ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2009 3月 » »
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 1 2 3 4
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - 2009/03のエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

今京都 短兵急 2009/03/21 12:00 am

んぺいきゅう…やにわに行動を起こすこと。出し抜けなさま。
◇ちょっと予備知識 → 短刀などの短い武器で、急襲をかけることから。「単兵急」と書くのは誤り。
                類義語に突如(とつじょ)・唐突(とうとつ)・忽然(こつぜん)・卒然(そつぜん)・卒爾(そつじ)・
                俄然(がぜん)がある。

眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落ちること知る多少。孟浩然の詩、「春暁」。原文は、春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少 だったか…。春は朝が来たのも知らずつい寝過ごしてしまう あちらこちらで鳥のさえずりが聞こえる 昨日の夜は雨風の音がすごかった 花もいくらか散ってしまったことだろう ということ。
この時季は本当に眠い。少し油断すると睡魔に襲われる。まぁ、襲われるのも一興かと…。

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

ーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。

金虫(童謡物語第8弾)  (旧フォトヴィレッジ 2006年11月21日掲載)

「黄金虫(こがねむし)」
作詞:野口雨情 作曲:中山晋平

黄金虫は 金持ちだ  金蔵たてた 蔵たてた  飴屋で水飴 買って来た

黄金虫は 金持ちだ  金蔵たてた 蔵たてた  子供に水飴 なめさせた

コガネムシの種類は世界で17000種にのぼるらしい。カブトムシまでが、コガネムシの一種だというから驚き。もともとコガネムシの種類というのは、植物の葉を食う害虫として厄介者扱いされていた。そんな中で通常「黄金虫」とよばれるものは体長2cmぐらい、緑色で金色に輝いて見えるものをさすということ。
 ♪ 黄金虫は 金持ち
だから、黄金虫というのではなく、黄金色だから黄金虫。



当時は童謡詩にかかわらず歌の詩といえば四行詩が主だったが、この詩は三行詩であり、そのうち二行めまでは、
 ♪ 黄金虫は 金持ちだ 金蔵たてた 蔵たてた
と、一番も二番も同じ歌詞で、最後の行だけが異なる。ちょっとしたポイントをつけただけだといえる。しかし、そこが反対にやけに素朴でかわいらしいのかもしれない。また、「黄金虫は金持ちだから、子供に大好きな飴を自由に食べさせることができていいなぁ…」といったような、当時の日本の貧困な世相をからませ、子供に対する親の愛情や、ないものねだりの感情、憧れが、ところどころに滲んでいる童謡でもある…としてしまうとこの話は終わってしまう。不思議の元は「飴屋」とか「水飴なめる」はどこか唐突すぎるということと、まして一番も二番も水飴である必要もないだろうと。ここに何か隠されているのではないか…と気になった。



この当時の飴屋は一種の大道芸人みたいなものとして扱われていた。祭りの屋台などで、飴売りの店を見かけることがある。現在でも七五三にはつきものの千歳飴。あれは飴屋が考案して「元気に大きくなれますように」という願いを神に捧げてもらったというふれこみのうえ、神社の境内で売り出したのがはじまりといわれている。つまり
 ♪ 飴屋で水飴 買って来た
には、当時、医療の発達が非常に遅れていたため七五三の風習は「やっとなんとか3歳まで生きてこられた」「5歳まで、7歳までありがとうございます」という気持ちの表れから誕生した風習。七五三のお詣りの後に、これからの無事を祈って飴を買ってやる、それは親から子への最大のプレゼントでもあった。金太郎飴などもそうである。飴を食べて金太郎のような元気な子供に成長して欲しいという親の願いだったわけである。



しかし、当時、まだまだ人々は貧しかった。明日の飯さえない暮らしをしていた。飴どころではない。買ってあげたいがそんな余裕はどこにもない。
 ♪ 黄金虫は 金持ちだ
金持ちの家の子供たちの口に入るのが関の山だった。この詩は当時の貧しい家の子供たちの様子と願望が入り混じっている。飴は買ってやれずとも、七五三まで生きてこれた子供は、まだマシ。貧しさゆえに子供を養いきれず、生まれたばかりの赤ん坊の口と鼻の上に濡れた紙や布を置いて窒息死させる「間引き」などというものが実際に行われていた時代。親だって好んでそんな行為に走るわけではない。貧しさゆえに食べるものがない、母親の乳すらでない。苦悩に悶えながら決断に迫られて、わが子に手をかけるしか方法がなかった。なかには金持ちの家の玄関先や、神社・寺などに置き去りにするケースもあった。少し年齢が大きくなった場合は、遊郭や角兵衛獅子など芸人の元に売られる例もあった。



