rrbのブログ - 2008/03のエントリ
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今京都 公平無私 2008/03/31 12:05 am
こうへいむし…行動や判断が平等で個人的な感情などを入れないこと。私的な事情に流されず中立であること。
◇ちょっと予備知識 → 「無私」は私心がないことをいう。私心とは、自分個人の気持ちや利己心のこと。
類義語に公正平等(こうせいびょうどう)・公正無私(こうせいむし)・
公明正大(こうめいせいだい)・無私無偏(むしむへん)がある。
町並み
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◇ちょっと予備知識 → 「無私」は私心がないことをいう。私心とは、自分個人の気持ちや利己心のこと。
類義語に公正平等(こうせいびょうどう)・公正無私(こうせいむし)・
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今京都 輾転反側 2008/03/30 12:08 am
てんてんはんそく…繰り返し寝返りを打つこと。心配事や不安などでなかなか寝つけないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「輾転」は車輪が回ること。そのようにぐるぐると寝返りを打つことから。「展転」とも書く。
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◇ちょっと予備知識 → 「輾転」は車輪が回ること。そのようにぐるぐると寝返りを打つことから。「展転」とも書く。
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今京都 是是非非 2008/03/29 12:05 am
ぜぜひひ…よいことはよい、悪いことは悪いと公正に物事を判断すること。客観的に価値を論じること。
◇ちょっと予備知識 → 「是」は正しいこと。「非」は正しくないこと。「是非」を強調したことば。
類義語に理非曲直(りひきょくちょく)がある。
菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
菅原道真はこの邸宅で誕生したと言われ、境内社務所の北に「菅公御産湯の井」(菅大臣神社にもある)という石碑と共に井戸があるが、井戸は見る限り比較的新しい。
菅原院は道真が亡くなったあと、歓喜光院となったが、後に六条道場(六条河原院)へ移している。
その後、この地に菅原道真公を本座とし相殿に父是善卿を奉祀して菅原院天満宮を創建し今日に至る。
本殿南には「天満宮御遺愛の灯籠」の石碑と共に、道真遺愛の石灯籠が残されている。
境内にはガン封じにご利益があるという「梅丸大神」、天満宮にはつきものの牛、合格祈願の絵馬も祀られていた。
なお、菅原道真の誕生の地としている神社は、他に南区の「吉祥院天満宮」と下京区の「菅大臣神社」の二つあるのは謎である。
このあたりのことについても、調べたうえで再掲したい…今京都。
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◇ちょっと予備知識 → 「是」は正しいこと。「非」は正しくないこと。「是非」を強調したことば。
類義語に理非曲直(りひきょくちょく)がある。
菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
菅原道真はこの邸宅で誕生したと言われ、境内社務所の北に「菅公御産湯の井」(菅大臣神社にもある)という石碑と共に井戸があるが、井戸は見る限り比較的新しい。
菅原院は道真が亡くなったあと、歓喜光院となったが、後に六条道場(六条河原院)へ移している。
その後、この地に菅原道真公を本座とし相殿に父是善卿を奉祀して菅原院天満宮を創建し今日に至る。
本殿南には「天満宮御遺愛の灯籠」の石碑と共に、道真遺愛の石灯籠が残されている。
境内にはガン封じにご利益があるという「梅丸大神」、天満宮にはつきものの牛、合格祈願の絵馬も祀られていた。
なお、菅原道真の誕生の地としている神社は、他に南区の「吉祥院天満宮」と下京区の「菅大臣神社」の二つあるのは謎である。
このあたりのことについても、調べたうえで再掲したい…今京都。
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今京都 喧喧囂囂 2008/03/28 12:58 am
けんけんごうごう…わいわいがやがやと、やかましいさま。また、多くの人がやかましく騒いで収拾がつかないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「喧喧」は、やかましいこと。「囂囂」は音や声が騒がしいさま。
