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おやかまっさん ふっさり 2010/03/15 12:00 am
ふっさり
たっぷり。衣服を作るのに多くの布を使用するときに、「このキレ(布)、スカート作るのにフッサリあるで」フサフサの意味の擬態語。「お皿にフッサリばら寿司を盛って食べよう」「髪の毛がフッサリしててよろしおすな」
江戸時代から使用。「どっさり」「ぐっさり」のようにサリを後置きする。京ことばのモッサリは、洗練されない形容。「モッサリした格好したはる」 モッサイは無粋なの意味。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
学生街の春
学生の街といわれる京都に住んでいるからか、「学生」とか「学生街」という言葉にある意味で敏感である。とりわけ歌になるとついつい調べて聞いてしまう。今はインターネットで時代を一気にさかのぼることができる。その時代に生きていなくても、その時代にタイムスリップができる時代である。ましてやYouTubeという便利なものがある。
古くは、ペギー葉山さんの「学生時代」。
つたの絡まるチャペルで 祈りを捧げた日
夢多かりし あの頃の 思い出をたどれば
懐かしい友の顔が 一人一人 うかぶ
重いカバンを抱えて 通ったあの道
秋の日の図書館の ノートとインクの匂い
枯葉の散る窓辺 学生時代
讃美歌を歌いながら 清い死を夢見た
何の よそおいもせずに 口数も少なく
胸の中に秘めていた 恋への憧れは
いつも はかなく破れて 一人書いた日記
本棚に目をやれば あの頃読んだ小説
過ぎし日よ わたしの学生時代
ロウソクの灯に輝く 十字架をみつめて
白い指を組みながら うつむいていた友
その美しい横顔 姉のように慕い
いつまでもかわらずにと 願った幸せ
テニスコート キャンプファイヤー 懐かしい日々は帰らず
すばらしいあの頃 学生時代
すばらしいあの頃 学生時代
次は、ガロの「学生街の喫茶店」。
君とよくこの店に 来たものさ 訳もなくお茶を飲み 話したよ
学生でにぎやかな この店の 片隅で聞いていた ボブ・ディラン
あの時の歌は 聞こえない 人の姿も変わったよ 時は流れた
あの頃は愛だとは 知らないで サヨナラも言わないで 別れたよ 君と
君とよくこの店に 来たものさ 訳もなくお茶を飲み 話したよ
窓の外 街路樹が美しい ドアを開け 君が来る気がするよ
あの時は道に 枯葉が 音もたてずに 舞っていた 時は流れた
あの頃は愛だとは 知らないで サヨナラも言わないで 別れたよ 君と
最後は、岩崎宏美さんの「学生街の四季」。
学生街に雪どけ春が来て また新たな顔がふえたわ
一月前に涙のさよならが 街中あふれていたのに
ポプラ並木風が流れ 渡り鳥も帰って来た
だけど海の町へ帰った彼 どうしたのか便りもない
坂道下り角のコーヒーショップ 英語のカセットひとりで聴いていたら
ガラスの窓に夏の光がさして 心が少しやわらぐ
故郷へ帰りのんびりする人や 外国旅行などする人
それぞれ何処か出かけて行ったけど 私はどこへも行かない
時計台に赤とんぼがスイスイ飛び 秋が来たわ
愛の行方決めて欲しいけど まだ二人に答はない
図書館前の薄い陽だまりの中 就職試験をあれこれ思いながら
誰かがポツリポツリ弾いているギター 涙を浮かべ聞いてる
学生街に吹雪の冬が来て みんなストーブ囲み集まる
別れの時が来るのを知りながら ビールのジョッキをあげたわ
など、が有名か。自分の中では、学生街の四季を歌ったこの歌が一番印象的だ。出会いもあれば別れもある。振り返れば、「あっ」という間の学生時代だったとこの歌はさらに感じさせてくれる。懐かしい友は今頃どうしているのか、と、思い出してみる。さて、そろそろ卒業式が街のあちこちで見かける頃だ。その後は、入学式。春の陽気に包まれた、涙あり、笑顔ありの物語が間もなく幕を開ける。しばし、学生時代に思いを馳せ、感慨に浸った…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
たっぷり。衣服を作るのに多くの布を使用するときに、「このキレ(布)、スカート作るのにフッサリあるで」フサフサの意味の擬態語。「お皿にフッサリばら寿司を盛って食べよう」「髪の毛がフッサリしててよろしおすな」
