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rrbのブログ - 2008/07のエントリ

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今京都 侃侃諤諤 2008/07/06 12:14 am

んかんがくがく…遠慮せず、思ったことを主張して議論すること。また議論の盛んなことをいう。
◇ちょっと予備知識 → 「侃侃」は強く正しいこと。「諤諤」は遠慮せずありのままをずばりと言うこと。
                「喧喧囂囂」より肯定的な場面に使う。
                類義語に諤諤之臣(がくがくのしん)・議論百出(ぎろんひゃくしゅつ)がある。

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今京都 極楽浄土 2008/07/05 12:03 am

くらくじょうど…苦しみのない理想の世界。また、この上なく幸せな状態のたとえ。
◇ちょっと予備知識 → 仏教で、西方のかなたにあり、阿弥陀仏がいるとされている死後の理想郷。
                類義語に九品浄土(くぼんじょうど)・極楽世界(ごくらくせかい)・
                西方浄土(さいほうじょうど)・十万億土(じゅうまんおくど)がある。

猿のかごや (童謡物語第13弾) vol.2 vol.1はここ(←クリック)
唱歌「箱根八里」で
 ♪ 箱根の山は 天下の険…
と、歌われるように当時の箱根越えは命がけだった。
 ♪ 日暮れの山道 細い道…
は、まさに、
 ♪ 羊腸の小径…
だったのである。羊腸とは、文字通り羊の腸のことであるが、羊の腸はくねくねと曲がっている。
つまり羊の腸のように、くねくね曲がった小径が続いているのが箱根の山なのである。さらに、くねくねとした険しい細い道だけでなく、物の怪が棲み、夜になると徘徊すると信じられていた。
何しろ、このかごに乗っているのは、
 ♪ お客はおしゃれの こん狐…
だったのである。



さて、少しお話は変わるけれど、小田原提灯には3つの徳があるという。
1つは携帯に便利だったこと。これ以前の提灯は折りたためなかったが、小田原提灯は箱型といって小さく折りたためるようになっている。
2つめは雨風にあたっても破れないこと。
3つめは提灯の蓋が道了尊(どうりょうそん)の霊木で作られていたこと。道了尊とは、小田原の町の守り神ともされた大雄山最乗寺のことを示し、そこの寺に立つ木で蓋を作ったのである。つまり、霊木ということであるから物の怪が棲むという箱根の細い道を通るときの魔よけになるという。



このことから小田原提灯はヒットする。
おまけに、箱根越えは、ただでさえ、
 ♪ 昼なお暗き…
だったわけであるから、小田原提灯は大変な人気商品となる。
小田原提灯は、かごやにとっても必要な物となった。かごを使う人といえば、一般庶民ではない。身分の高い人や少数の老人や病人、怖がりの若い女性と相場が決まっていた。
それも、
 ♪ 日暮れの山道 細い道…
というのだから、帰りが遅くなったり急な用事でもない限り、贅沢なかごやを使う人などいなかった。



夕暮れともなれば狐狸妖怪(こりようかい)、魑魅魍魎(ちみもうりょう)に遭わぬように小田原提灯をぶら下げる必要があった。小田原提灯は一種のお守りみたいなものだった。
しかし、そのお客が、この童謡ではキツネになっている。
 ♪ お客はおしゃれの こん狐(ぎつね)…
きつねに遭わないために小田原提灯をぶら下げていたにもかかわらず、どうしてそのお客がキツネでなければならないのだろうか?



ここにこの歌の面白味がある…今京都。(続く。次回は2008年7月8日に掲載) ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 千姿万態 2008/07/04 12:06 am

んしばんたい…姿かたちや様子などがさまざまに異なっているみと。また、状態がいろいろと変化すること。
◇ちょっと予備知識 → 「千万」の「姿態」ということから。「千」「万」は数が多いことのたとえ。
                類義語に千状万態(せんじょうばんたい)・千態万状(せんたいまんじょう)・
                千態万様(せんたいばんよう)。千差万別(せんさばんべつ)がある。

猿のかごや (童謡物語第13弾) vol.1
前回の通りゃんせで箱根が登場することになった。箱根の関係する童謡に「お猿のかごや」がある。今回はその「お猿のかごや」を取り上げる。



「お猿のかごや」
作詞:山上武夫、作曲:海沼 實

エッサ エッサ エッサホイ サッサ
お猿のかごやだ ホイサッサ
日暮れの山道 細い道
小田原提灯ぶらさげて ソレ
ヤットコ ドッコイ ホイサッサ
ホーイ ホイホイ ホイサッサ

エッサ エッサ エッサホイ サッサ
木(こ)の葉のわらじで ホイサッサ
お客はおしゃれの こん狐(ぎつね)
つんとすまして 乗っている ソレ
ヤットコ ドッコイ ホイサッサ
ホーイ ホイホイ ホイサッサ

エッサ エッサ エッサホイ サッサ
元気なかごやだ ホイサッサ
すべっちゃいけない 丸木橋
そらそら小石だ つまずくな ソレ
ヤットコ ドッコイ ホイサッサ
ホーイ ホイホイ ホイサッサ

エッサ エッサ エッサホイ サッサ
のぼって くだって ホイサッサ
ちらちらあかりは 見えるけど
向うのお山は まだ遠い ソレ
ヤットコ ドッコイ ホイサッサ
ホーイ ホイホイ ホイサッサ