「侃侃囂囂」(かんかんごうごう)より否定的な意味合いで使う。
類義語に蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)がある。
菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ) vol.1
菅原院天満宮神社は、地下鉄「丸太町駅」を出て烏丸通(西側)を北へ徒歩3分ほど。
京都御苑の下立売御門の向かい側にある。
この地は、菅原道真の曽祖父・菅原古人(ふるひと)の邸宅「菅原院」であったところ。
祭神の菅原道真の父是善(これよし)ら曽祖父以来三代が住まったところとされ、石鳥居横に「菅家邸址」の石碑が建つ。
菅家発祥の霊地というところか…今京都。(続く)
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◇ちょっと予備知識 → 「喧喧」は、やかましいこと。「囂囂」は音や声が騒がしいさま。
「侃侃囂囂」(かんかんごうごう)より否定的な意味合いで使う。
類義語に蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)がある。
菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ) vol.1
菅原院天満宮神社は、地下鉄「丸太町駅」を出て烏丸通(西側)を北へ徒歩3分ほど。
京都御苑の下立売御門の向かい側にある。
この地は、菅原道真の曽祖父・菅原古人(ふるひと)の邸宅「菅原院」であったところ。
祭神の菅原道真の父是善(これよし)ら曽祖父以来三代が住まったところとされ、石鳥居横に「菅家邸址」の石碑が建つ。
菅家発祥の霊地というところか…今京都。(続く)
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今京都 疲労困憊 2008/03/27 12:05 am
ひろうこんぱい…すっかり疲れきって、くたくたになること。疲労のあまり弱りきること。
◇ちょっと予備知識 → 「困憊」は、くたくたに疲れて弱ること。「困負」と書くのは誤り。
類義語に精疲力尽(せいひりきじん)・満身創痍(まんしんそうい)・
満身傷痍(まんしんしょうい)がある。
左馬
うま年が巡ってくると、その年の年賀状の図案にきまって登場するのが「左馬(ひだりうま)」。一般に描かれる馬の姿と逆で、頭を右に、尻尾を左に駈ける馬であったり、「馬」という字を裏向けにした鏡文字であったり。この左馬が昔から縁起のいいしるしとされていた。
京都の繁華街・新京極に「左り馬」というお店がある。明治時代から店を構えるという老舗の化粧品店。場所柄か、昔から芸能界や舞台関係のお客が多いという。
「左馬」については、いろんなところに、いろんな言い伝えがある。
「左馬」の姿が「右に出るものなし」とか「馬は倒れるときに右に倒れ、左に倒れない」ともいわれている。
「うま」を逆から読むと「まう」となり、古来おめでたい席で舞われる舞いにつながるから縁起がいいとか、馬の字の下の部分が財布のキンチャクに似てお金が貯まるとか。
瀬戸や備前の窯元では、初窯で「左馬の茶碗」を焼いて成功を祈願し、将棋駒の産地では「左馬」を商売繁盛の守り駒として縁起物とする。
江戸時代の芸者さんは三味線の胴裏に逆さ文字の「左馬」を書いて、「寝やすいほうには寝ない」つまり「芸は売っても身は売らぬ」という心意気を示したなどという粋な話も残っているという。
この「左馬」を「わたくしどもが語源です」と言っているところが京都に存在している。上賀茂神社である。上賀茂神社で行われる競馬会(くらべうまえ)に語源があるという。
競馬会といえば「らちがあく」の語源とされる行事である。「らちがあく」ばかりではなく「左馬」もまた競馬会に語源ありということなのである。
競馬(くらべうま)は古くは宮中行事として、毎年5月5日に行われていた。平安時代に、競馬の開催地を宮中から他の場所に移そうとしたとき、御所の女房たちが占いをして、左方は御所から北へ向かう上賀茂神社へ、右方は御所から南に向かう石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)へと馬を走らせた。勝ったほうで開催するというわけだ。そうして勝ったのが左方の馬で、競馬会の行事が上賀茂神社にやってきた。以来今日まで、競馬会の儀式の第一走は必ず「左馬」が勝つことが決まりとなっている。そこから「左馬」は縁起がいいとされるようになったのだという。
「左馬」の語源は一気に平安時代まで駆け上った。今年も来年も再来年も5月5日の競馬会第一走では「左馬」が勝つのである。
