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rrbのブログ - 2009/08のエントリ

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天を仰いで思うこと しんどい 2009/08/31 12:00 am

んどい
つらい。苦しい。疲れている。「マラソン走ってシンドイわ」「社長さんの話は聞いててシンドイ」「辛労」にイを付け形容詞化した「辛労い」がなまって、シンドイとなった。シンロウをシンドウといった。安原貞室の『片言』に「辛労を、しんだうと云ふこと如何」とある。『東京京阪言語違』(明治19年刊)には、京阪のシンドイを東京のクタビレタ、京阪のシンドヤノーを東京のガッカリシタと比べている。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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を仰いで思うこと






(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

今日は写真の掲載のみで…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと ちょろこい 2009/08/28 12:00 am

ょろこい
「田の畦の草刈りなんてチョロコイもんや」「こんどの試験、チョロコイな、満点や」 たやすいの意味。コイは形状を示す接尾語。チョロコイは「まだるっこい(間怠っこい)」動作をするときにも使う。チョロイとも。チョロは小動物が動くさまをいう擬態語。チョロクサイともいう。「何をやらしてもぐずぐずしてチョロクサイ子やな」「たんぼの水、チョロクサイし、もうちょっと口あけて流そうか」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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を仰いで思うこと






(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

最近、自分にとって、気候がとてもよいようだ。朝、起きたくない…と感じてしまう。
秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。 日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
朝に夕に、トニカク眠い…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと びんしょ 2009/08/26 12:00 am

んしょ
汚らわしいこと。「ビンショやし、触らんとき」 ペンショ・ビンショともいう。鬢髪(びんぱつ)を調えた「鬢所(びんしょ)」からか。便所からとの説も。子ども仲間で汚いものに触ったとき「ベンショベンショ」とはやした。便所を室町時代からベンショといった。平安時代には適当なところの意味で、便所をビンショと発音した。馬糞などを踏み付けた子に「ビビンショに触るな」などと、はやしたこともあった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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先日の新聞に、地蔵盆のことが掲載されていた。記事はこうだ。
散髪の途中に理容師が交代したことがある。「どうしても行かんとあかんところがあるんです」と向かった先は地蔵盆の会場。当番の時間になったのだろう。「客がいる」程度の理由では予定を変更できない。子どもの成長を祈る地蔵盆は、京都市内などでは各町内会最大のイベント。早朝のテント張りなど会場設営から、お坊さんの送り迎え、余興、景品、仕上げの花火まで手を抜けない。
というもの。確かに、地蔵盆は町内にとって一大イベントだ。



記事は続く。
中京区の竹間公園には、道路に面した東西と北の三方にお地蔵さまのほこらがある。周辺は地蔵盆の最も盛んな土地柄といえよう。ところが北のお地蔵さまは、ここに安置されるまでに存廃の危機を迎えていた。4、5年前は、お守りする大津町内の少し離れた民家の前にあったが、土地売却に伴い移転せざるを得なくなった。新たな引き受け手は現れず、お地蔵さまの居場所がなくなった。公園への移転を決めるも、費用は町内会持ち。困り果てていると、土地の購入者が基礎工事費用の負担を申し出、新しいほこらの建築に予算を超える寄付が集まった。「前の場所に長く置いてもらって感謝している。いくらか出すのは当たり前」。町内の声に感激した。地域のきずなは残っている。
というものである。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

7月の祇園祭で夏が始まり、8月16日の送り火、そして、地蔵盆と続き、京都の夏は終わっていく。今年もいくつかの地蔵盆を遠巻きに見たが、子どもたちの姿が減っている。信仰のものであるから、風物詩という表現はあまり好まないが、できれば、末永く続いて欲しいものだ…と、天を仰いで思うこと。
★地蔵盆の関連記事はここ(←クリック)とここ(←クリック)


 

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天を仰いで思うこと かぼちゃ 2009/08/24 12:00 am

ぼちゃ
「カボチャの炊いたんおいしいな」 江戸時代には、大阪でナンキン(南京)、江戸でトーナス(唐茄子)、京都でカボチャと使い分けた。室町時代にカンボジアから伝来したのでいう。尼門跡語ではカボとも。鹿ケ谷の安楽寺で7月25日、「カボチャ供養」がある。江戸時代後期、「夏の土用に、カボチャを供養すると諸病退散できる」と、ヒョウタン型の鹿ケ谷カボチャを近在の農家が寺に供えた。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

ちょっと、バタバタしてきたので、写真の掲載だけで、かんにんして…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと おみや 2009/08/21 12:00 am

みや
「どうぞオミヤ出して、楽にしとくれやす」 足のこと。老人層が使う。足をオミアシと御所ことばで用いるが、オミヤはその省略に基づく。御所では自分の足はスソという。幼児語でアイヤである。御所ことばでオミヤは土産物のこともいう。「おみやげ」の略である。江戸時代の宮廷日記には「奈良のおみや」「江戸おみや」のように記され、『静寛院宮(皇女和宮)御側日記』にも「おみやもの」と見える。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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楽しいはずの修学旅行は、悲しみと寂しさに耐えるだけだった。修学旅行先の東京ディズニーランドで撮った写真には、彼女だけがぽつんと写っている。近畿南部の中学校。いじめは小学校から続いていた。彼女の家庭の経済状態はそれほど悪くないが、親はパチンコにお金をつぎ込み、お風呂は「もったいない」と水を10cmほど張って週1回だけ。髪もくしゃくしゃで、体臭も取れない。「きしょい」「臭い」とのけ者にされる。だが、学校側が家庭訪問するなどして「清潔にしてあげて」と親を説得した事実はない。教師は、学校にあれこれ文句を言う保護者の顔色ばかりうかがっている。旅行を控え、彼女が入る班が決まらなかった。クラブ活動では地区大会で優勝するほどの力がある。担任は部員ばかりの班に無理に入れたが、誰も一緒に写真に納まってくれない。遊園地の乗り物も1人。浅草は担任と歩いた。



「行かんかったらよかった」。いじめられても泣かず、いつもにこにこしていた彼女が旅行の後、保健室で大声で泣いた。それでもクラスの誰も彼女に近づかない。彼女は登校できなくなった。親は今もいじめを意に介せず、事なかれ主義の学校は登校を促すだけ。地域のつながりは薄く、近所に助けてくれる人はいない。彼女が苦しみを打ち明けた学校関係者は「せめてクラスに何人か、かばってくれる正義感の強い子がいれば…」とつぶやいた。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

これは、今年の6月に新聞に掲載されたもの。この記事に心が痛むのは誰しも同じだろう。行き場のない怒りさえ覚える。この記事の背景にある家庭、学校に対して「何かおかしい」と感じる方もいるだろう。件数は多くないが、これも現実なのだ。解決方法は難しいが、社会には、こういう現実もあるということを知らされた記事だ。自分の学校時代を思い返すと、とても楽しいものだった。「いじめ」などは感じたことはない。それが当り前だと思っていたが、この記事を読んで、自分は幸せ者だったのかもしれないと考えるようになった。世の中にはまだまだ不条理なことがあるのだ…と、天を仰いで思うこと。


 

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