苦しさやしごきに耐え切れず涙した子供たちも多かった。「こんなことならいっそ死んでしまったほうがよかった」…そんな思いが脳裏をよぎる。そんなかわいそうな身の上に同情して自分の家に引き取って育ててくれたり、自分の家の奉公人として雇ってくれる財閥や商家なども中にはあった。つまり金持ちが
 ♪ 飴屋で水飴 買って来た
ということである。飴屋とは、大道芸人などの元締めの親分や遊郭の主人たち、水飴とは過酷な運命にあえぐ子供たちをさしている。
 ♪ 子供に水飴 なめさせた
だか、そのあとには、ふたたび過酷な運命を辿る子供がいた。まさに飴とムチ。芸人として町村を雨の日も風の日もあてもなく渡り歩く辛さを考えれば、まだまだ幸せだったのかも知れない。毎日違う男たちを相手に身をささぐ廓暮らしにくらべれば、ましな生活だったのかもしれない。この詩にはこういう時代の背景が込められていた…。
金持ちの家には黄金虫が棲みついていると昔は信じられていた。さて、その黄金虫の正体は何だったか? それがこの童謡の最大のポイント。えっ!? 「黄金虫だから黄金虫に決まっているだろう」って!? それが…。



黄金虫の正体は、なんとチャバネゴキブリのことだったというから驚き。雨情が生まれた茨城県や北関東では、体の色からチャバネゴキブリのことを黄金虫と呼んでいたそうだ(本当だろうか?)。ゴキブリが家に棲みつくと金持ちになるというわけでなく、金持ちの家には食べ物もたくさんあり、暖かく棲み心地がいいからゴギブリが集まってくるということ。不衛生などという考えは、当時は全くなかった。とある県には、ゴキブリが多くいる家はお金がたまり、玄関先に「油虫売ります」などという貼り紙までされていたというからびっくり。さらに、金持ちになりたくて、ない金をはたいて黄金虫(ゴキブリ)を買った貧乏人。しかし、貧乏すぎて黄金虫(ゴキブリ)のエサすらなく逃げ出され、結局金持ちになれなかったというオチまで存在するというから摩訶不思議。



しかし、何故、ゴキブリが金持ちの印になってしまったのか…それはゴキブリのメスの卵巣が一見すると印籠の形に似ているからだといわれている。
 ♪ 黄金虫は 金持ちだ
「金」とは印籠のことだったのである。ゴキブリは外敵がいないことから、繁殖力が高いといわれている。まさか現在のように嫌われ者として扱われるなんて、当時の人は考えもしなかった。ゴキブリ自身もそうであろう。ゴキブリを毛嫌いするようになったのは「自分の家は中流家庭以上」と考えるようになった、たかだか数十年ほど前からだといわれている。まぁ…それだけ人々の暮らしが裕福になったのはいいことだけれど…。それまでは、金持ちの証、金持ちの使いとして大事にされていた。今の時代では信じがたいが…。



童謡物語としてはもう終わっているのだけれど、黄金虫の意外な正体…ゴキブリについて、ちょっと触れてみる。もしかしたら、ゴキブリに対する考えが変わるかも。
ゴキブリは人間の嫌われ者。けれど生物としては大先輩。なにしろ恐竜さえ棲んでいなかった3億年も前に出現して、それ以来、その姿もあまり変わらずに生き延びてきたというからスゴイ。現在、日本には約50種類のゴキブリがいるといわれており、その多くは森や林で暮らしている。もともとゴキブリは森林の朽ちた木の皮の中や、落ち葉の下で暮らす昆虫だ。それが、いつの間にか食べ物が豊富で冬でも暖かい人家に棲むゴキブリが出てきた。日本で人家を棲み家とするゴキブリは、ヤマトゴキブリ、クロゴキブリ、チャバネゴキブリ、ワモンゴキブリなどで、ヤマトゴキブリ以外は江戸時代から明治にかけて船荷などで外国…特に暖かい南の国から入ってきた種類だという。



