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rrbのブログ - 2009/02/24のエントリ

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今京都 三羽烏 2009/02/24 12:00 am

んばがらす…ある集団や部門において、特に優れている三人の部下や弟子などのこと。
◇ちょっと予備知識 → 「烏」を「鳥」と書くのは誤り。
                類義語に四天王(してんのう)がある。


いづちを打つ  (旧フォトヴィレッジ 2007年8月24日掲載)
暫時(しばし)もやまずに 槌(つち)うつ響(ひびき)
飛び散る火の花、はしる湯玉(ゆだま)
鞴(ふいご)の風さえ 息をも継(つ)がず
仕事に精出す 村の鍛冶屋(かじや)



これは作詞作曲不詳/文部省唱歌(4年)「村の鍛冶屋(かじや)」の1番。
「あいづちを打つ」。この語源は鍛冶用語にある。あいづちとは「相槌」のことで、鍛冶で師と弟子が向かい合ってトンカンと互いに打つ槌のこと。そこから転じて、今では「相手の言葉に同意のしるしを表してうなづく。相手の話に調子を合わせる」といった意味に使われる。心の底から同意して「あいづちを打つ」場合はいいが、適当に「あいづちを打つ」こともしばしばあり、千年前に活躍した京の刀鍛冶たちが聞いたら、さぞかし嘆くだろう。



平安時代中ごろ、京に三条小鍛冶宗近という有名な刀鍛冶がいた。一説には藤原兼家に仕えたが、人を討とうとして薩摩に流され、そこで鍛冶を学んだという。許されて京に戻ったのち三条粟田口に住み、刀鍛冶宗近として知られるようになった。宗近は刀の焼き入れに伏見稲荷山の土を用い、そのたびに伏見稲荷に祈っていた。一条天皇即位の作刀中に稲荷明神が宗近を助け、名刀「小狐丸(こぎつねまる)」ができあがったという伝説がある。やがてこの伝説は謡曲「小鍛冶」となって、名工宗近の名を全国に広めた。謡曲「小鍛冶」では、天皇の剣づくりを「をりふし相槌打つべき者のなく候」と断ろうとするが、それもかなわず、伏見稲荷にひたすら祈ったところ、稲荷の化身である弟子が現れて相槌を打ちはじめる。その絶妙の相槌のおかげで完成した名刀に宗近は表に「小鍛冶宗近」と銘を刻み、裏には「小狐」と刻んで、ここに天下に誇る二つ銘の名刀「小狐丸」が誕生した。
というもの。


(上の鳥居のトンネルを進むと…)

実はこの謡曲はフィクションでもなさそうだ。安易に直結すべきではないと思うけれど、京の三条粟田口に「合鎚稲荷大明神」なる神社が実在する。粟田神社から三条通を渡った北側、三条通に面して赤い鳥居が並ぶ参道がある。それをくぐって民家の玄関先を抜けていくと、路地奥にその神社はひっそりと建っている。ここに、宗近の相槌を打った稲荷明神が祀られているという。


(普通の路地となったが…)

三条粟田口には「粟田口鍛冶町」という町名が今も残る。この地に三条小鍛冶宗近が住み、宗近以後も
代々名工を輩出、「三条鍛冶」と呼ばれる刀鍛冶集団を形成。そして京の刀鍛冶のもう一方の雄「粟田口鍛冶」とともに日夜相槌の音を響かせた。



三条小鍛冶宗近といえば、もうひとつ忘れてはならないことがある。京都祇園祭の長刀鉾の初代長刀が彼の作だということ。知恩院三門の石段下右側に「小鍛冶の井」がある。宗近はここで長刀を鍛え、祇園社に奉納したと伝えられている。


(路地をさらに進むと…)

粟田神社の東、佛光寺には「三条小鍛冶宗近之古跡」の碑が建っている。その他、平安時代の刀匠・宗近ゆかりの地は京には豊富にある。鍛冶用語に語源をもつ言葉は他にも多い。「焼きを入れる」「焼きが回る」「鍛錬」など。昔は鍛冶仕事が、それほど身近で、ものづくりの根幹を成したということだ。


(社が現れた)

祇園祭で祇園囃子の「コンコン、チキチン、コン、チキチン…」が長刀鉾の初代長刀を作成した宗近と稲荷明神との絶妙の相槌を表現しているように聞こえかもしれない。意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.9(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は合鎚稲荷大明神。
★前回の京が語源「お開きにする」はここ(←クリック)


 

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