rrbのブログ - 2015/07のエントリ
ヘッダーナビゲーション
現在のカテゴリー位置
サイト全体のカテゴリーナビゲーション
おやかまっさん 腐った学校 2015/07/23 12:00 am
いじめを訴えて自殺した岩手県の中学2年生の男子生徒。テレビの報道などを見ていると「学校教育現場の闇の顔」が浮き彫りになる。
まず男子生徒の死から1週間以上経て、やっと学校が謝罪。しかし、いじめていた生徒やその保護者からは接触も謝罪もない状態だという。おまけに、学校やいじめ生徒たちの悪質な言動も浮かび上がってきている。
男子生徒の学校に提出する『生活記録ノート』でいじめの事実を訴え、「死にたいと思ったときがけっこうあった」と1年生の時から記していたらしいが、2年生のクラス替えでもいじめ生徒と同じクラスになっているとのことだ。
また、「死んでもいいですか」「もう死ぬ場所は決まっている」などの記述も、担任は校長や周囲に報告せず、また男子生徒の家族にも連絡せず、生徒の命にかかわる情報が全く共有されていない状態だったようだ。
さらに、いじめを証言した生徒に対しても、学年主任の教員からその生徒は2日間呼び出され、「余計なことを言うな」「反省したか」と問い詰められたもと聞く。
なんということだ! 自殺した男子生徒の訴えにきちんと対処しなかったたけでなく、事実を握りつぶそうとしたのか! これでは教員も「いじめの共犯行為」ではないか! ここにきて学校がいじめを認定してもスタートが悪すぎる。
学校教育現場は正しい人間を養成するからこそ神聖な場なのである。それができていない学校は腐っているとしか言いようがない。腐った教育現場では腐った人間しか育つことがない。自殺した生徒は腐ることを拒んで、苦しんで、自分の清らかさを保つために死を選ばざるを得なかったのだろうと考えたい。心より冥福を祈る…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
まず男子生徒の死から1週間以上経て、やっと学校が謝罪。しかし、いじめていた生徒やその保護者からは接触も謝罪もない状態だという。おまけに、学校やいじめ生徒たちの悪質な言動も浮かび上がってきている。
男子生徒の学校に提出する『生活記録ノート』でいじめの事実を訴え、「死にたいと思ったときがけっこうあった」と1年生の時から記していたらしいが、2年生のクラス替えでもいじめ生徒と同じクラスになっているとのことだ。
また、「死んでもいいですか」「もう死ぬ場所は決まっている」などの記述も、担任は校長や周囲に報告せず、また男子生徒の家族にも連絡せず、生徒の命にかかわる情報が全く共有されていない状態だったようだ。
さらに、いじめを証言した生徒に対しても、学年主任の教員からその生徒は2日間呼び出され、「余計なことを言うな」「反省したか」と問い詰められたもと聞く。
なんということだ! 自殺した男子生徒の訴えにきちんと対処しなかったたけでなく、事実を握りつぶそうとしたのか! これでは教員も「いじめの共犯行為」ではないか! ここにきて学校がいじめを認定してもスタートが悪すぎる。
学校教育現場は正しい人間を養成するからこそ神聖な場なのである。それができていない学校は腐っているとしか言いようがない。腐った教育現場では腐った人間しか育つことがない。自殺した生徒は腐ることを拒んで、苦しんで、自分の清らかさを保つために死を選ばざるを得なかったのだろうと考えたい。心より冥福を祈る…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
自分より弱いものをいじめるのは卑怯だ!
このエントリーの情報
おやかまっさん ことば 2015/07/15 12:00 am
結構、本が好きで色々と持っている。持っているだけではなく、読んでもいる。その中で、今、そこそこ嵌まっているのが、なんと『国語辞典』(小学館)である。それも小学生が使うものだ。『おかあさん ぼくにもっと「ことば」をください』とCMで流れているやつだ。何気なく読んでいると気づかされることが多い。ふっと、思いついて、その辞書で「やばい」を引いてみた。次のようにある。
あぶない。危険だ。ぐあいがわるい。つごうがわるい。
そして《参考》として次のようにある。
品の悪いことば。
このように小学生で習っているのに、ある程度の年齢になると「ちょー、それってヤバクない?」と使いだす。ことばを貰って、自由に操れるようになった結果か、はたまたテレビの影響か。昔の人々と違って、「フィーリング」で使うことが容認されている時代となっている。「ことば」は変化する生き物だ。
羅漢さんたちはどんな「ことば」を使い、どんな音楽を聞くのだろう…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
あぶない。危険だ。ぐあいがわるい。つごうがわるい。
そして《参考》として次のようにある。
品の悪いことば。
このように小学生で習っているのに、ある程度の年齢になると「ちょー、それってヤバクない?」と使いだす。ことばを貰って、自由に操れるようになった結果か、はたまたテレビの影響か。昔の人々と違って、「フィーリング」で使うことが容認されている時代となっている。「ことば」は変化する生き物だ。
羅漢さんたちはどんな「ことば」を使い、どんな音楽を聞くのだろう…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。
僕たちは「チュン語」だ