先に書いた「左馬」のさまざまな民間伝承は、いまひとつ、つかみどころがないともいえる。そこに上賀茂神社の話が加われば、「左馬」のパズルが次々とつながってくる。
古来より馬は、神馬として大切に扱われてきた。絵馬の奉納も各地にある。上賀茂神社の競馬の儀式は実際、全国各地の神社でいまも行われている馬を走らせる儀式のルーツとなっている。それらを背景として、京の都から全国各地に「左馬」の縁起が広まるにつれ、その土地土地の素朴な信仰が加味されて、さまざまな「左馬」縁起に育っていったのかもしれない。
左で思い出したことがある。尾頭付きの魚であるがお店にならんでいる大体の魚が頭が左になっているのと関連があるのだろうか。また、新たな疑問が脳裏をよぎる…困ったもんだ。
いずれにしても意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.14…今京都。前回の語源は「たんぽぽ」(←クリック)。
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◇ちょっと予備知識 → 「困憊」は、くたくたに疲れて弱ること。「困負」と書くのは誤り。
類義語に精疲力尽(せいひりきじん)・満身創痍(まんしんそうい)・
満身傷痍(まんしんしょうい)がある。
左馬
うま年が巡ってくると、その年の年賀状の図案にきまって登場するのが「左馬(ひだりうま)」。一般に描かれる馬の姿と逆で、頭を右に、尻尾を左に駈ける馬であったり、「馬」という字を裏向けにした鏡文字であったり。この左馬が昔から縁起のいいしるしとされていた。
京都の繁華街・新京極に「左り馬」というお店がある。明治時代から店を構えるという老舗の化粧品店。場所柄か、昔から芸能界や舞台関係のお客が多いという。
「左馬」については、いろんなところに、いろんな言い伝えがある。
「左馬」の姿が「右に出るものなし」とか「馬は倒れるときに右に倒れ、左に倒れない」ともいわれている。
「うま」を逆から読むと「まう」となり、古来おめでたい席で舞われる舞いにつながるから縁起がいいとか、馬の字の下の部分が財布のキンチャクに似てお金が貯まるとか。
瀬戸や備前の窯元では、初窯で「左馬の茶碗」を焼いて成功を祈願し、将棋駒の産地では「左馬」を商売繁盛の守り駒として縁起物とする。
江戸時代の芸者さんは三味線の胴裏に逆さ文字の「左馬」を書いて、「寝やすいほうには寝ない」つまり「芸は売っても身は売らぬ」という心意気を示したなどという粋な話も残っているという。
この「左馬」を「わたくしどもが語源です」と言っているところが京都に存在している。上賀茂神社である。上賀茂神社で行われる競馬会(くらべうまえ)に語源があるという。
競馬会といえば「らちがあく」の語源とされる行事である。「らちがあく」ばかりではなく「左馬」もまた競馬会に語源ありということなのである。
競馬(くらべうま)は古くは宮中行事として、毎年5月5日に行われていた。平安時代に、競馬の開催地を宮中から他の場所に移そうとしたとき、御所の女房たちが占いをして、左方は御所から北へ向かう上賀茂神社へ、右方は御所から南に向かう石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)へと馬を走らせた。勝ったほうで開催するというわけだ。そうして勝ったのが左方の馬で、競馬会の行事が上賀茂神社にやってきた。以来今日まで、競馬会の儀式の第一走は必ず「左馬」が勝つことが決まりとなっている。そこから「左馬」は縁起がいいとされるようになったのだという。
「左馬」の語源は一気に平安時代まで駆け上った。今年も来年も再来年も5月5日の競馬会第一走では「左馬」が勝つのである。
先に書いた「左馬」のさまざまな民間伝承は、いまひとつ、つかみどころがないともいえる。そこに上賀茂神社の話が加われば、「左馬」のパズルが次々とつながってくる。
古来より馬は、神馬として大切に扱われてきた。絵馬の奉納も各地にある。上賀茂神社の競馬の儀式は実際、全国各地の神社でいまも行われている馬を走らせる儀式のルーツとなっている。それらを背景として、京の都から全国各地に「左馬」の縁起が広まるにつれ、その土地土地の素朴な信仰が加味されて、さまざまな「左馬」縁起に育っていったのかもしれない。
左で思い出したことがある。尾頭付きの魚であるがお店にならんでいる大体の魚が頭が左になっているのと関連があるのだろうか。また、新たな疑問が脳裏をよぎる…困ったもんだ。
いずれにしても意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.14…今京都。前回の語源は「たんぽぽ」(←クリック)。
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