江戸時代から使用。「どっさり」「ぐっさり」のようにサリを後置きする。京ことばのモッサリは、洗練されない形容。「モッサリした格好したはる」 モッサイは無粋なの意味。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
学生街の春
学生の街といわれる京都に住んでいるからか、「学生」とか「学生街」という言葉にある意味で敏感である。とりわけ歌になるとついつい調べて聞いてしまう。今はインターネットで時代を一気にさかのぼることができる。その時代に生きていなくても、その時代にタイムスリップができる時代である。ましてやYouTubeという便利なものがある。
古くは、ペギー葉山さんの「学生時代」。
つたの絡まるチャペルで 祈りを捧げた日
夢多かりし あの頃の 思い出をたどれば
懐かしい友の顔が 一人一人 うかぶ
重いカバンを抱えて 通ったあの道
秋の日の図書館の ノートとインクの匂い
枯葉の散る窓辺 学生時代
讃美歌を歌いながら 清い死を夢見た
何の よそおいもせずに 口数も少なく
胸の中に秘めていた 恋への憧れは
いつも はかなく破れて 一人書いた日記
本棚に目をやれば あの頃読んだ小説
過ぎし日よ わたしの学生時代
ロウソクの灯に輝く 十字架をみつめて
白い指を組みながら うつむいていた友
その美しい横顔 姉のように慕い
いつまでもかわらずにと 願った幸せ
テニスコート キャンプファイヤー 懐かしい日々は帰らず
すばらしいあの頃 学生時代
すばらしいあの頃 学生時代
次は、ガロの「学生街の喫茶店」。
君とよくこの店に 来たものさ 訳もなくお茶を飲み 話したよ
学生でにぎやかな この店の 片隅で聞いていた ボブ・ディラン
あの時の歌は 聞こえない 人の姿も変わったよ 時は流れた
あの頃は愛だとは 知らないで サヨナラも言わないで 別れたよ 君と
君とよくこの店に 来たものさ 訳もなくお茶を飲み 話したよ
窓の外 街路樹が美しい ドアを開け 君が来る気がするよ
あの時は道に 枯葉が 音もたてずに 舞っていた 時は流れた
あの頃は愛だとは 知らないで サヨナラも言わないで 別れたよ 君と
最後は、岩崎宏美さんの「学生街の四季」。
学生街に雪どけ春が来て また新たな顔がふえたわ
一月前に涙のさよならが 街中あふれていたのに
ポプラ並木風が流れ 渡り鳥も帰って来た
だけど海の町へ帰った彼 どうしたのか便りもない
坂道下り角のコーヒーショップ 英語のカセットひとりで聴いていたら
ガラスの窓に夏の光がさして 心が少しやわらぐ
故郷へ帰りのんびりする人や 外国旅行などする人
それぞれ何処か出かけて行ったけど 私はどこへも行かない
時計台に赤とんぼがスイスイ飛び 秋が来たわ
愛の行方決めて欲しいけど まだ二人に答はない
図書館前の薄い陽だまりの中 就職試験をあれこれ思いながら
誰かがポツリポツリ弾いているギター 涙を浮かべ聞いてる
学生街に吹雪の冬が来て みんなストーブ囲み集まる
別れの時が来るのを知りながら ビールのジョッキをあげたわ
など、が有名か。自分の中では、学生街の四季を歌ったこの歌が一番印象的だ。出会いもあれば別れもある。振り返れば、「あっ」という間の学生時代だったとこの歌はさらに感じさせてくれる。懐かしい友は今頃どうしているのか、と、思い出してみる。さて、そろそろ卒業式が街のあちこちで見かける頃だ。その後は、入学式。春の陽気に包まれた、涙あり、笑顔ありの物語が間もなく幕を開ける。しばし、学生時代に思いを馳せ、感慨に浸った…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
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おやかまっさん しろっと 2010/03/14 12:00 am
しろっと
しらばくれて。平気で。「あいつあんなことしといてシロットしてやがる」 事件の内容を知っていて知らぬふりをするさま。江戸時代の京ことばシロリトから。一方、シッタラシイは「知ったかぶり」の意味。「シッタラシイこと言うて、ほんまに分かってへんのやろ」「知った(理解した)」にラシイをつけ、その様子であるさまを示す。推量の助動詞ラシから接尾語になった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
