rrbのブログ - 2008/08/01のエントリ
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今京都 一喜一憂 2008/08/01 1:25 am
いっきいちゆう…状況のちょっとした変化に、いちいち喜んだり悲しんだりすること。喜びと悲しみが交互に訪れること。そこから、周囲の情勢に振り回されることにも使う。
◇ちょっと予備知識 → 「一喜一憂する」などと使う。
類義語に一笑一顰(いっしょういっぴん)がある。
対義語は泰然自若(たいぜんじじゃく)。
葉月、8月。今月は夏祭りとか花火大会とか色々なイベントがある。さて、どれだけ参加できることやら…。
八坂庚申堂・金剛寺
京都市東山区にそびえる五重の塔の西南側に、「サルの寺」として親しまれる八坂庚申堂・金剛寺がある。開基は平安時代に多くの伝説を残した僧侶、浄蔵貴所。この地でも、傾いた五重の塔を元に戻したとする言い伝えを残している。

浄蔵は891(寛平3)年、貴族の三善清行の子として生まれ、7歳で出家。絶大な法力を持つ僧侶として、怨霊となった菅原道真の調伏、死去した父を生き返らせた「一条戻り橋」などの逸話で知られる。法力の強大さゆえに、天皇からは、妻をめとり、子々孫々を残すことを命ぜられたともいう。

晩年の大仕事が、傾いた法観寺・五重の塔「八坂の塔」を正すことだった。法力を発揮するため、加持祈祷を行うのに選んだのが、現在、八坂庚申堂が建つ場所だった。ただ、この時すでに62歳。浄蔵は子ども二人の力を借りることにし膝上に二人を乗せて祈った。

すると、雲行きが変わり、風が吹き付け、鴨川が逆流。ところが、八坂の塔は傾いたままで、祈りを終えた浄蔵らはそのまま去ってしまった。見守る大勢の庶民はいぶかしげな様子だったが、翌朝になると、八坂の塔は元通りになっていたという。

しかし、渡来人で建築技術を持った秦一族の協力で修復したのではないかという解釈もある。理由は、浄蔵は貴族出身のため、宮廷サロンのつながりがあり、秦氏との交流があったとみられているからである。

真相は浄蔵が加持祈祷を行う一方で、秦氏が建物を手直ししたと推測されている。八坂庚申堂の本尊は秦氏の守り本尊「青面金剛」だが、その縁で仏様を招来し寺が建ったのではないかという。

その後の寺は、60日ごとに巡る庚申(かのえさる)の日、寝ずに夜を明かして長寿を願う庚申信仰、下着を祈祷して失禁を防ぐ「タレコ封じ」など、民間習俗の寺院として広く親しまれている。庚申のサルの語呂合わせからか、生まれたお守り「くくり猿」は今も昔も人気を集める。

サルが手足をくくったような姿で、本願成就のためには欲望を抑えて心と行動を戒める大切さを説く。「浄蔵さんにはなれないかもしれないが、庚申の使いであるくくり猿を持つことで、自分を律せられる良い人になる一助になれば」と願いを込める。屋根の上の三猿「見ざる、聞かざる、言わざる」は日光東照宮神厩舎が有名であるが、ここのほうが先だといわれている…今京都。


◇ちょっと予備知識 → 「一喜一憂する」などと使う。
類義語に一笑一顰(いっしょういっぴん)がある。
対義語は泰然自若(たいぜんじじゃく)。
葉月、8月。今月は夏祭りとか花火大会とか色々なイベントがある。さて、どれだけ参加できることやら…。
八坂庚申堂・金剛寺
京都市東山区にそびえる五重の塔の西南側に、「サルの寺」として親しまれる八坂庚申堂・金剛寺がある。開基は平安時代に多くの伝説を残した僧侶、浄蔵貴所。この地でも、傾いた五重の塔を元に戻したとする言い伝えを残している。

浄蔵は891(寛平3)年、貴族の三善清行の子として生まれ、7歳で出家。絶大な法力を持つ僧侶として、怨霊となった菅原道真の調伏、死去した父を生き返らせた「一条戻り橋」などの逸話で知られる。法力の強大さゆえに、天皇からは、妻をめとり、子々孫々を残すことを命ぜられたともいう。

晩年の大仕事が、傾いた法観寺・五重の塔「八坂の塔」を正すことだった。法力を発揮するため、加持祈祷を行うのに選んだのが、現在、八坂庚申堂が建つ場所だった。ただ、この時すでに62歳。浄蔵は子ども二人の力を借りることにし膝上に二人を乗せて祈った。

すると、雲行きが変わり、風が吹き付け、鴨川が逆流。ところが、八坂の塔は傾いたままで、祈りを終えた浄蔵らはそのまま去ってしまった。見守る大勢の庶民はいぶかしげな様子だったが、翌朝になると、八坂の塔は元通りになっていたという。

しかし、渡来人で建築技術を持った秦一族の協力で修復したのではないかという解釈もある。理由は、浄蔵は貴族出身のため、宮廷サロンのつながりがあり、秦氏との交流があったとみられているからである。

真相は浄蔵が加持祈祷を行う一方で、秦氏が建物を手直ししたと推測されている。八坂庚申堂の本尊は秦氏の守り本尊「青面金剛」だが、その縁で仏様を招来し寺が建ったのではないかという。

その後の寺は、60日ごとに巡る庚申(かのえさる)の日、寝ずに夜を明かして長寿を願う庚申信仰、下着を祈祷して失禁を防ぐ「タレコ封じ」など、民間習俗の寺院として広く親しまれている。庚申のサルの語呂合わせからか、生まれたお守り「くくり猿」は今も昔も人気を集める。

サルが手足をくくったような姿で、本願成就のためには欲望を抑えて心と行動を戒める大切さを説く。「浄蔵さんにはなれないかもしれないが、庚申の使いであるくくり猿を持つことで、自分を律せられる良い人になる一助になれば」と願いを込める。屋根の上の三猿「見ざる、聞かざる、言わざる」は日光東照宮神厩舎が有名であるが、ここのほうが先だといわれている…今京都。



