rrbのブログ - 2009/06のエントリ
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今京都 けたつ 2009/06/22 12:00 am
けたつ
踏み台。「庭の木を切るし、ケタツ持ってきて」 ケタツは脚立から。クラカケとも。「はしごに鞍掛(くらかけ)いらんかなー」と、梅ヶ畑から京の町中に振り売りに来る女性の声がよく聞かれた。クラカケは鞍を掛けておく四脚の台を、踏み台として用いたことに始まる。四脚の高い踏み台をアシツギといい、足継ぎの意。「棚のもん、降ろすさかい、アシツギ持ってきてんか」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
羅漢
現在、京都を離れています。ブログの更新はいたしますが、皆様のブログへの訪問は無理だと思います。ご容赦ください。明日より、復活する予定です。





踏み台。「庭の木を切るし、ケタツ持ってきて」 ケタツは脚立から。クラカケとも。「はしごに鞍掛(くらかけ)いらんかなー」と、梅ヶ畑から京の町中に振り売りに来る女性の声がよく聞かれた。クラカケは鞍を掛けておく四脚の台を、踏み台として用いたことに始まる。四脚の高い踏み台をアシツギといい、足継ぎの意。「棚のもん、降ろすさかい、アシツギ持ってきてんか」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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今京都 さらば 2009/06/21 12:00 am
さらば
さようなら。寄り合いをして別れるときにいうあいさつことば。洛北・八瀬で老年層が使用してきた。今の若者はバイバイというが、かつてはサイナラということが多かった。「サイナラ三角また来て四角」と子どもが別れる時によく言い合った。サラバもサイナラも、もともと「そうであるならば」の意味。「サラバ、明日は早く起きられるように」などと次に言葉を続けたものである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
羅漢
現在、京都を離れています。ブログの更新はいたしますが、皆様のブログへの訪問は無理だと思います。ご容赦ください。また、この間(月曜日まで)、羅漢をお楽しみください。





さようなら。寄り合いをして別れるときにいうあいさつことば。洛北・八瀬で老年層が使用してきた。今の若者はバイバイというが、かつてはサイナラということが多かった。「サイナラ三角また来て四角」と子どもが別れる時によく言い合った。サラバもサイナラも、もともと「そうであるならば」の意味。「サラバ、明日は早く起きられるように」などと次に言葉を続けたものである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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今京都 ざんぐり 2009/06/20 12:00 am
ざんぐり
西陣織の着物を観賞して、「この生地、ザングリとした肌触りや」という。ふくらみがあり、柔らかな感触を指す。京焼の作品を見て「この壷はザングリしたできばえどすな」のように自然の風味の感じられる形容にも。京料理については「このお皿にザングリ盛っとくれやす」 風雅で、あか抜けした自然の感じを伝える。江戸時代天保年間(1830〜44)から使用。擬態語に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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羅漢
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西陣織の着物を観賞して、「この生地、ザングリとした肌触りや」という。ふくらみがあり、柔らかな感触を指す。京焼の作品を見て「この壷はザングリしたできばえどすな」のように自然の風味の感じられる形容にも。京料理については「このお皿にザングリ盛っとくれやす」 風雅で、あか抜けした自然の感じを伝える。江戸時代天保年間(1830〜44)から使用。擬態語に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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今京都 ななこ 2009/06/19 12:00 am
ななこ
お手玉のこと。「ナナコであそびましょ」「七小石(ななこいし)」の省略で、もと七個の小石を入れて遊んだことから。オジャミは京都周辺で多く用いた。オコンメも京都府南部で使った。お手玉遊びの歌にもこれらの語はでてくる。「おじゃみ、おひー、おふー、おみー、およー、…」「おこんめいっこ にこ さんこめさして よんこ ごこ ろっこめさして ななこ はっこ きゅうこめさいてじゅこめでたい…」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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お手玉のこと。「ナナコであそびましょ」「七小石(ななこいし)」の省略で、もと七個の小石を入れて遊んだことから。オジャミは京都周辺で多く用いた。オコンメも京都府南部で使った。お手玉遊びの歌にもこれらの語はでてくる。「おじゃみ、おひー、おふー、おみー、およー、…」「おこんめいっこ にこ さんこめさして よんこ ごこ ろっこめさして ななこ はっこ きゅうこめさいてじゅこめでたい…」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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今京都 ごじょ 2009/06/18 12:00 am
ごじょ
京都に地下鉄ができた当初、五条をゴジョという車内アナウンスが聞かれた。三条はサンジョ、御幸町をゴコマチという人は江戸時代からいた。学校はガッコ、養生をヨージョというように長母音を短くいうのが特徴。昭和初期には七条をヒッチョと発音し、京都駅をヒッチョノステンショ、質屋をヒチヤと書いた看板もあった。松原をマツワラ、室町をモロマチ、建仁寺をケンネンジと記した記録も残る。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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塔頭 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月7日掲載)
京都のお寺を語るときは欠かせない言葉が「塔頭」。「たっちゅう」と読む。京都ではしごく当たり前に使っているこの言葉。しかし、「塔頭」と書いて「たっちゅう」と読むのは漢字としては例外的だ。本来なら「塔」も「頭」も「とう」と読んで「とうとう」となりそうなものなのに…。