地蔵物語(299)と羅漢
先日、新聞に、「京のお地蔵さんめぐり」調査チームが立ち上がった、という記事が載っていた。今京都でも取り上げためやみ地蔵などの「通称のあるお地蔵さんの調査」に乗り出すという。京都市内に267体の通称地蔵があるのが確認されているという。機会があれば、267体を調べて掲載したいと思うが…。この一報、地蔵物語にとっては朗報なのか、吉報なのか…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
しらばくれて。平気で。「あいつあんなことしといてシロットしてやがる」 事件の内容を知っていて知らぬふりをするさま。江戸時代の京ことばシロリトから。一方、シッタラシイは「知ったかぶり」の意味。「シッタラシイこと言うて、ほんまに分かってへんのやろ」「知った(理解した)」にラシイをつけ、その様子であるさまを示す。推量の助動詞ラシから接尾語になった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
地蔵物語(299)と羅漢
先日、新聞に、「京のお地蔵さんめぐり」調査チームが立ち上がった、という記事が載っていた。今京都でも取り上げためやみ地蔵などの「通称のあるお地蔵さんの調査」に乗り出すという。京都市内に267体の通称地蔵があるのが確認されているという。機会があれば、267体を調べて掲載したいと思うが…。この一報、地蔵物語にとっては朗報なのか、吉報なのか…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
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おやかまっさん てんじょうがゆ 2010/03/07 12:00 am
てんじょうがゆ
天井粥。天井が映って見えるような薄い粥。「戦時中はテンジョウガユを食べたもんや」「目玉の浮くお粥」とも言った。水分の多いお粥なので自分の眼が映って見える。かつて室町商家では使用人にご馳走の出る日をイチロクサンパチと言った。月の一と六のつく日は肉料理、三と八のつく日は魚料理。食もたれすることを「食滞する」という。「ようけ食べてショクタイしてるのやろ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
地蔵物語(297)と羅漢
日曜日。久々に日曜日を休むことができるような印象だ。日曜日・祝日はやっぱりカレンダーどおりに休むのがよい。久々にのんびりとしたい…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
天井粥。天井が映って見えるような薄い粥。「戦時中はテンジョウガユを食べたもんや」「目玉の浮くお粥」とも言った。水分の多いお粥なので自分の眼が映って見える。かつて室町商家では使用人にご馳走の出る日をイチロクサンパチと言った。月の一と六のつく日は肉料理、三と八のつく日は魚料理。食もたれすることを「食滞する」という。「ようけ食べてショクタイしてるのやろ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
地蔵物語(297)と羅漢
日曜日。久々に日曜日を休むことができるような印象だ。日曜日・祝日はやっぱりカレンダーどおりに休むのがよい。久々にのんびりとしたい…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
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おやかまっさん すかんたこ 2010/03/05 12:00 am
すかんたこ
嫌いだ。「あの人いやらしいし、スカンタコ」 好かぬ人のことも。スカンは「好かぬ」。タコ(蛸)を添えて。蛸のように醜いと不快感を示した。スカンタラシイは、嫌な・好ましくない。「そんなスカンタラシイ言い方せんでもええのに」 スカンを形容詞化し、タを添えて強調し、ラシイを加えた。同様に、「憎い」からニクタラシイを作った。眠いをネムタイ、煙いをケムタイという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
