rrbのブログ - 2010/03/06のエントリ
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今京都 かきや 2010/03/06 12:00 am
かきや
かき餅。「カキヤ焼いてお醤油つけて食べよう」 カキ(欠き)は正月の鏡餅を包丁で切るのを忌み、手でちいさく欠いたことから。カキヤのヤは「焼き」の略。欠き餅の焼いたものの意。昔は手作りの楽しみがあった。オカキとも。餅を小さく切って煎り、アラレ(霰餅)も作った。焙烙(ほうらく)に入れて掻き混ぜ醤油をつけて食べた。豆の入ったあられを公家言葉ではイリイリという。いりいりは「煎る」に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
ちんちん電車
ちんちん電車、この名前はたいていの人は聞いたことがある。車掌さんが紐を引いて、鐘をちんちんと鳴らして走るから、市民の間では親しみを込めて「ちんちん電車」と呼ばれていた。この鐘、実は運転手さんの足元のボタンを踏むと鳴るらしい。京都では、1978(昭和53)年まで走っていた市電(路面電車)のことをさす場合が多いが、それに先駆けて走っていたN電(旧京電の路線)があった。

片方だけに座席があり、もう一方は少し傾斜になっていて背もたれのようなものがついていたという。昭和20年代後半の頃、その電車に乗ると、子どもや元気な若者は座席に座ってはいけないといわれていたらしい。当然、今のようなシルバーシートもなく、ごく当たり前のこととして、座席はお年寄りや体の不自由な人のためだと教育されていたという。ちんちん電車から発展した市電が京都から消えてしまった理由のひとつは、電車の音が大きく、住民に迷惑がかかるためと聞いたことがあるが、1895(明治28)年に日本で一番最初に走った市街電車でもあるこのちんちん電車のことを京都人は大変誇りに思っているのも事実である。ちんちん電車はあとから出現した市電に比べて線路の幅が狭く、そのために両方の電車が四条西洞院から四条堀川までの間には線路が二本あって、市電は外側の広い方を走り、ちんちん電車は内側の狭い方の線路を走っていたという。

また、ちんちん電車にはドアがなく、くさり式で、運転手さんがお客さんの乗り降りのたびに、くさりを外したりはめたりしていた。もっと以前のものは運転席の前面に窓ガラスがなかったので雨の日は雨ガッパを着て運転していたそうだ。それに、事故防止のために「電車が来はりますさかい、気ィつけとくれやっしゃー」と、電車より先に走る少年がいて、これを先走りといった。ちんちん電車は行き先ごとに京都の町の碁盤の目にそって最短の道を走ったので、今の路線バスと違ってどこを通っていくのかがよくわかったという。ちんちん電車は当時の京都を象徴するかのように、行く先の方向性もきちんとしていて、電車そのものにお作法があり、今のバスに比べて礼儀正しかったのではないかと想像する…今京都。

かき餅。「カキヤ焼いてお醤油つけて食べよう」 カキ(欠き)は正月の鏡餅を包丁で切るのを忌み、手でちいさく欠いたことから。カキヤのヤは「焼き」の略。欠き餅の焼いたものの意。昔は手作りの楽しみがあった。オカキとも。餅を小さく切って煎り、アラレ(霰餅)も作った。焙烙(ほうらく)に入れて掻き混ぜ醤油をつけて食べた。豆の入ったあられを公家言葉ではイリイリという。いりいりは「煎る」に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
ちんちん電車
ちんちん電車、この名前はたいていの人は聞いたことがある。車掌さんが紐を引いて、鐘をちんちんと鳴らして走るから、市民の間では親しみを込めて「ちんちん電車」と呼ばれていた。この鐘、実は運転手さんの足元のボタンを踏むと鳴るらしい。京都では、1978(昭和53)年まで走っていた市電(路面電車)のことをさす場合が多いが、それに先駆けて走っていたN電(旧京電の路線)があった。

片方だけに座席があり、もう一方は少し傾斜になっていて背もたれのようなものがついていたという。昭和20年代後半の頃、その電車に乗ると、子どもや元気な若者は座席に座ってはいけないといわれていたらしい。当然、今のようなシルバーシートもなく、ごく当たり前のこととして、座席はお年寄りや体の不自由な人のためだと教育されていたという。ちんちん電車から発展した市電が京都から消えてしまった理由のひとつは、電車の音が大きく、住民に迷惑がかかるためと聞いたことがあるが、1895(明治28)年に日本で一番最初に走った市街電車でもあるこのちんちん電車のことを京都人は大変誇りに思っているのも事実である。ちんちん電車はあとから出現した市電に比べて線路の幅が狭く、そのために両方の電車が四条西洞院から四条堀川までの間には線路が二本あって、市電は外側の広い方を走り、ちんちん電車は内側の狭い方の線路を走っていたという。

また、ちんちん電車にはドアがなく、くさり式で、運転手さんがお客さんの乗り降りのたびに、くさりを外したりはめたりしていた。もっと以前のものは運転席の前面に窓ガラスがなかったので雨の日は雨ガッパを着て運転していたそうだ。それに、事故防止のために「電車が来はりますさかい、気ィつけとくれやっしゃー」と、電車より先に走る少年がいて、これを先走りといった。ちんちん電車は行き先ごとに京都の町の碁盤の目にそって最短の道を走ったので、今の路線バスと違ってどこを通っていくのかがよくわかったという。ちんちん電車は当時の京都を象徴するかのように、行く先の方向性もきちんとしていて、電車そのものにお作法があり、今のバスに比べて礼儀正しかったのではないかと想像する…今京都。

