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rrbのブログ - 2010/02のエントリ

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天を仰いで思うこと やっこはらいまひょ 2010/02/27 12:00 am

っこはらいまひょ
ヤッコハライは節分に厄払いに来る人。「厄払い」の訛り。節分の夜、家の表に立って「ヤッコハライマヒョ」と呼んだ。米・金銭・豆の紙包みを与えると、「ああら、めでたいめでたいな、めでたいことで払おうなら、鶴は千年亀万年、浦島太郎は八千歳」と唱えた。節分に「ン」が二つつくもの、ニンジン・カンテン・ギンナン・レンコン・ポンカン・キンカンを七色食べると、運が開けるという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)





ひとくくりにするのではないが、今の子どもたちは現実的で、ドライな考え方をすると思っていた。でも、そうでもないらしい。最後のところでは、やっぱり祈るようだ。受験シーズン本番を迎え、「学問の神さま」で知られる菅原道真をまつる京都市上京区の北野天満宮の絵馬掛所には、合格祈願の絵馬が、それこそ鈴なりの状態である。1年間で10万枚を超すというから驚くばかりである。



家族ら本人以外が奉納したものも当然ある。「○○ちゃん 今度こそ、難関突破」は母の切なる思い。「3年2組 祈!全員合格」は中学の教師。何といっても多いのは受験生自身による奉納だ。一枚一枚、絵馬を眺めていくと、地元京都はもとより、全国各地に及んでいる。中学、高校への志望校を見ると、たいてい1校だが、大学受験になると複数が多い。なかには、5校も6校も大学名を挙げ、どこか1校でも…といった記述も見受ける。以前、一家で大学受験に出せる金額は10万円が限度と聞いたことがある。平均で2〜3大学の受験といったところか。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

さらに、絵馬を見ていくと、公務員試験をはじめ資格試験の合格祈願や、就活についての願いも目につく。「両親を安心させるため良い会社に正社員で就職できますように」とする大学生の絵馬は、時代や世相をも浮き彫りにさせている。
たまに見る、ダンスやさんすうを「がんばる」と、たどたどしい文字で書かれた絵馬。どこかホッとする。ご加護は平等で、本人の努力があってのことだとしても、10万の願いともなると、菅公もさぞかしお悩みのことだろう…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと やっとまかせ 2010/02/19 12:00 am

っとまかせ
荷物を担ぐときの掛け声。「ヤットマカセで担いで行こう」 「ヤッ」と力を入れるときに発することばに、「任す」の命令形マカセをつけた。ヤットは「辛うじて」の意味で全国に広まった。「ヤッ」と力を入れるときに発する語に基づく。洛北大原では「ヤット難しい」のように「たくさん、多く」の意味で使用。式亭三馬『浮世風呂』には「横に寝て転(こけ)る方がやつと速いぢや」のように、「はるかに」の意味も。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

近し



「梅一輪一輪ほどの暖かさ」(服部嵐雪)どころか一気に春本番のような陽気になったかと思えば、また冬に逆戻り。体調管理にはくれぐれもご注意を。気がつけば、冬枯れの木立が並ぶ中で、梅がつぼみを膨らませている。蛤(はまぐり)御門近くの梅林では、そろそろ満開に近いのではないだろうか。
梅は百花のさきがけだ。冬を耐えていの一番に春を告げる。このところの暖かさが本物の春か思案しているに違いない。



一方、東寺の初弘法では、生活にも春が来るようにと大勢の人が、大師像に手を合わせる。御影堂前でハイチ大地震支援の托鉢をする僧侶の姿もあったという。現地ではこの瞬間にも、人々が食料や治療を求めて長蛇の列をつくっているに違いない。壊滅的な被害を受けたカリブ海の小国に、早く春が訪れるよう祈らずにはおれない。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

日本では政界に激震が走っている。政権与党のカネの問題だ。こちらは、冬をしのげば春が来るとは限らない。つぼみを膨らませるほど、世間の風は暖かくはないのでは…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと へー 2010/02/17 12:00 am


肯定の返事。京の商人は「はい」よりも「へー」ということが多かった。「へー承りましてございます」「へーへー」と重ねていうこともある。相槌を打つときも「ほんまにそうどすわなへー」という。祇園の舞妓・芸妓は「へーおーきに」を多用する。サンキューの意味のほか、ノーサンキューのニュアンスを含むこともある。江戸時代には京都でも感謝を示すのにダンダンを用いた。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ラリーマン川柳
今年のサラリーマン川柳に、こんな入選作品があった。
  遼君に 生涯賃金 追い越され  (ハナカミ親父III世)
不況で給料が上がらないサラリーマンの切なさが漂っているような川柳だが、ねたみなどは感じられない。ゴルフの石川遼選手が醸し出す若者らしいさわやかさが大人たちをも魅了する。おまけに史上初の10代の賞金王という快挙。インタビューの受け答えはとても堂々として、とても18歳の高校生と思えない。どのように成長したのか、世の親ならずとも知りたいところだ。



6歳でゴルフを始め、小学校高学年のころに「僕も賞金王になりたい」と思い、ゴルフ漫画を描いたという。夢を現実にする力を、どこでつけたのだろう。2009年4月のマスターズで予選落ち。「2日目を終わって本当に悔しかった。あの思いがあって、自分に厳しく練習ができる」と、話していた。過密日程でも海外試合に挑戦し「経験が僕を成長させてくれる」と話す。どこまでも前向きの姿勢が成長を早めているのに違いない。



サラリーマン川柳だが、傑作100選の中を見ると、「妻」ネタが多い。
  仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い  (北の揺人)
  妻キレて 「来とうなかった 嫁になど」  (一見)
  許される 仏は三度 妻一度  (湘南おじん)
  癒し系 結婚したら 嫌み系  (草食系男子)
などだ。世の男性諸君、女性とは、付き合っているとき、結婚したとき、子どもができたときと、その時々に応じて変わるものだということを理解しなければならない。
あなただけ 言った妻が あなたどけ  (家事まめ夫)
  「離さない!」 10年経つと 話さない  (倦怠夫婦)
  忘れ物 昔はチューで 今はゴミ  (アスカ)
さらに、妻ネタは続く。
  豆まきを したのに家に 鬼がいる  (ぷ〜ぬく)
  おかえりと 笑顔で言われ 身構える  (窮鼠)
という具合だ。楽しく読ましてもらっているが、先のも含め遼君関係のも多い。
  賞金王 幼い息子に 夢託す  (いつかは遼の父)
などは、とてもかわいい気がする。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

自分はしないが、ゴルフは、バンカーや林、池のほか、時に風雨がプレーを邪魔する。運・不運に振り回され、ミスしながら、逆境に立ち向かっていく。実に英国らしいスポーツと言える。そこでこんな言葉を思い起こした。
  スポーツは少年を大人にする
だ。遼君はゴルフで困難を克服しながら、大人になったのだろう。
この言葉にはこんな続きがある。
  スポーツは大人を少年にする
これは世のお父さんたちに贈りたい。
さて、色々と綴ったが、自分にとっては、何が自分を大人にさせるのだろう…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと きんきん 2010/02/16 12:00 am

んきん
きらびやかなさま。ぴかぴかしたさま。「この広間はキンキンして立派ですなあ」 キンキンは江戸時代には、きれいでさっぱりしたさまを形容した。潔いさまを意味した。キンキンマンマンとも。キンキラキンというと、きらびやかなさまの誇張表現。キチキチは、ちょうど一杯にの意味。「この箱にキチキチ詰めたし、もうはいらへんわ」「そんなにキチキチしてもらわんでも」のように「几帳面に」の意味も。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

走300km



先日新聞で感動的な記事を読んだ。
埼玉県の女子中学生が1月、日本航空石川高校の推薦入試で輪島市に向かう途中、大雪による列車運休で足止めされながらも、母親とふたりで300km余りをヒッチハイクして試験会場にたどり着き受験。
というものだ。