しかし、生活環境に適応し、よりよい暮らしをしようと本能のままに人家に出現したゴキブリ。それが人類に嫌われるキッカケになったのだから、なんともいいようがない。ゴキブリが悪いのか、人類が悪いのか…!? そもそもゴキブリを嫌うほど人類の意識(文化)が変化したのが悪いのでは…と思うけれど。人類の危機が叫ばれている現代、「ゴキブリの生き延びる秘訣を探り、人類にも応用する必要があるのでは…」という考え方もある。しかし、どうも好きになれない。あなたなら、どうする?…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第7弾「しゃぼん玉」はここ(←クリック)


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと 立往生 2009/03/20 12:00 am

ちおうじょう…行き詰ってどうにもならなくなること。物事の途中で動きが取れなくなること。にっちもさっちもいかなくなること。
◇ちょっと予備知識 → もとは立ったままで死ぬということから。
                類義語に進退両難(しんたいりょうなん)・難渋(なんじゅう)がある。
                対義語は進捗(しんちょく)・進展(しんてん)・進行(しんこう)。

彼岸。この連休はあまりお天気がよくないようだが、暑さ寒さも彼岸まで。いよいよ本格的な春を迎える。桜の開花宣言も届いてくる。この連休はどのようにお過ごし? 連休にもかかわらずお仕事の人もいるだろうし、20日、22日が休みで21日はお仕事という暦どおりの人もいるだろう。この時季は体調を崩しやすいときでもあるので、身体を休めるときはゆっくりと休むように心がけるようにしたい。

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

ーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。

のネタ雑学(19)
ゴボウを食べるのは日本だけ?  (旧フォトヴィレッジ 2007年2月20日掲載)



ゴボウは繊維質が多く、最近はやりのファイバー食品の元祖ともいうべき存在。ヘタな健康食品よりよほど便秘症に効果があり、アルカリ性食品なので塩分をとり過ぎる人にも最適。その香りと歯ごたえの良さで、きんぴら・かやくごはん・たたきゴボウ・かき揚げやお正月の煮しめなど、日本人の食卓に欠かせない食べ物となっている。



ところが、このゴボウを食べるのは意外にも日本人だけ。戦時中の日本の捕虜収容所でアメリカ人やイギリス人捕虜の食事にゴボウを出したところ、戦後「木の根を食べさせた」として捕虜虐待の罪で戦犯になったというエピソードがあるほど。


(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

原産地は中央アジアで中国から薬用植物として入ってきたもの。日本で改良して野菜として食べるようになったのが、そもそものはじまり。いつでも出回っているゴボウなんだけど、旬は梅雨の季節の6〜7月。頭の先に緑の茎がついた新ゴボウは柔らかく瑞々しく一年中で一番おいしいのはいうまでもない…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
★前回はここ(←クリック)


 

このエントリーの情報

今京都 太平楽 2009/03/19 12:00 am

いへいらく…好き放題に言うこと。のんきに構えていること。
◇ちょっと予備知識 → もとは雅楽の曲名からきたとされる。略して「太平」ともいう。
                類義語に後生楽(ごしょうらく)・安閑(あんかん)・安逸(あんいつ)・気儘(きまま)がある。

都・東山花灯路2009に駆け足で行った。「花灯路(はなとうろ)」という響きがとてもいい。18時〜21時30分までと短い時間だから、一回の訪問で全てを回るのは駆け足となる。随所で写真を撮っていると、何回も来ないと撮りきれない。期間は3月13日(金)〜3月22日(日)までの10日間。初めての花灯路だったが、なかなかいい。昨年末に開催された嵐山・花灯路には残念ながら行けなかった。その分も合わせて短い時間だったけれど楽しんだ。
寺社仏閣・石畳の道や石塀の路地などの約4.6kmの散策路にはイルミネーションよりも電球色の灯りが似合う。足元をほんのり照らしてくれるのは、京焼・清水焼、北山杉、京銘竹、漆塗りなど伝統工芸による6種類約2,400基の露地行灯。春まだ浅い東山一帯が、温かな灯りに包まれる催し物だと思う。やがて、「今京都」で写真を掲載するけれど、少しだけ掲載しておこう。

      

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

ーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。

ゃぼん玉(童謡物語第7弾)  (旧フォトヴィレッジ 2006年11月10日掲載)

