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rrbのブログ - 2009/04のエントリ

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今京都 満艦飾 2009/04/25 12:00 am

んかんしょく…女性が派手に着飾ること。また、洗濯物をたくさん並べて干してあるさま。
◇ちょっと予備知識 → もとは、祝日などに軍艦の全体を旗や電灯などで飾り立てること。
                類義語に綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)がある。
                対義語は弊衣破帽(へいいはぼう)。

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

らがなとカタカナ (旧フォトヴィレッジ 2007年7月22日掲載)
以前から気になっていたのが「ひらがな」と「カタカナ」である。「日本語とは、漢字と平仮名と片仮名の三つの文字からなる特異な言語である。一つの言語が三種類の文字を使う例は、世界を見渡しても他にない」といわれるくらい日本語は特異であるといわれている。漢字は中国からやってきた。しかし、その漢字(漢語)に支配されることなく、日本人は「ひらがな」と「カタカナ」を生み出した。「ひらがな」は平安時代、京都で生まれた。しかし、「カタカナ」はこれより早く8世紀初頭には「ツ」の字が一番最初に漢字に混じりだすという史実がある。また、「カタカナ」は「ひらがな」と同様に、平安時代の文化を支えた文字だともいわれている。



今現在、「カタカナ」といえば「パソコン」「ファッション」「パスタ」「リストラ」「セクハラ」などと外来語のための文字かと錯覚してしまいそうなくらいだし、擬態語・擬音語程度にしか使われていない。習字の世界でも「カタカナ」は手本がなく、どう書いていいかわからないという。あと思いつくのは書類のフリガナ。これが意外と「ひらがな」ではなく「カタカナ」が多いのに驚く。このあたりに何かいわれがありそうな感じがする。「カタカナ」には書体としての基準が生まれていないし、現在も、なお、ない。だから文字としてはまだ半人前の文字であるという意味で「片仮名」だという説もある。平安時代に生まれた文字の双子の姉妹のような「カタカナ」と「ひらがな」なのに、「カタカナ」はなぜいつまでたっても半人前なんだろうと疑問となる。



「源氏物語」や「古今和歌集」の王朝文学が都でもてはやされた平安時代、「ひらがな」は「女手(おんなで)」と呼ばれ、「漢字」は「男手(おとこで)」と呼ばれていた。これは「女っぽい」とか「女性が好んで書いた」という意味ではない。当時は中国が男で、日本は女。「漢字」と「ひらがな」で一対を成すと考えられていたようだ。ここで既に「カタカナ」の存在がない。「カタカナ」とは一体何?とますます疑問となる。



「ひらがな」は「漢字」をくずした文字、すなわち中国に敬意をはらって、漢語でない場合は文字をくずして書くところから誕生した。これに対して「カタカナ」は漢文を読み下すために発明された文字だといえる。たとえば「夏空」という漢文に「ノ」を加えて「夏ノ空」、「昇降」なら「昇リ降リ」として日本語化する。単語だけではない。「念仏往生トケヤスシ(とけ易し)」などと漢字片仮名交じり文でわかりやすく翻訳し、一般庶民に理解しやすいように使用されている。この翻訳機能がのちの外来語表記にあてられたと思われる。明治時代から昭和の戦前までは、ベースボールは「野球」、ノートは「帳面」、レールは「線路」と日本人は漢字翻訳が得意であった。



つまり西欧語は「とりあえず片仮名でいったん受け止め、漢語訳できるものは漢字にするし、できないものは片仮名のまま使ってしまう」ということなんだと思う。「カタカナ」がない中国ではそれができない。日本ではこの二面作戦が可能であるから、日本語は東アジアでいちはやく西欧語を吸収するのに成功したということかも。今現在、商品やブランドにあふれかえる外来語に、いちいち日本語訳して受け止める余裕をなくしている。かといって「カタカナ」が一人前に昇格するわけでもない。半人前のままの「カタカナ」に包囲されて、何も思わず暮らしている日本人がいる。



「カタカナ」は肩身が狭い。実際、携帯電話などのデジタル文字では、打つと同時に半角文字に変換されたりして、文字サイズからして肩身が狭い。なのに何の違和感もなく使用されているのである。そして、この半人前の「カタカナ」のおかげで、不便なく言葉の世界で暮らせてるのも事実である。その「カタカナ」も「ひらがな」も京都と関係があったとは驚き、という京の街のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


 

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天を仰いで思うこと 没交渉 2009/04/24 12:00 am

つこうしょう…かかわり合いのないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「ぼっこうしょう」とも読む。「没」は無いこと。「交渉」は関係、かかわり合うこと。
                類義語に無関係(むかんけい)・無縁(むえん)・風場牛(ふうばぎゅう)がある。

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

のネタ雑学(34)
朝日と比べて夕日がまぶしくないのはなぜ?  (エキサイト 2008年6月8日掲載)



気象状態が同じようであれば、朝日も夕日も太陽の明るさは同じはず。だから、これは目の錯覚ということになる。瞳は、周りの明るさに合わせて大きく開いたり、小さくなったりしている。夜からの暗さに合っていた瞳に、朝日の光が急に飛び込んでくれば、瞳を小さくする間がなく、ものすごくまぶしく感じられる。逆に、昼間の明るさに合っていた瞳にとっては、夕日はまぶしくない。



また、太陽は地平線に近づくにつれて、たくさんの空気を通ってくるので、光は弱くなる。夕日がまぶしくないのはこうした理由もある。とはいえ、あまりいい気になって太陽を見ていると、目を痛めることがあるのでご注意。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

