来のお天気用語は盆地の京都で言われてきたもの、という京の街のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


 

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天を仰いで思うこと いぬ 2009/05/15 12:00 am


「えらい遅うなったし、もうイヌわ」 「帰る」の意で、丹後ではイヌルという。奈良時代から使われてきた。江戸時代後期に四段活用で使用。インデクルともいい、「忘れ物したし、インデクルわ」 イノーは帰ろう。インデコイは帰れで、離縁する意味にもなった。『万葉集』では「行く」や「過ぎ去る」の意味もあった。「うぐひすぞ鳴きていぬなる梅が下枝(しずえ)に」のこのイヌは「移っていく」ことを表す。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(1)
絵馬について思うこと (エキサイト 2008年1月30日〜2月4日掲載)



常日頃、神仏に頼っていない人でも大半の人は行っているのが「初詣」。今年も年の初めに様々な願い事を何人もの人が奉納したことには違いない。寺社仏閣への行ったときのひとつの楽しみは絵馬である。ハシタナイけれど奉納されている絵馬を見てしまう。ひっくり返してまでは見ないけれど、見えている範囲で読んでしまう。神社の本殿に立って心の中で願い事をつぶやく、絵馬に願い事を文字にして奉納する。どちらも願い事を託すことには変わりない。この絵馬を見ると世相の一端が見えるような気がするし、絵馬を読むのは結構楽しい。以前の合格祈願は大学・高等学校が占めていた。しかし、最近は私立の小学校・中学校ばかりでなく、幼稚園入園の合格祈願も増えている。当然、資格関係の合格祈願もある。



その絵馬について気になることがある。絵馬にはどうして氏名はもちろん住所まで書いているのだろう。そもそも絵馬に氏名・住所は必要なのだろうか? 本殿の前で手を合わせて願い事を心でつぶやく時、「自分はどこどこの誰々です」とつぶやくだろうか? 誰もつぶやいていないと思う。少なくとも自分はつぶやいていない。恋愛成就や結婚祈願の場合、相手の名前をつぶやくことがあったとしても、自分の氏名などはつぶやいていない。しかし、絵馬には、自分の氏名はもちろん住所までしっかり書いているものが大半なのである。なぜ? 絵馬奉納のルールなのか? 絵馬に氏名とか住所を書くのが奉納のルールとするならば、今は個人情報保護が叫ばれる時代。「他人に読まれることがありますよ、よろしいですか?」という許諾が必要となってくるはずであるが、そんな説明は聞いたことがない。しかし、絵馬を書くときには大半の人が氏名や住所まで書く。いや、書いてしまうのである。なぜ書いてしまうのか…考えながら絵馬を見ていたとき、「どこどこの誰々って書かないと神様が誰のことかわからなくなるでしょ」と子供に説明している親の言葉が耳に飛び込んできた。「なるほど!」と言いたいが、本殿の前で手を合わせて願い事を心でつぶやく時、「自分はどこどこの誰々です」とつぶやかないのが通常である。本殿の前に立ったときは容姿をさらけ出しているから特定されている、あるいは、直接頼んだから大丈夫という安心なのか?


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

今は個人情報保護に気をつかう時代。他人様の絵馬を読みながら、心の中では個人情報への配慮と楽しさと心配の葛藤がある。その絵馬も最近変わってきた。縁結びのお社で発見したのであるが、書いた上にシールを貼る絵馬が誕生している。「やっぱり、個人情報保護!」と思ったが、どうも違うようである。このシールは個人情報の保護という考えではなく、絵馬を誰かに見られることを意識しないようにというもの。誰かに見られると意識してしまうと、願い事を書くのにためらいがでてくる人に対する配慮だという。シール貼る絵馬、シールで見えなくしても神様は願い事をかなえてくれるの?と思うが、本殿にお参りするとき、何かに願い事を書くわけでもなく心の中でつぶやくだけである。つまり、神様と心のやり取りをするのである。絵馬に文字にして書いたときこそが神様との心のやり取りなのであって、絵馬を掛けた(奉納した)時ではないのである。気持ちをもめて書けば、たとえシールで隠されていても、神様とは心のやり取りができている。そこには、当然、氏名も住所もいらない。神様は全てお見通しということ。誰かに当てたメッセージや見ていただくのを目的とした場合、目印となるものは書くことにして、氏名も住所も書かず奉納することにしよう。神様は全てお見通しだし、個人情報保護の時代でもあるし…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 よさり 2009/05/14 12:00 am

