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おやかまっさん てずま 2010/01/31 12:00 am

ずま
手品。奇術。「テズマして見せてくれはった」「手爪」と書く。「手妻」は当て字。手の指の先、手先の仕事ということから。江戸時代初期から使用。『東海道中膝栗毛』に「大津の釜七といふ偉いてづまつかひぢゃげな」とある。テズマヅカイは手品師。「そんなに器用にテズマ見たいなことようおしやすな」 テズマという人は少なくなった。木津川市山城町ではテズナという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

蔵物語(292)と羅漢







今日で1月も終わりだ。年末から今日まで何かとバタバタが続いているので、あっという間だったような気がする。来月は少しは落ち着きたいと思うが、どうなることやら…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


 

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おやかまっさん てんやわんや 2010/01/20 12:00 am

んやわんや
いい加減なことをいうこと。勝手に騒ぐこと。「テンヤワンヤの大騒ぎや」 テンヤは、「手手(てんで)に」の意味。「手に手に」の転。「各自の手に」の意味が、めいめいに、思い思いにの意味になった。テンヤは「わいわい」騒ぐさまの形容。テンデニヤ・ワイワイといううちにインヤワンヤとなった。テンテコマイはたいそう忙しく、うろたえ騒ぐことをいう。テンテコは太鼓の音から。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

蔵物語(291)と羅漢



何かとバタバタした状態。



この掲載が精一杯…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


 

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おやかまっさん でんち 2010/01/18 12:00 am

んち
袖無し半纏(はんてん)。「大寒小寒(おおさぶこさぶ) 猿のデンチ借って着よ」 猿回しのように猿は袖無し羽織を着ている。殿中羽織の略。デンチューをデンチと訛った。江戸時代には京の子どもの着る袖無し羽織をデンチというようになった。ジンベ、チャンチャンコとも。ジンベは甚兵衛羽織の略か。近世風俗を記した喜田川守貞『守貞漫稿』には陣羽織からとある。陣兵(兵士)が着用した羽織からとも。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

生の町の悲劇



「また学生標的 大学苦慮」という見出しの新聞記事が目に入った。内容は、インターネット上の仮想都市構想を利用したねずみ講で、仮想都市のオーナーになれば広告収入が得られるなどの甘い誘惑に乗った大半は、大学生を含む若い世代だったということだ。京都では4年前にも学生が標的になったねずみ講事件が摘発されている。学生が犠牲になる背景には、「楽して儲ける」という安易な風潮があり、大学は被害防止に苦慮しているとのことだ。また、高等学校の3年生や大学の1年生を対象とした「消費者教育」が課題となってくるだろうとされている。京都は大学の町、悪巧みをするものにとっては、格好の餌食がたくさんいるということか。そうならば、学生の町の悲劇でもある。



100年に1度という不況がなかったとしても、誰しも楽をして金儲けをしたいものである。しかし、考えてみれば、そんなことができるならば、この世の中誰も苦労しないはずだ。ところが現実には、苦労しているのが世の中だ。それが通常だと理解できれば、こういう甘い話に乗ってしまうことはないだろう。騙したほうが悪いのはもちろんであるが、騙されるほうにも問題がある。このねずみ講を企てた者は、一時的には楽して儲けたかも知れないが、警察に摘発され儲け以上の損をする結果となる。大学や高等学校がいくら力を入れて防止対策に乗り出したとしても、標的とされる側にしっかりとした意識がないとイタチごっこであろう。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

それにしても高等学校や大学において、こういった教育までしなければならないことに疑問を感じると同時に日本社会の将来を危惧する。こういう教育は学校や大学だけの問題でなく、家庭教育の問題でもあろう。このまま今の方向に向かっていった場合、自分が老いた時に、この日本はどんな状況になっているのだろう、と考えると背筋が寒くなる。「ちょっと神経質になりすぎだ」と楽観視できる状況ではないと思う。気をつけよう、甘い言葉と暗い道…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


 