緊急自動車
毎日のように耳にする「ピーポーピーポー」という救急車のサイレンの音。以前に、消防署の前を通りかかったとき、小さいお子が「カッコイイ」といっていた。お子を連れた年配の女性(おそらくお孫さんを連れたお祖母さん)は、お子に向かって「カッコイイね。たくさん消防車や救急車が並んでいるねぇ。ここに赤いのや白いのが、全部並んでいるということは、平和ということだよ。走っているのを見て、カッコイイと言っちゃダメよ…」と話かけていた光景を今でも覚えている。確かにそうだ。消防署や警察署に全ての車が並んでいる状態は平和な証拠でもあり、走っている場合は、何かが起こっているということである。このお祖母さんの言葉がとても印象的だった。
そういえば、随分以前に沖縄に行ったときに、米軍のジェット機を見かけた行楽の若者がついつい「カッコイイ」といったのを受け、現地のおばあさんが「あんたらにとってはカッコイイかもしれんが、わしらにとってはいい思い出はない。毎日毎日この音にどれだけビクビクしていることか…」と話しているのも覚えている。今はどうであれ、過去の思いも理解し、言葉を発しなければならないこともあるという勉強をした気分だった。
そんな中、先日の夜、自転車で10分くらい走っている間にサイレンを鳴らして走っている3台の救急車をみた。別の日の朝には同じくサイレンを鳴らして走っている2台の救急車をみた。戦争のない平和を願うのは当り前であるが、できれば消防車や救急車、パトカーなどの緊急自動車が走らない平和が欲しいものだ。しかし、今もどこかで「ピーポーピポー」と走っているのだろうなぁと思うと、ちょっと胸が痛む思いがする…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
嫌いだ。「あの人いやらしいし、スカンタコ」 好かぬ人のことも。スカンは「好かぬ」。タコ(蛸)を添えて。蛸のように醜いと不快感を示した。スカンタラシイは、嫌な・好ましくない。「そんなスカンタラシイ言い方せんでもええのに」 スカンを形容詞化し、タを添えて強調し、ラシイを加えた。同様に、「憎い」からニクタラシイを作った。眠いをネムタイ、煙いをケムタイという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
緊急自動車
毎日のように耳にする「ピーポーピーポー」という救急車のサイレンの音。以前に、消防署の前を通りかかったとき、小さいお子が「カッコイイ」といっていた。お子を連れた年配の女性(おそらくお孫さんを連れたお祖母さん)は、お子に向かって「カッコイイね。たくさん消防車や救急車が並んでいるねぇ。ここに赤いのや白いのが、全部並んでいるということは、平和ということだよ。走っているのを見て、カッコイイと言っちゃダメよ…」と話かけていた光景を今でも覚えている。確かにそうだ。消防署や警察署に全ての車が並んでいる状態は平和な証拠でもあり、走っている場合は、何かが起こっているということである。このお祖母さんの言葉がとても印象的だった。
そういえば、随分以前に沖縄に行ったときに、米軍のジェット機を見かけた行楽の若者がついつい「カッコイイ」といったのを受け、現地のおばあさんが「あんたらにとってはカッコイイかもしれんが、わしらにとってはいい思い出はない。毎日毎日この音にどれだけビクビクしていることか…」と話しているのも覚えている。今はどうであれ、過去の思いも理解し、言葉を発しなければならないこともあるという勉強をした気分だった。
そんな中、先日の夜、自転車で10分くらい走っている間にサイレンを鳴らして走っている3台の救急車をみた。別の日の朝には同じくサイレンを鳴らして走っている2台の救急車をみた。戦争のない平和を願うのは当り前であるが、できれば消防車や救急車、パトカーなどの緊急自動車が走らない平和が欲しいものだ。しかし、今もどこかで「ピーポーピポー」と走っているのだろうなぁと思うと、ちょっと胸が痛む思いがする…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