さり
夜、晩のこと。平安時代から使用。『枕草子』には「十四夜さり、雨いみじう降れば」とある。かつて、夜分のことを「よさりつかた」といった。サリは古語の「さる(去る)」から。「〜になる、〜が来る」の意味。「昼は忙しいさかいヨサリお宅へ寄せてもらいますわ」「ヨサリ遅うならんうちに、はよ帰っておいで」京都北部の伊根ではヨーサリ、南部の南山城ではヨサイというところもある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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輪寺/電電宮 (※旧フォトヴィレッジ 2007年9月28日掲載)





山門をくぐると、右手に電電塔があり、前方には青々としたモミジのトンネルと石段が続く。山腹の古寺の情緒を感じながら歩くと、小さなほこらの鳥居に「電電宮」とある。どこか現代的な響きに、思わず足を止めた。観光客でにぎわう渡月橋の近く、法輪寺の境内に、電電宮は鎮座する。祭られている電電明神は、珍しい電気の神様。情報通信やソフト開発の技術者、IT(情報技術)企業の管理職といった電気に関係する幅広い人に信仰されている。祈願のお札には「通信ネットワークの安定運用」「衛星の無事運行」などと書かれ、最先端技術の成功も最後は「神頼み」という切実な思いが伝わる。





由来をたどると、古く平安初期にさかのぼる。法輪寺の前身である葛井寺で起きた、ある霊験が起源となっている。829年、弘法大師の弟子の道昌が百日間の修行を行い、満願の日に井戸で水をくんでいた。天空から明星が落ちてきて衣の袖に飛び移り、虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)の姿が浮かび上がった。修行の成功を確信した道昌は、大空や宇宙を象徴とする虚空蔵菩薩の像を彫り、本尊として寺に祭った。そして、別に鎮守社「明星社」も建てられたという。





明星社は雨や雷、光など、自然現象に関する信仰を集めるようになったが、蛤御門の変(1864年)で焼失した。しばらく仮宮のままになっていたが、生活に家電が普及し始めた1956年、電力会社や放送局、電器販売などの関係者が社業の繁栄や職場の安全を願い、電電宮を建てた。





再建から半世紀。エレクトロニクスの進化は目覚ましく、人々の生活は便利さを増した。一方で、さまざまな社会問題も噴出している。電脳犯罪のまん延、電力会社で相次ぐ不祥事、電気製品の欠陥、多くの命を奪った列車事故…。文明と人間は進歩せざるを得ない宿命にある。でも技術は、自分の生活を豊かにするのと同時に、その恩恵を他者にも与えるためにあるのだろう。



ここは電気の神様、技術の進歩に霊験…今京都。


 

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天を仰いで思うこと おやかまっさん 2009/05/13 12:00 am

やかまっさん
「おおきに、オヤカマッサンどした」と辞去の時のあいさつ。お邪魔しました、お騒がせしてすみませんでしたの意。やかましいに基づく。オ〜サンを用いて丁寧語に。平安時代に「あなかま」といえば「ああ騒がしい」で、「あな」は感動詞、「かまし」は騒がしい。公家は「ごめんどう申し上げました」、お付の者は「ごめんどうさんをあそばしましてございます」とあいさつした。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(50) ちょっと気になる「ことば」の話
おビールお持ちしました



最近、飲みに行くとよく聞くこの言葉。実は少し違和感を覚えている。「おビール」と「お持ちしました」の部分だと思う。「おビール」は、最近、ごく普通に使用されているから、違和感を覚える人も少ないだろうが、実は違和感がある。たとえば「(先生の)おカバンをお持ちします」の場合の「おカバン」は、先生の持ち物で、先生を高めるために「お」をつけるが、「ビール」は誰の持ち物でもなく、極端にいえば、運んできた自分の物で、尊敬すべき相手がない。この場合、「ビール」に「お」をつけるのは言葉を上品に美しくするためで、「おビール」のような語を美化語という。「おカバン」も前掲のように相手を高めるために使った場合は尊敬語になるが、「私はおカバンを買いました」のように自分の物についていった場合は美化語となる。美化語は上品な物言いをして自分の品位を高めるための表現だから、使うか使わないかは大きな個人差がある。