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おやかまっさん ずるずるべったり 2010/01/17 12:00 am

るずるべったり
結末のつかないままになっているさま。「ズルズルベッタリご亭主に収まにはった」 江戸時代には、ある条件が整えば、あとはするすると思いどおりに物事が進行するさまを言った。それから長引いて無為にその状態が続くの意味が濃厚になった。スルスルは滞りなく物事が進行するさまであるが、ズルズルは、きまらないで引き伸ばすさまをいう。ベッタリは密着して張り付いているさまの形容。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

蔵物語(290)と



何度もお伝えしているように、京都のお地蔵さんが個人の敷地に設置されている。公園などの公共の敷地に設置されているのは少ない。自らの土地を提供し、町内でお世話する。それが会社であっても同じだ。今の言葉で表現するならば、「ボランティア」ということになるのだろうが、決して押し付けはない。当番制もない。気づいた人がお世話する。向こう三軒両隣、ご近所づきあいのルーツかもしれない。





今年の寒波に期待すれども、白い綿帽子を被った羅漢さんが撮れない。京都市の中心部では雪が降っていない。地球温暖化の影響なのだろうか。今後は、白い絨毯に白い帽子、そんな羅漢さんに出会いないようになってしまうのだろうか…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


 

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おやかまっさん てんこもり 2010/01/12 12:00 am

んこもり
山盛り。テンコは、天骨の省略。天骨は「頂上」のこと。山の頂上を見るように飯を盛り上げるのでいう。「ご飯テンコモリ食べて元気出る」 堅く骨太でがっちりしたさまをテンコツナという。この場合の天骨は、自然に備わった風骨。「昔風のテンコツナ火鉢や」 テンコツは室町時代には才能、生まれつき、天分の意味があった。それが、がっちりしたことから、頂上の意味へと変化した。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)


年末から今月にかけて、かなりの激務が続いている。今月の休みで確定しているのは17日だけだ。昨日までの連休も仕事だった。代休取得制度はあるが、平日に休めないのが辛い。休日出勤の代休は翌月末まで取得可能という制度であるから、来月は休める限り休みたいと考えているが、どうなることやら…。年度末が近づくにつれ、仕事量が増加するのは世の常である、と理解を示すが、反面、どうして年間を通して均等に仕事をこなさないのか、と苛立つこともある。



今の時代、仕事があることだけでも喜びに感じなければ、と言い聞かせているが、体力的に辛いものがある。頭だって十分に回転しなくなってくる。脳の活性のために、と炭水化物を採るのはいいが、皮下脂肪まで活性してしまうのが辛い。まるで、過重労働は脳ばかりか、体脂肪にも影響を与える、という検証をしているようだ。お友達に医者はいないから臨床実験台になることもできないから、何のメリットもない。



自分ひとりだけが苦労をしている訳でもないので、大きな声で文句は言えないが、趣味等が楽しめないのは、やはり辛い。手っ取り早く片付けて、と思うが、日程的な決まりにも縛られているから、一日一日を確実にこなしていくしかない。「春よ来い 早く来い 歩きはじめた みいちゃんが」という童謡があるが、その心境である。もっとも、待っているのは「春」ではなく、「日程」であるが。一層のこと風邪でも引けば、そう、世間で流行っている新型インフルエンザなんていいかも、とズッコイことを考えるが、こういう時に限って、風邪すら引かない。逆に、通常では考えられないほどの超人的な体力を発揮してしまう自身の肉体が疎ましくなるくらいだ。で、ほっとして時間が取れるようになったトタンにダウン。テンカウントまでに立ち上がればいいのだが、往々にしてノックダウンされてしまう。この時も自身の虚弱体質に情けなくなる。



「働いて働いて働きぬいて 休みたいとか遊びたいとか そんな事おまえいっぺんでも思うてみろ そん時は そん時は死ね」という『母に捧げるバラード』(海援隊)のセリフを目の前で言う人はいないが、「仕事」という得体の知れんもんに言われているような気がする今日この頃…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


 

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