調べてみると「塔頭」の「頭」を「ちゅう」と読むのは中国の唐音に由来するという。仏教用語としてそのまま取り入れられたようだ。「頭(ちゅう)」は「ほとり」という意味。本来は禅宗で祖師などの墓のほとりに建てられた塔、あるいは墓を護持するために建てられた小さな庵をさす言葉だったということ。それが、本山の住持をつとめた高僧・名僧が住む隠居所を「塔頭」と呼ぶようになった。

しかし、この時点ではまだ本山の建物のひとつで、独立した寺院ではなかった。が、やがてそれらの小院がのちの弟子たちに受け継がれ、現在の独立した塔頭寺院になったという。広辞苑には「(転じて)一山内にある小寺院。大寺に所属する別坊。寺中(じちゅう)。子院。わきでら」と説明されている。現在では禅宗以外でも本山のある寺域内に独立した小院がいくつか見られ、それらの末寺もまた塔頭と呼ばれている。天龍寺や相国寺、建仁寺、東福寺、南禅寺などは多くの塔頭をもつ。塔頭の数が多いお寺といえば、京都では21の塔頭をもつ大徳寺。そして大徳寺をさらに上回るのが妙心寺で、その数はなんと47というから驚きである。

敷地内(山内)にあるのが基本なんだけれど、中には敷地外(山外)に塔頭もある。それを山外塔頭という。
さて、この塔頭に絡んでのお話をひとつ。大徳寺はその本坊は非公開。大徳寺へ行っても肝心の大徳寺は拝観できず、21ある塔頭の龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院を見学することになる。つまり、大徳寺という敷地内(山内)に入ることはできるが、肝心の本坊は非公開で、塔頭を見学して大徳寺参拝となるということ。なんか釈然としないものがあるという…今京都。 ※写真は御室仁和寺で本文とは関係ないのであしからず。

京都に地下鉄ができた当初、五条をゴジョという車内アナウンスが聞かれた。三条はサンジョ、御幸町をゴコマチという人は江戸時代からいた。学校はガッコ、養生をヨージョというように長母音を短くいうのが特徴。昭和初期には七条をヒッチョと発音し、京都駅をヒッチョノステンショ、質屋をヒチヤと書いた看板もあった。松原をマツワラ、室町をモロマチ、建仁寺をケンネンジと記した記録も残る。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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塔頭 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月7日掲載)
京都のお寺を語るときは欠かせない言葉が「塔頭」。「たっちゅう」と読む。京都ではしごく当たり前に使っているこの言葉。しかし、「塔頭」と書いて「たっちゅう」と読むのは漢字としては例外的だ。本来なら「塔」も「頭」も「とう」と読んで「とうとう」となりそうなものなのに…。

調べてみると「塔頭」の「頭」を「ちゅう」と読むのは中国の唐音に由来するという。仏教用語としてそのまま取り入れられたようだ。「頭(ちゅう)」は「ほとり」という意味。本来は禅宗で祖師などの墓のほとりに建てられた塔、あるいは墓を護持するために建てられた小さな庵をさす言葉だったということ。それが、本山の住持をつとめた高僧・名僧が住む隠居所を「塔頭」と呼ぶようになった。

しかし、この時点ではまだ本山の建物のひとつで、独立した寺院ではなかった。が、やがてそれらの小院がのちの弟子たちに受け継がれ、現在の独立した塔頭寺院になったという。広辞苑には「(転じて)一山内にある小寺院。大寺に所属する別坊。寺中(じちゅう)。子院。わきでら」と説明されている。現在では禅宗以外でも本山のある寺域内に独立した小院がいくつか見られ、それらの末寺もまた塔頭と呼ばれている。天龍寺や相国寺、建仁寺、東福寺、南禅寺などは多くの塔頭をもつ。塔頭の数が多いお寺といえば、京都では21の塔頭をもつ大徳寺。そして大徳寺をさらに上回るのが妙心寺で、その数はなんと47というから驚きである。

敷地内(山内)にあるのが基本なんだけれど、中には敷地外(山外)に塔頭もある。それを山外塔頭という。
さて、この塔頭に絡んでのお話をひとつ。大徳寺はその本坊は非公開。大徳寺へ行っても肝心の大徳寺は拝観できず、21ある塔頭の龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院を見学することになる。つまり、大徳寺という敷地内(山内)に入ることはできるが、肝心の本坊は非公開で、塔頭を見学して大徳寺参拝となるということ。なんか釈然としないものがあるという…今京都。 ※写真は御室仁和寺で本文とは関係ないのであしからず。