写真を撮り続けるためにも目は大切にしたい…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
★前回はここ(←クリック)


 

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今京都 朴念仁 2009/04/23 12:00 am

くねんじん…無口で無愛想な人。人付き合いの下手な人。また、気の利かない人。
◇ちょっと予備知識 → 「朴念人」と書くのは誤り。
                類義語に鈍物(どんぶつ)がある。

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

寄せ、軒吊り看板 (旧フォトヴィレッジ 2007年4月24日、5月25日掲載)



町家ではよく見かける格子を取り囲むようにして取り付けられた柵を駒(こま)寄せという。牛や馬を繋ぐためとも、犬矢来と同じ目的でつけられたともいわれている。調べてみてもそれ以上に詳しいことはわからない。牛や馬を繋ぐにしても広い道幅ならともかく、京都は大通り以外は狭い道。歩く人には大きな迷惑だったかもしれない。それより、格子の向こうは開けっ放しが多いので防犯のためのものと考えたほうが自然。格子と駒寄せの間は当然私有地。駒寄せが朽ちてきて撤去するところもあれば、鉄などでやりかえるところもある。いつまでも残ってほしいもとつのアイテムだ。



暖簾とほぼ同じくらいくらいの京都のアイテム。今では京都の街では見かけることが少なくなってきているのが、軒吊り看板。屋根看板が一番多いような気がする。看板のタイプを見て歩くのも、散策のひとつの楽しみ、という京の街のお話…今京都。


 

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天を仰いで思うこと 屁理屈 2009/04/22 12:00 am

りくつ…つまらない理屈。道理に合わない勝手な言い分。
◇ちょっと予備知識 → 「屁」は取るに足りないもののたとえ。
                類義語に詭弁(きべん)・空理空論(くうりくうろん)がある。
                対義語は実理(じつり)・理路整然(りろせいぜん)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

のネタ雑学(33)
本当にある変な名の木?  (エキサイト 2008年5月10日掲載)



樹木は何百種類もあって、それぞれ世界共通の学問的な名称と、日本語の名前(和名)がついている。その和名の中には変わったものがある。ヒトゴロシノキ、ゴウトウノキ、バクチノキ。この三つのうち、本当にあるのはバクチノキ。サクラ科に属する樹木で、関東地方南部から本州西部、四国、九州などの暖かい地方に多く見られるという。



サクラ科に属するのに、花が咲くのは秋で、常緑でかなり大きな木となる。バクチノキの由来は、樹皮がはがれやすく、道具を使わなくても素手で何枚も剥ぎ取れる。バクチに負けて着物を一枚一枚剥ぎ取られることを連想させるので、この名がつけられたとのこと。変わった和名として、ほかに、カエデ類のメグスリノキ、クス類のバリバリノキ、ヤナギ類のヤマナラシ、ユリノキ、ネズミサシ、イスノキなどがある。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

残念ながら、なじみのない木ばかりで、実際にその姿を見てもわかる人は少ないという。一度、見てみたい…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
★前回はここ(←クリック)


 

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今京都 無頼漢 2009/04/21 12:00 am

らいかん…ならず者。ごろつき。
◇ちょっと予備知識 → 「無頼」は一定の職業を持たず、無法なことをすること、またその人。「漢」は男性。
                類義語に不逞之輩(ふていのやから)・無法者(むほうもの)がある。

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

 (旧フォトヴィレッジ 2007年4月26日掲載)



京都の町家は、中二階建ての町家が多く、一階の屋根と大屋根の間の玄関の上あたり、道に面してなにやら厳めしい瓦の置物が設置されている。



これは鐘馗(しょうき)と呼ばれる魔除けの置物。鐘馗は、中国の唐の都長安(現在の西安)の物語に起因する魔除けで、玄宗皇帝の夢の中で、楊貴妃の宝物を盗もうとした小鬼を鐘馗が追い払い退治した。その夢から覚めて後、玄宗皇帝の病が癒えたという。この小鬼は、邪気とみられ、それ以後、邪気を払う魔除けとして信仰された。日本には、いつの時代に入ってきたのか定かでないが、道教や儒教の教えが浸透する江戸時代に鐘馗信仰がみられる。という。



京都でのいい伝えは、文化2(1805)年に大きな鬼瓦を据えた家が建った。すると、向かいの家の娘が原因不明の高熱を出して寝込んでしまった。どのような手当をしても手当のかいない。困り果て神仏への頼みではないが陰陽師にみてもらったところ、原因は向かいの鬼瓦にあるらしいということになった。鬼瓦によって跳ね返された邪気がこちらの家の中に入ってきているのが原因だということ。



さっそく、京都深草の伏見人形師に頼んで邪気払いで効果のある鐘馗を焼いてもらって、睨み返しとして安置した。そうしたら、たちどころに病気が平癒したというもの。この物語は、複数言い伝えられており、主人公が医者の娘であったり、女房であったりするが、大筋はこのようなものである。



京都市のある区には約1000体の鐘馗が残っているという。その分布にも特徴があり、お寺や神社など鬼瓦を設置してある場所の向かい側の家や三叉路やT字路のような行き止まりに多くある。また、一軒が設置すれば負けじと周辺の家も祭るらしく集中して見つけることができる。


(ちょっと珍しい位置にある)

現在では鐘馗信仰は廃れる一方であるが、神がその地位を追われ妖怪としてその名を留める過程がここにも現存しているといえる。民俗学研究者にとっては古い風習がなくなってゆく京都は恰好の研究テーマかもしれない。京都へお越しの際は是非軒を見上げて探してみる価値はあるかも、という京の街のお話…今京都。


 

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