「しゃぼん玉」
作詞:野口雨情 作曲:中山晋平

しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ  屋根までとんで こわれてきえた
しゃぼん玉きえた とばずにきえた  うまれてすぐに こわれてきえた
かぜ かぜ ふくな しゃぼん玉とばそ  かぜ かぜ ふくな しゃぼん玉とばそ

お子はしゃぼん玉が好き。フワーっと大きくなって、風にのって飛んでゆくしゃぼん玉には、夢と希望がつまっているように見える。薄い石鹸水でできたしゃぼん玉…こわれずにとんで…という願いか。しかし、この歌はそんな夢と希望がつまっている歌ではなかった。



「しゃぼん玉」が野口雨情の手によって作られ最初に雑誌に載った年は資料によってまちまちである。
1920(大正9)年、1922(大正11)年、1923(大正12)年、1924(大正13)年という説がある。
 ♪ うまれてすぐに こわれてきえた
のが、その頃に亡くなった雨情の娘「恒子」のことを歌っているといわれている。しかし、その後の調査では、詩をしたためたのが娘「恒子」の亡くなる前だということが明らかにされている。では、雨情はこの詩に何を込めたのだろうか…。実は、雨情は「恒子」の前にも子供を失っている。初めての子の死。それも生まれてわずか一週間後の死。まさに
 ♪ うまれてすぐに こわれてきえた
なのである。1908(明治41)年3月23日、長女「みどり」は北海道小樽で生まれて、わずか八日目に亡くなった。現代とは違い、その当時は、まだまだ医学の発達が遅れており、抵抗力のない子供がすぐに亡くなることは、あまり珍しいことではなかった。しかし、初めて授かった子供の成長を見守ることなく突然失うのは、この上なく辛いことであったに違いない。



「みどり」の死後、次女、三女と次々と生まれているが、頭から長女の死が離れなかった。次女も三女もまだ幼い。
 ♪ うまれてすぐに
こわれないまでも、
 ♪ 屋根までとんで こわれて
消えることもありうるから、雨情は恐れていた。雨情には、どこかにいつも、生まれたばかりの子供を成長させてあげれなかったことへの負い目があったに違いない。まして、この歌を作った頃に、後に亡くなる「恒子」が生まれている。
 ♪ うまれてすぐに こわれて
消えないで欲しいという内面から湧き出る願いこそがこの詩を作らせたのではないかといわれている。しかし、雨情は彼の性格上そんな身内の不幸からだけでこの詩をつくったのではなかった。雨情がいつもかわいがっていた親戚の子供が死んだからとか、雨情が住んでいた東京の近所の子供の死を悼んでとか、色々な説があるのだが、純粋に雨情は不平等に人生を謳歌できぬまま死んでいく子供たちの運命を悲しんでいた。「どうして人生は平等ではないのか」と嘆き悲しみ、「平等であって欲しい」と願っていたという。



大正デモクラシーが叫ばれ、第一次世界大戦勃発の中、その頃の世情はまさに混沌としていた。1918(大正7)年から翌年にかけてはスペインで猛威を振るった流行性感冒「スペイン風邪」が世界的に大流行し、その波は日本にも押し寄せた。その影響でなんと15万人もの人々が死亡する。さらに戦争の影響で各地で起こる米騒動。戦争と貧困の中の犠牲者は、いつも弱い立場の子供だった。病で死ぬ子だけでなく、子供の数の多さに養いきれず涙をのんで親が自ら生児に手をかける、いわゆる間引きで死んでいった子供の数も少なくない。子供も哀れだが、親だって決して好き好んで人の道を踏み外した行為を選んでるのではない。しかし、そうでもしないと生きていけないのである。そんな世の中への反感と嘆き、そして安穏な暮らしを破壊するものへの抵抗こそが、雨情に「しゃぼん玉」を書かせたのではないか。
 ♪ かぜ かぜ ふくな
「あぁ、世間の冷たい風よ、どうぞ吹かないでおくれ。そうしてくれなければ、屋根まで飛ぶ前に命がまたひとつ消えてしまう。神よ仏よ、こんな冷たく恐ろしい風を止めてくれ…お願いだ…」そんな悲痛な思いが込められていたに違いない。しかし、無情にも風は吹くのをやめなかった…1923(大正12)年9月1日、関東大震災が起こる。