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おやかまっさん じんわり 2010/03/04 12:00 am
じんわり
じわっと。湿っぽく寒い感じがゆっくり重苦しく近づくさま。「京の底冷えはジンワリ来るさかい、かないまへんな」 ジワリから。擬態語に基づく。物事をじわじわと進めることから、寒さが身に染みてくる形容に使用。「ジンワリしたお人やおもいます」のように、ゆったりしたの意味もある。動作が鈍くゆっくりし過ぎるとグズと言われる。愚図と書くのは当て字である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
ラジオ
先日、タクシーに乗ったときの話。いつものようにラジオが流れていた。FM放送ではなく、AM放送だ。ふと、「このデジタルの時代でもAMラジオは根強い市民権を得ている」と思った。テレビのアナログ放送が来年に終了する。やがては「AMラジオも終わるのだろうか」とも考えた。と同時に、この時代にAMラジオが残っているのは、ある意味スゴイことではないか、という感じがした。
タクシーのAMラジオが、「では、次のリクエスト曲にいきましょう。毎日、車で聞いてますという○○さんからのリクエストです。山本コータロウとウィークエンドで『岬めぐり』…』と告げている。AMラジオの聴衆者がおり、ちゃんとリクエストもある。「岬めぐり」へのリクエストということは、リクエスト者はある程度の年配かもしれない。「岬めぐり」は、たしか1970年代半ばの曲では。AMラジオの深夜番組を聴き受験勉強をしていた当時の若者たちは、今では50歳以上というところか。その年代の人々がAMラジオを聞いているのか、と想像が次々に駆け巡る。
カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
さらに、AMラジオの存在もスゴイが、1970年代や1980年代の曲が、今でも流れているのもスゴイ。当時の若者が大人になり、社会を動かす中心となっている今、新しいものを取り入れながらも、昔ながらのものを大切にしているということか。それとも、100年に一度という不景気の状況や、どこか殺伐と感じられる今の時代を嘆いて、単に、古き良き時代といわれるものへの哀愁だけなのか、その真意はわからないし、想像もつかない。現在、全盛を誇っているジャニーズなどの曲は、これから30年後に「岬めぐり」のように流れているのだろうか。色々と考えがよぎる。
カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「もしもし、お客さん、どちらまで?」と、タクシーの運転手さんに告げられて、「えっ! まだ、行き先を告げていなかったっけ!?」と我に返る。タクシーに乗り、ラジオを聴いた瞬間に、そこまで自分の世界に入ってしまっていたようだ。タクシーの運転手さんに、丁寧に謝り行き先を告げる。
「何か考え事をしてはったんか?」
「えっ、ええ。ラジオのことを…」
「ラジオ? 毎日タクシーを転がしてるとラジオがありがたくて。タクシーに使用する車には殆ど何もついてまへん。このラジオだけがついてるくらいで…」
確かにそうだ。個人の車であれば、今ではワンセグやフルセグはもちろんDVDも観ることができる。タクシーのような営業車は経費や安全面から余計なものはつけない。運転中のラジオも禁止という会社もあり、標準装備のAMラジオさえも外しているところもあるそうだ。
カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
(ぶれてます…すみません)
「休憩時間とかにリクエストするんでっせ」
「えっ、そうなんですか? で、リクエスト曲はかかったりします?」
「そりゃ、かかります。ラジオで名前を呼んでもろた時は、うれしおすわな。今もかかってました…」
「えっ!? 今の『岬めぐり』?」
「そうですねん、『岬めぐり』だけでなく、70年代の歌が好きでねぇ。あの頃は良かった…」
とタクシーの運転手さんは話を続けていたが、
「なるほど、AMラジオが廃れないひとつの要因はこういうところにあったんだ」と、嘘のような本当にあったお話…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