♪ エッサ エッサ エッサホイ サッサ…
と、楽しく手拍子でも打ちながらつい口ずさんでしまう童謡に「お猿のかごや」がある。
民謡調とでもいうか、日本的な童謡として歌われてきた。猿のかごかきが、掛け声も威勢よく駆け抜けていく。日本の土の匂いがなんとなく漂ってきそうな世界。それもそのはず、これは箱根八里の峠越えの歌なのだ。



この歌の背景には面白い話があった。その話とは…今京都。(続く) ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 焚書坑儒 2008/07/03 8:56 am

んしょこうじゅ…思想や言論を弾圧すること。
◇ちょっと予備知識 → 秦の始皇帝が儒者の政治批判を防ぐために、書物を燃やし、多くの儒者を生き埋めにしたという故事から。

園祭ときゅうり
7月になると祇園祭のコンチキチンが鳴り響く。この祇園祭にからんだお話をひとつ。そのお話には「きゅうり」が絡むからまた意外な感じがする。さて、そのお話とは…。



「きゅうり」の切り口が、祇園さん(八坂神社)の紋にどことなく似ていることから、その紋を食べてしまうのはあまりにももったいないと、京都では八坂神社のお祭りである祇園祭の間は「きゅうり」を食べないという。
他の地方の人は、祇園祭といえば、2〜3日ぐらいの間と思うだろうが、祇園祭というのは随分長い期間にわたるお祭りで、およそ一ヶ月ほどある。この間、特に「きゅうり」の美味しい時期に食べないのだから、結構大変なことである。



京都ではシンボリックな紋というものに対して敬う気持ちが非常に強く、大事にしているのである。
最近、京都でも観光地に行くと、紋入りのキーホルダーが売られているのを見かけるが、京都人は、あの手のものはあまり買い求めない。
紋はその家やその人を表すものであり、神聖なものだと考えているので、あまり軽く扱わない。家紋額といったものも、京都では他府県に比べてあまり売れないという。



京都では広蓋(ひろぶた)とか袱紗(ふくさ)とか風呂敷に、しっかりと自分の家の紋が入っていて、そのように代々残して伝えていくものがあるからかもしれない。それはただの装飾品ではなく、日常生活の中で、事あるごとに使用するものである。
日々の生活の中でつちかわれてきた、紋というものを重たく思い入れる心が、「きゅうり」を食べないことにつながっている。



もともと紋はお公家さんが使っていた輿(こし)や牛車につけられたことがはじまりであると伝えられている。平安時代、御所や鴨川べりにならんだ輿や牛車は、まるで紋の品評会だったのではないだろうかと想像する。



このように家紋発祥の地である京都には、紋に関するしきたりがあり、儀式作法には必ずといっていいほど登場する。京都人は自分の家の紋を知っているのが当たり前であり、その紋には男紋と女紋がある。こんなこと自体が、他の地方からみれば不思議この上ないのではないか。京都は、紋=シンボルを敬い、大切にするという京都の文化のお話…今京都(写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず)。


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今京都 実践躬行 2008/07/02 12:03 am

っせんきゅうこう…理論や観念だけでなく、それを自分で実際に行うこと。主義主張を言うだけでなく、態度で示すこと。
◇ちょっと予備知識 → 「実践」は実際に行うこと。「躬」は自ら、自分で、ということ。
                類義語に率先躬行(そっせんきゅうこう)・率先垂範(そっせんすいはん)・
                率先励行(そっせんれいこう)がある。

どり・おどり
都をどりに京をどり、北野をどりに鴨川をどり。京都に春の訪れを告げるこれらの「をどり」はそれぞれ花街(祗園、宮川町、上七軒、先斗町)の芸妓さんや舞妓さんたちが舞いを競う、あでやかな舞台である。花街に「をどり」の提灯が見られるようになると、京都の人々はいよいよ春が来たと実感する…と、夏なのに春の話題でかんにん。



歴史はそんなに古いものでないが、あの独特の雰囲気は単に華やかというだけでなく、そこはかとなく上品な色香が匂いたつようなものがあり、「はんなり」という京ことばがぴったり。その中のひとつ、祗園甲部歌舞練場で繰り広げられる都をどりは、春一番のもので、京都の四季の風物を題材に演じられる。



都をどりは「ヨーイヤサー」という舞妓さんたちの黄色い声で幕が上がる。京都人には馴染みのあるこの「ヨーイヤサー」は、他の京おどりにも、北野をどりにも、鴨川をどりにもあって、独特な少し調子外れの同じ節回し。



京都のこれらの「をどり」にはそれぞれの特徴があるが、大詰め前の一幕(景)は、いずれも非常に暗く演じられる。これはまさに京都の冬を表現されているという。それが大詰めには一転して、ぱあっと明るく華やかになり、装置も大道具も小道具も、そして衣装も照明も、まぶしい限りの展開となる。この明るさが観客の心まで明るくさせ、気持ちよく劇場をあとにすることができる。



これこそ芸能の原点だといえる。日本の芝居はこういったものが多く、最後はスカッとした気分で劇場を出られるように演出されている。この演出で観客も翌日からはまた仕事にいそしむことができる。
西陣の人々に支えられて発展したこれらの「をどり」は今では多くの人々にとって日々の生活から離れた「晴れ」の場として愛されている。入場料も決して安いものではないが、こうして毎年多くの人々を呼び寄せるのは、芸能の発祥の地である京都ならではだという。



また、この日のために、稽古に稽古を重ねてこられた出演者の皆さんの汗と涙が実を結び、毎回必ず観客を夢の世界へ誘い込み、確かな感動を与えてもらえる。
本当に京の「をどり」は「ヨーイヤサー」であり、芸能はやはり京都という京都の文化のお話…今京都(写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず)。


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