 ♪ しゃぼん玉きえた とばずにきえた
雨情の願いは、今度もまた届かなかった。この詩は、不特定多数の子供たちへの鎮魂歌なんだろう。だったら、この歌はスローテンポで語りかけるように歌ったほうがいいかもしれない。
 ♪ しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ
そう、スローテンポで、語りかけるように…今京都。 ※写真はしゃぼん玉遊びの光景。
★前回の童謡物語第6弾「ちいさい秋みつけた」はここ(←クリック)


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと 大盤石 2009/03/18 12:00 am

いばんじゃく…堅固でゆるぎないさま。
◇ちょっと予備知識 → 非常に大きな岩のことから。どっしりとしていて丈夫なこと、
                落ち着いているさまなどをたとえていう。
                「大磐石」とも書く。
                類義語に丈夫(じょうぶ)・頑丈(がんじょう)・牢固(ろうこ)がある。
                対義語は脆弱(ぜいじゃく)・軟弱(なんじゃく)・繊弱(せんじゃく)。

っかり春の陽気。昨日はちょっと野暮用で外出したけれど暑かった。一気に春だ。桜の開花予報は26日ぐらいとのことだけれど、もっと早まるかも知れない。お彼岸で暦の上では三連休が今週末にある。天気予報では曇り、または小雨が伴うかも、とのことらしいが…。
この季節に気をつけたいのは、風邪。この時季の風邪は治りにくいから注意。おまけに花粉症と風邪の区別もつきにくい季節。ご用心あれ!

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

ーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。

のネタ雑学(18)
土は何がどうやってできたもの?  (旧フォトヴィレッジ 2007年2月12日掲載)



都会ではマンション暮らしが増え、朝顔を植えるのにも土を買ってこなければならない。買ってくるのは黒土と呼ばれる真っ黒い土。黒土は植物が枯れて腐ってできた土で、炭素や窒素に分解された有機物がいっぱい詰まっていて、通気性や保水性がよく、植物がよく育つ。こうした有機質の土は、長い年月をかけて地表を覆うようになった。関東平野の黒土は、一万年前から作られてきたもの。この土のおかげで、人間は豊かな作物をつくってきた。



土はもともと、大気と水の働きで岩石が細かく砕かれ、鉱物の粒になった集まりで、こうした無機質の状態では植物は育たない。土というと、どれも同じように思われるが、植物に向くものと、向かないものがある。


(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

土に植物が生えなくなれば、人間の死活問題にもかかわる。化学肥料と農薬が土をダメにしていると騒がれているが、それは土を固くし、微生物を死滅させてしまうからだ。人間が裕福になる分、自然を破壊しているのかも知れない…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
★前回はここ(←クリック)


 

このエントリーの情報

今京都 大団円 2009/03/17 12:00 am

いだんえん…小説や劇などで、めでたく解決する最後の場面。
◇ちょっと予備知識 → 「団円」は終わり、結末のこと。「団演」と書くのは誤り。
                類義語に終曲(しゅうきょく)・終幕(しゅうまく)・有終(ゆうしゅう)がある。
                対義語は初手(しょて)・冒頭(ぼうとう)・端緒(たんしょ)。

ーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。

いさい秋みつけた(童謡物語第6弾)  (旧フォトヴィレッジ 2006年11月1日掲載)

「ちいさい秋みつけた」
作詞:サトウハチロー 作曲:中田喜直

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見つけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた
めかくし鬼さん 手のなるほうへ  すましたお耳に かすかにしみた
よんでる口笛 もずの声  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見つけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた
お部屋は北向き くもりのガラス  うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見つけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた
むかしのむかしの 風見の鳥の  ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉赤くて 入り日色  ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた

この歌が最初に発表されたのは1955(昭和30)年11月3日。NHKで放送された特別番組「秋の祭典」でのことだったという。
 ♪ はぜの葉赤くて 入り日色
ハチローが1973(昭和48)年に亡くなるまで住んでいた東京都文京区の自宅には「はぜの木」が実際にあったらしい。はぜの木の秋の色づけは、まさに見事。そうなれば、はぜの木にもずが止まっても鳴いていることも、ごくごく自然なこと。また、北方に生息するもずは、秋になると南に渡る習慣があり、そのために縄張り争いが熾烈で、秋になるとほかから飛んできたもずに居場所を奪われないために雌雄がピーピーと甲高く鋭い声で鳴いて縄張りを誇示するというから、
 ♪ よんでる口笛 もずの声
の表現にぴったりと当てはまる。ハチロー自身が見つけた秋の様子ということで一件落着!? ところが世の中そんなに甘くない。それだけでは説明のつかない箇所がでてくる。
 ♪ うつろな目の色 とかしたミルク
 ♪ むかしのむかしの 風見の鳥の
というところ。ここには、何か意味が込められているように感じられる。きっと何かあるに違いない…。