じわっと。湿っぽく寒い感じがゆっくり重苦しく近づくさま。「京の底冷えはジンワリ来るさかい、かないまへんな」 ジワリから。擬態語に基づく。物事をじわじわと進めることから、寒さが身に染みてくる形容に使用。「ジンワリしたお人やおもいます」のように、ゆったりしたの意味もある。動作が鈍くゆっくりし過ぎるとグズと言われる。愚図と書くのは当て字である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
ラジオ
先日、タクシーに乗ったときの話。いつものようにラジオが流れていた。FM放送ではなく、AM放送だ。ふと、「このデジタルの時代でもAMラジオは根強い市民権を得ている」と思った。テレビのアナログ放送が来年に終了する。やがては「AMラジオも終わるのだろうか」とも考えた。と同時に、この時代にAMラジオが残っているのは、ある意味スゴイことではないか、という感じがした。
タクシーのAMラジオが、「では、次のリクエスト曲にいきましょう。毎日、車で聞いてますという○○さんからのリクエストです。山本コータロウとウィークエンドで『岬めぐり』…』と告げている。AMラジオの聴衆者がおり、ちゃんとリクエストもある。「岬めぐり」へのリクエストということは、リクエスト者はある程度の年配かもしれない。「岬めぐり」は、たしか1970年代半ばの曲では。AMラジオの深夜番組を聴き受験勉強をしていた当時の若者たちは、今では50歳以上というところか。その年代の人々がAMラジオを聞いているのか、と想像が次々に駆け巡る。
カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
さらに、AMラジオの存在もスゴイが、1970年代や1980年代の曲が、今でも流れているのもスゴイ。当時の若者が大人になり、社会を動かす中心となっている今、新しいものを取り入れながらも、昔ながらのものを大切にしているということか。それとも、100年に一度という不景気の状況や、どこか殺伐と感じられる今の時代を嘆いて、単に、古き良き時代といわれるものへの哀愁だけなのか、その真意はわからないし、想像もつかない。現在、全盛を誇っているジャニーズなどの曲は、これから30年後に「岬めぐり」のように流れているのだろうか。色々と考えがよぎる。
カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「もしもし、お客さん、どちらまで?」と、タクシーの運転手さんに告げられて、「えっ! まだ、行き先を告げていなかったっけ!?」と我に返る。タクシーに乗り、ラジオを聴いた瞬間に、そこまで自分の世界に入ってしまっていたようだ。タクシーの運転手さんに、丁寧に謝り行き先を告げる。
「何か考え事をしてはったんか?」
「えっ、ええ。ラジオのことを…」
「ラジオ? 毎日タクシーを転がしてるとラジオがありがたくて。タクシーに使用する車には殆ど何もついてまへん。このラジオだけがついてるくらいで…」
確かにそうだ。個人の車であれば、今ではワンセグやフルセグはもちろんDVDも観ることができる。タクシーのような営業車は経費や安全面から余計なものはつけない。運転中のラジオも禁止という会社もあり、標準装備のAMラジオさえも外しているところもあるそうだ。
カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
(ぶれてます…すみません)
「休憩時間とかにリクエストするんでっせ」
「えっ、そうなんですか? で、リクエスト曲はかかったりします?」
「そりゃ、かかります。ラジオで名前を呼んでもろた時は、うれしおすわな。今もかかってました…」
「えっ!? 今の『岬めぐり』?」
「そうですねん、『岬めぐり』だけでなく、70年代の歌が好きでねぇ。あの頃は良かった…」
とタクシーの運転手さんは話を続けていたが、
「なるほど、AMラジオが廃れないひとつの要因はこういうところにあったんだ」と、嘘のような本当にあったお話…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。