rrbのブログ - 2009/10/02のエントリ
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天を仰いで思うこと うらんちょ 2009/10/02 12:00 am
うらんちょ
裏の町。裏の町といっても同じ区域内である。「うちのウランチョのお菓子屋さんで、おかきを買うてきてんか」 裏通りの町という意味。上の町(かみのちょう…北の方にある町)をカミンチョと町をチョと短く言う。チョウとマチの読みに注意したい。河原町や木屋町はマチである。農村でも田の区画をマチという。市(いち)と町(まち)は江戸時代中ごろまで混用されていた。市も品物を売買する場所だけでなく人の多く集まる所であった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(75)
神々について思うこと

さて、昨日のある意味ショッキングなお話、「因幡の白兎」。このお話で、大黒様で知られる大国主の命が登場する。ショッキングな内容を説明ために、このお話のあらすじも引用掲載し、キーとなる部分には下線をすることにしよう。
[あらすじ] 八岐の大蛇を退治した須佐之男命にはたくさんの子供があり、子孫も増えました。その一人に大国主の命がいます。隣の因幡の国に、八上姫というたいへん美しい姫がいるといううわさがつたわってきました。神々は自分のお嫁さんにしようと因幡の国へ出かけて行きました。しかも、(1)旅の荷物を全部大国主の命に持たせて。大国主の命は大きな袋を肩に掛けて、後からゆっくりとついていきました。先を歩いていた神々は海岸にでてきました。そこには毛をむしり取られて赤い肌を出したウサギが死んだようにうずくまっていました。
「へんなウサギがいるぞ」「毛をむしり取られているぞ」 (2)仲間同士で笑いながら今度はウサギに向かって言いました。
「おい、ウサギよ。早く元の様な体にもどりたければ、海の水を浴びて小高い丘の上で風に吹かれて寝ていれば治るぞ。」
(3)ウサギは言われたとおりにすると、前よりも痛みがひどくなりました。泣きながら転がっていると、そこに大国主の命が通りかかりました。命はやさしく訳を聞きました。こういうことだったのです。
因幡の国でウサギたちが楽しく暮らしていました。ある日、松原で遊んでいると、突然恐ろしい音とともに洪水が押し寄せてきて、あたりのものを一辺に押し流してしまいました。ウサギ達はうまく逃げ出したのですが、一匹だけ波にさらわれてしまいました。やっとのことで隠岐島にたどりつきました。しばらくくらしているうちに、一人では寂しくなり帰りたいと思うようになりました。ある日、海でワニザメを見つけました。
「ワニザメさん、あなたの仲間は沢山いるようだけど、私たちの仲間とどちらが多いか比べっこしようよ。君が仲間を全部集めて、この島から気多の岬まで並べてごらん。私がその上を飛んで渡りながら数えてあげるよ。」
島から岬まで見事な橋ができあがりました。ウサギは数えながら渡っていきました。岬につくころには、ウサギは嬉しくて嬉しくて、言わなくてもいいことを言ってしまったのです。
「私は、岬に帰りたかっただけさ。お人好しのワニザメさん。」
それを聞いた最後のワニザメは、後一歩というところでウサギを捕まえ、毛をむしり取ってしまったのです。(4)ウサギが泣いているところに、神様達がやってきました。海の水を浴びて風に当たるように教えてもらい、その通りにしたところ、前よりもひどくなってしまったのです。大国主の命は気の毒に思いました。
「みんなワニザメをだましたおまえを反省させようとそんなことを教えたのかも知れない。これからうそをついてはいけないよ。」
「はい。」
「体を川の真水でよく洗いなさい。そして、がまの穂綿にくるまっているとすぐになおるよ。」
しばらくすると、ウサギの体には、元のようなしろい毛が生えてきました。ウサギは大国主の命に言いました。
「(5)あの意地悪な神様は、八上姫をお嫁にもらうことはできません。八上姫は、大国主の命様を選ぶでしょう。」
大国主の命はまた大きなふくろを担いでみんなの後を追っていきました。 [終わり]

さて、下線部分を見ていくと、まず(1)は学校等で「いじめ」につながるとして禁止されている「荷物持ち」を神がしている。(2)は困っているウサギを助けることもなく、ウソをついて、(3)(4)のようになっている。これは、れっきとした「いじめ」ではないか!? 神がウサギをいじめている。ウサギがはっきりと(5)で「あの意地悪な神様」と指摘している。ここまできたら賢明な皆さんにはもうお解かりだろう。そう、人々に「神」として崇められている存在の方々が、実際は「いじめ」をしていたということにショックを受けたということ、だ。日本神話の読み聞かせのなかのひとつだったのだが、この内容には驚いた。他の話にも、現代でいう「いじめ」が数々存在している。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
そもそも、「神」とは何? たとえば、仏教であれば、「人を救済するために自ら修行を積む」という行為があり、その修行の成果で「仏」となり、人々を苦難から救済…と明確である。しかし、「神」は…。さらに「神々の戦い」などのお話もあり、「戦争」もしている。「神」とは、もっとも人間に近い存在なのか…などなど、考えていると無限ループに陥り、抜け出せなくなってしまいそうだ。別に神を冒涜しているわけではない。しかし、この件は、いつまでも、つきそうにないので、このあたりでお開きとしよう…と、天を仰いで思うこと。