ハチローが書いた作品集のタイトルを見ていくと、「ちいさい」とつく題名の詩がやたらに多いことに気づく。「ちいさな」でもなければ「小さい」でもなく「ちいさい」なのである。さらにハチローといえば「おかあさん」である。ハチローの代表作ともいうべき詩集「おかあさん」全三巻は驚異的なベストセラーという記録がある。ハチローは1903(明治36)年5月23日に熱血少年小説の作者として高名だった作家佐藤紅禄の長男として生まれる。幼い頃に誤って鍋の熱湯を浴びて、ひとりで学校にも通えないほどの大やけどを負う。母のハルは、そんなハチローを不憫に思って背負って登校。自分の通う教会にも連れて行ったという。しかし、そんな優しい母は、父に新しい女がではたという理由から一方的に離縁されてしまい、ハチローが成人した年に恋しい母は亡くなってしまう。
 ♪ むかしのむかしの 風見の鳥の ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
母の純真な神への祈りの様子、幼き日に母に連れられて行った教会の様子を描いているといわれる。「ぼやけた」とは古びたという意味で、「とさか」は頭の中の思想や思い出をさす。つまりは、遠い遠い日の思い出。ちいさい頃に母と通った教会にあった風見鶏。この部分には母との思い出がぎっしりとつまっている。大好きだった母、優しい母、そんな母との思い出への想いがつまっている…。



 ♪ お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色 とかしたミルク
ハチローの母は北向きの納戸みたいなところで繕い物をしていて、それをハチローは見たことがあるという。「くもりガラス」は擦りガラスのこと。その部屋で浮気相手の家に入り浸りの父の帰りを待ちわびながら、ひとり淋しく裁縫をする母の姿がハチローの瞼に焼き付いていたのであろう。さらに「北向き」「くもり」「うつろ」「とかす」…これらの単語には全て死が絡んでいた。母に愛された幼少の頃の大切な思い出、おかあさんのおっぱいのにおい、ミルク色も全て溶けて流れてしまう。思い出との決別、母との決別が描かれていたのではないか…。よく、四季を人生にたとえることがある。春は誕生と成長、夏が人生の真っ盛り、秋は晩年にさしかかり、冬は人生との別離を意味するというように。
 ♪ わずかなすきから 秋の風
母との永遠の別れが近づいている。しかし、それはまだ「わずかなすき間」からなのである。まだまだ「ちいさい秋」なんだけれど、確実にそれは近づいている。ハチローはそんな気がしていたのであろう。母だけではない。人はみな人生の冬に向かって生きている。父の勝手な事情によって家を出され、母と別れることになったハチローにとって、あまりにも淋しすぎる時期こそが「ちいさい秋」のスタートだった。「ちいさい秋」はだんだんと「おおきな秋」へと時を刻み、そして急速に冬が訪れる。子供たちと離れて暮らす母が苦しみと淋しさの中でひとり死んでいくのは「ちいさい秋」からわずか7年後のことだった。
家を出た時期こそが、
 ♪ わずかなすきから 秋の風 ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた
の到来だった。ハチローはこの歌に人生をオーバーラップさせていたのではないだろうか…。



時が流れ、一回きりの放送でレコーディングもされずに忘れ去られていたこの歌で、ボニージャックスが日本レコード大賞童謡賞を受賞したのは1962(昭和37)年のことだった。秋が近づくと何気に歌っていた「ちいさい秋みつけた」だったけれど…ハチローの思いを理解し、長くもあり短くもある人生に思いを込め、今、一度、歌ってみよう。
 ♪ 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見つけた〜
きっと今までと違った感慨があるに違いない…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第5弾「てるてるぼうず」はここ(←クリック)


 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

« 1 2 (3) 4 5 6 7 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop