rrbのブログ - 2017/12/11のエントリ
ヘッダーナビゲーション
現在のカテゴリー位置
サイト全体のカテゴリーナビゲーション
今京都 地獄辻子 2017/12/11 12:00 am
京都・西陣、千本釈迦堂の門前の五辻通を少し東へ行ったところを今出川通まで南下する小路。このちょっと恐ろしい名前は、おそらく当て字。かつては「地奥辻子」や「釈迦突抜」と呼称されていた。千本釈迦堂の北側には千本閻魔堂があり、「地奥」の語呂と閻魔堂が結びついて変化したのではないかと推測。
「地奥」は、この町が開かれた頃に西洋から奥縞と呼ぶ織物を輸入、一時は流行を極めたのでこの町の織工がこれを模製して販売。それ以来、遠来のものを「唐奥」と云い、京都で製するものを「地奥」と云うようになり、これが町の名になったとの一説も…という今京都。
《京都・地獄辻子》
「地奥」は、この町が開かれた頃に西洋から奥縞と呼ぶ織物を輸入、一時は流行を極めたのでこの町の織工がこれを模製して販売。それ以来、遠来のものを「唐奥」と云い、京都で製するものを「地奥」と云うようになり、これが町の名になったとの一説も…という今京都。
《京都・地獄辻子》
3枚の写真で全景。辻子は本当に楽しいね