記事によると、
1月17日の推薦入試を受けるため、車中泊の予定で前日に埼玉県の自宅を出発。石川県に向かったが、16日深夜、新潟県のJR長岡駅で新幹線から乗り換える予定だった夜行列車が大雪で運休。吹雪の中、困惑した母子はガソリンスタンドなどで、トラック運転手らに声をかけ、長岡市から輪島市まで300km余りをヒッチハイク。17日午前、試験開始10分前に会場に滑り込んだ。
新潟県内で乗せてくれたトラック運転手は、金沢市までの約束だったが、「輪島までいっちゃる」と高校の正門前まで送り届ける。
入試の作文は偶然にも「私が感動したこと」。生徒は運転手に助けられたことや母への感謝の気持ちを綴る。数日後、合否通知が手元に届く。結果は見事に合格だった。
トラック運転手は、母子には名前しか伝えなかったが、高校が探し出し連絡。トラック運転手は「本当によかった」と心から喜ぶ。トラック運転手にはこの受験生と同い年の娘がいた。
というもの。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

この殺伐とした世でも、まだまだ捨てたものではない。もしかしたら「殺伐としている」のではなく、ちょっとシャイになりすぎた人が増えただけかもしれない。人の心には暖かい血が通っている。それが当り前のように顔を出さない、出せない社会環境となってしまっただけではないだろうか。このトラック運転手、最初は「かなん」と思ったに違いない。むしろ、「不気味」に感じた可能性もある。「万一、間に合わなかったとき、自分に責任がかかるのではないか、逆恨みされるのではないか」 そんな考えも脳裏をよぎった可能性もある。しかし、いつの間にか「間にあわしたる。どうにかしたる」と考えるようになり、安全運転第一で時間を気にしながらも300km余りを爆走したのだろう。探し出して連絡をした高校も温かい。みんなで勝ち取った「合格」という感じだ。
こういう出来事に出会うと、安心できる気分になる。しかし、以前では、「当り前の助け合い」なのかも知れない、と考えたとき、どこかに寂しさを感じざるを得ない…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと 〜やの 2010/02/13 12:00 am

やの
「ああしんどヤノ(くたびれたよ)」のヤノは「〜であることよ」の意味。詠嘆の助詞ヤとノの結合。江戸時代から女性の表現。東京の「じれったいね」は「しんきくさヤノ」という。辛気臭いはもどかしいの意。このほか、「嫌らしヤノ(キザだよ)」、「やかましヤノ」、「あほらしヤノ」のようにいう。「うらやましいね」は「うらめしヤノ」と言ったが、ウラメシは「恨む」から。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

則破りの結果
貴乃花引退後の大相撲は野球の米メジャーリーグの様相を呈している、という人がいる。つまり、日本のプロ野球選手が実績を作り、新たな自己実現を志してメジャーリーグを目指すのと同様に、モンゴル、ヨーロッパ、韓国など各国の格闘技者が世界最高峰の相撲に挑戦すべく来日しているのは同じことだという。



数々の不祥事を起こし、横綱としての品格が問われた朝青龍には「横綱といってもモンゴル人」という声も多かった。そう口にする人々も、メジャーリーグ中継を見て、イチローや松井、松阪ら日本人メジャーリーガーを応援する。個々の選手に対する印象論、好き嫌いが先立つにせよ、社会環境も生活習慣も異なる国で新たな自己実現に挑戦する姿は共通しているのに、その理解に温度差がないとは言い難いし、実際に温度差はあるだろう。



横綱として積み重ねた優勝は23回、通算25回の優勝実績も「25回も」と敬意を抱く人より、「綱の重みを理解していない」と受け止める人のほうが多いのが世の中の実感か。優勝25回という横綱を「大横綱」と呼ぶことなく、朝青龍の引退となった。相撲協会に大横綱の基準はないと聞くが、大鵬、千代の富士、北の湖、貴乃花ら20回以上の横綱に与えられる尊称であることは社会認識として定着しているのではないか。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

横綱推挙の内規に「品格、力量が抜群であること」とはあるものの「20代の青年に求めるのは酷」の声は昔からあったと聞く。朝青龍の昇進時、時期尚早の声もあったとされるが、優勝を重ねても大関に留め置くのもできないことである。朝青龍の場合は常に世間の耳目を集める存在感はあっても、品格を第一に掲げる内規通りの横綱になれなかったという結果だけが残ってしまう。たとえ力量があったとしても、「力」だけでは認められない、つまりは、「内規に殉じた」ということか。世の中には常に規則(ルール)がある。それを守らなければ、「力」があっても社会的地位は維持できないというお手本のようなものになってしまっていることに一抹の寂しさを感じる…と、天を仰いで思うこと。


 

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