裏の町。裏の町といっても同じ区域内である。「うちのウランチョのお菓子屋さんで、おかきを買うてきてんか」 裏通りの町という意味。上の町(かみのちょう…北の方にある町)をカミンチョと町をチョと短く言う。チョウとマチの読みに注意したい。河原町や木屋町はマチである。農村でも田の区画をマチという。市(いち)と町(まち)は江戸時代中ごろまで混用されていた。市も品物を売買する場所だけでなく人の多く集まる所であった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(75)
神々について思うこと

さて、昨日のある意味ショッキングなお話、「因幡の白兎」。このお話で、大黒様で知られる大国主の命が登場する。ショッキングな内容を説明ために、このお話のあらすじも引用掲載し、キーとなる部分には下線をすることにしよう。
[あらすじ] 八岐の大蛇を退治した須佐之男命にはたくさんの子供があり、子孫も増えました。その一人に大国主の命がいます。隣の因幡の国に、八上姫というたいへん美しい姫がいるといううわさがつたわってきました。神々は自分のお嫁さんにしようと因幡の国へ出かけて行きました。しかも、(1)旅の荷物を全部大国主の命に持たせて。大国主の命は大きな袋を肩に掛けて、後からゆっくりとついていきました。先を歩いていた神々は海岸にでてきました。そこには毛をむしり取られて赤い肌を出したウサギが死んだようにうずくまっていました。
「へんなウサギがいるぞ」「毛をむしり取られているぞ」 (2)仲間同士で笑いながら今度はウサギに向かって言いました。
「おい、ウサギよ。早く元の様な体にもどりたければ、海の水を浴びて小高い丘の上で風に吹かれて寝ていれば治るぞ。」
(3)ウサギは言われたとおりにすると、前よりも痛みがひどくなりました。泣きながら転がっていると、そこに大国主の命が通りかかりました。命はやさしく訳を聞きました。こういうことだったのです。
因幡の国でウサギたちが楽しく暮らしていました。ある日、松原で遊んでいると、突然恐ろしい音とともに洪水が押し寄せてきて、あたりのものを一辺に押し流してしまいました。ウサギ達はうまく逃げ出したのですが、一匹だけ波にさらわれてしまいました。やっとのことで隠岐島にたどりつきました。しばらくくらしているうちに、一人では寂しくなり帰りたいと思うようになりました。ある日、海でワニザメを見つけました。
「ワニザメさん、あなたの仲間は沢山いるようだけど、私たちの仲間とどちらが多いか比べっこしようよ。君が仲間を全部集めて、この島から気多の岬まで並べてごらん。私がその上を飛んで渡りながら数えてあげるよ。」
島から岬まで見事な橋ができあがりました。ウサギは数えながら渡っていきました。岬につくころには、ウサギは嬉しくて嬉しくて、言わなくてもいいことを言ってしまったのです。
「私は、岬に帰りたかっただけさ。お人好しのワニザメさん。」
それを聞いた最後のワニザメは、後一歩というところでウサギを捕まえ、毛をむしり取ってしまったのです。(4)ウサギが泣いているところに、神様達がやってきました。海の水を浴びて風に当たるように教えてもらい、その通りにしたところ、前よりもひどくなってしまったのです。大国主の命は気の毒に思いました。
「みんなワニザメをだましたおまえを反省させようとそんなことを教えたのかも知れない。これからうそをついてはいけないよ。」
「はい。」
「体を川の真水でよく洗いなさい。そして、がまの穂綿にくるまっているとすぐになおるよ。」
しばらくすると、ウサギの体には、元のようなしろい毛が生えてきました。ウサギは大国主の命に言いました。
「(5)あの意地悪な神様は、八上姫をお嫁にもらうことはできません。八上姫は、大国主の命様を選ぶでしょう。」
大国主の命はまた大きなふくろを担いでみんなの後を追っていきました。 [終わり]

さて、下線部分を見ていくと、まず(1)は学校等で「いじめ」につながるとして禁止されている「荷物持ち」を神がしている。(2)は困っているウサギを助けることもなく、ウソをついて、(3)(4)のようになっている。これは、れっきとした「いじめ」ではないか!? 神がウサギをいじめている。ウサギがはっきりと(5)で「あの意地悪な神様」と指摘している。ここまできたら賢明な皆さんにはもうお解かりだろう。そう、人々に「神」として崇められている存在の方々が、実際は「いじめ」をしていたということにショックを受けたということ、だ。日本神話の読み聞かせのなかのひとつだったのだが、この内容には驚いた。他の話にも、現代でいう「いじめ」が数々存在している。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
そもそも、「神」とは何? たとえば、仏教であれば、「人を救済するために自ら修行を積む」という行為があり、その修行の成果で「仏」となり、人々を苦難から救済…と明確である。しかし、「神」は…。さらに「神々の戦い」などのお話もあり、「戦争」もしている。「神」とは、もっとも人間に近い存在なのか…などなど、考えていると無限ループに陥り、抜け出せなくなってしまいそうだ。別に神を冒涜しているわけではない。しかし、この件は、いつまでも、つきそうにないので、このあたりでお開きとしよう…と、天を仰いで思うこと。