さて、「おビール」であるが、これは飲食店などで使われ始めその世界では既に定着しているようだ。美化語は、自分が上品だということを示すための表現であるから、一般化していないものほど使用効果が高いといえるが、あまり使いすぎるとかえって品位を失うことになる。不足すると乱暴な言葉遣いになるし、過剰になると顰蹙を買う。「おジュース」なんてあり得ない。
次に「お持ちする」だが、「持つ」は自分の行為だから「お」をつけるのはおかしいと感じる人がいるかも知れない。さりとて相手を高めているわけだから、美化語とも考えられない。「お〜する」は全体で謙譲語であるから問題はないと考え違和感を持っていない。しかし、金田一京助氏は「お〜する」を謙譲に使用するのは間違いしているから、大正の頃は正しくない表現だと考えられていたようだ。現在では「(先生を)お誘いする」「(先生のために)お調べする」などは最も普通の謙譲表現であるが、以前は不自然だと感じられていたようだ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

現在ではさらに「(私は会社を)お休みします」のように行為が開いてに及ばず謙譲にならない「お〜する」も使用されており、美化語としかいうしかない。年配の人には違和感を強く訴える人もいるが、若い女性などには広く使われているようだ。こうみると「お〜する」は、謙譲の使い方も認められない時期から、それの認められる時期、そして美化語として使われる時期と、3回も変化していることになる。美化語的な「お〜する」も、やがては違和感なく認められる時期がくるということか…。「おビール」「おジュース」はまだ一般化した表現ではなく、美化語も使いすぎるとかえって品位を失うというお話。
お酒はOKでおビールはNG。おそばはOKでおパスタはNG。お召しものはOKでおスーツはNG。まぁ、英語に敬語はないからなぁ…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 しゃかのはなくそ 2009/05/12 12:00 am

ゃかのはなくそ
「釈迦の花供祖」は餅あられの一種。嵯峨釈迦堂の涅槃会(ねはんえ)で、「花供祖」と記した紙に包み、餅あられに出したことに基づく。京の民家では、残飯を乾飯(ほしい)にして黒豆とともに炒って飴で固めたものを指す。御所ことばで豆の入ったあられはイリイリといい、炒るに由来。一般に、あられのことを尼門跡寺院でイリイリとも。団子をイシイシ、数の子をカズカズと、重ね言葉が御所ことばに目立つ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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輪寺/電電塔 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月21日掲載)
京都嵐山にある法輪寺。ここはとてもユニーク。理由のひとつがこの山門をくぐったところにある大きな記念碑。





中央に石塔が置かれ、壁面の左右にはヘルツとエジソンというふたりの電気学の先人の浮彫胸額が飾られている。ヘルツとエジソンといえば、ともに誰もが知る電磁気学の先駆者。ヘルツは、電磁波の存在を実証したことで知られる。エジソンは、基礎研究よりも発明王として電灯などの発明で知られる。エジソンは85歳まで長生きしたのに対しヘルツは38歳の若さで亡くなった。エジソンはヘルツより10年早く生まれ、40年近く後に亡くなったということ。また、ヘルツはドイツ人で、エジソンはアメリカ人。こんなふたりの記念碑がどうして日本の京都にあるのか。





法輪寺にあるこの記念碑を写真からもわかるように「電電塔(でんでんとう)」という。かたわらの案内板に由来が記されている。そこには、
電気電波の祖神電電宮が祭祀されている当法輪寺境内に電電塔を建立し、その発展の基を築かれたエジソン(右)並びにヘルツ(左)の胸額を壁面に飾り、その功を顕彰すると共に、広く電気電波の発展隆昌に貢献せられた先覚功労者の霊を慰めるものである。
と記されている。





つまり法輪寺は電電明神が祭られている電電宮を持つ寺。電電明神とは、陰陽融合による光源の祖神として、古来崇められてきた神であって、今日の言葉でいうなら電気電波の祖神ということができる。その記念として電電塔を建て、電気電波の発展の基礎を築いたヘルツとエジソンを顕彰し、併せて先覚功労者の霊を慰めるということ。電電宮についてはまた改めて掲載する予定。いずれにしてもユニークなお寺、ここは京都嵐山法輪寺、という京の街のお話…今京都。


 

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