rrbのブログ - 2009/04のエントリ
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今京都 根無草 2009/04/04 12:00 am
ねなしぐさ…根のない草から、漂い動いて落ち着かないもの。また、その日暮らしの生活。
◇ちょっと予備知識 → もとは水面を漂う浮き草のこと。
類義語に浮草(うきくさ)・浮雲(うきぐも)がある。
対義語は安住(あんじゅう)・定住(ていじゅう)。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
ばったり床几と虫籠窓 (旧フォトヴィレッジ 2006年10月18日、2007年3月26日掲載)
床几(しょうぎ)であるからには、商品をならべたり、腰掛けたりするものに違いないが、今のベンチと違うところは、折りたたんで家の格子に立て掛けてしまえば、邪魔にならないところ。京都の古寺の本堂や金堂、御所などの建物を見ると、当時の窓は、上に跳ね上がり、天井から金具で釣るようになっていた。また、窓の下側を倒したり、取り外すことによって、源氏物語絵巻きに描かれた王朝貴族の生活スタイルになる。一般的な商家においても、簡略化された同形式を用いたらしい。蔀戸(しとみど)というらしいが、「しとみを開けて…」などという言葉は死語になりつつあるということ。

このばったり床几は江戸時代に盛んであったらしいが、明治以後は、商品の棚というよりも、近所の人たちが、腰掛けて世間話をするコミュニティスペースへと変化する。しかし、それもクーラーが出現する昭和40年代までのことで、クーラーが出現してからは、ばったり床几で湯上がりに夕涼みをしている人も将棋や囲碁をしている御隠居さんたちも見かけなくなった。テレビの出現もそうだが、近代文明の発明した生活必需品は、どんどん近所のコミュニティを奪っていく。ばったり床几で将棋をする人もばったりいなくなった…まさに「ばったり将棋」
次に、虫籠窓は「むしこまど」と読む。中2階の町家の表構えの2階部分に見られる窓の堅格子のことで芯部の角材を土で塗り込めたもの。まるで虫かごのように格子が縦に入っていて、このデザインを考案した先人の洗練された構成力には脱帽させられる。本格的な2階建ての家には虫籠窓はなく、中2階の低い2階建築にこの意匠は使われている。重苦しい中2階の窓を美しく見せるために考案されたのかもしれない。表屋造りの大きな町家では、この虫籠窓の部屋(厨子二階)が男衆(おとこし)・女子衆(おなごし)の寝起きの間として使われたらしい。

虫籠窓をつくる技術は難しいものらしく、内側と外側を違う職人が同時にやったとも。もちろん、外側を担当する職人の方が技術が上で、先輩であったらしい。壁の素材は漆喰(しっくい)であったり、聚楽であったり、粗壁土であったりするのだが、壁土の種類によって色が違って見える。真っ白いのは漆喰である。ばったり床几(しょうぎ)と虫籠窓の両方が見られるお家はとても希少価値だという京の街のお話…今京都。

◇ちょっと予備知識 → もとは水面を漂う浮き草のこと。
類義語に浮草(うきくさ)・浮雲(うきぐも)がある。
対義語は安住(あんじゅう)・定住(ていじゅう)。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
ばったり床几と虫籠窓 (旧フォトヴィレッジ 2006年10月18日、2007年3月26日掲載)
床几(しょうぎ)であるからには、商品をならべたり、腰掛けたりするものに違いないが、今のベンチと違うところは、折りたたんで家の格子に立て掛けてしまえば、邪魔にならないところ。京都の古寺の本堂や金堂、御所などの建物を見ると、当時の窓は、上に跳ね上がり、天井から金具で釣るようになっていた。また、窓の下側を倒したり、取り外すことによって、源氏物語絵巻きに描かれた王朝貴族の生活スタイルになる。一般的な商家においても、簡略化された同形式を用いたらしい。蔀戸(しとみど)というらしいが、「しとみを開けて…」などという言葉は死語になりつつあるということ。

このばったり床几は江戸時代に盛んであったらしいが、明治以後は、商品の棚というよりも、近所の人たちが、腰掛けて世間話をするコミュニティスペースへと変化する。しかし、それもクーラーが出現する昭和40年代までのことで、クーラーが出現してからは、ばったり床几で湯上がりに夕涼みをしている人も将棋や囲碁をしている御隠居さんたちも見かけなくなった。テレビの出現もそうだが、近代文明の発明した生活必需品は、どんどん近所のコミュニティを奪っていく。ばったり床几で将棋をする人もばったりいなくなった…まさに「ばったり将棋」
次に、虫籠窓は「むしこまど」と読む。中2階の町家の表構えの2階部分に見られる窓の堅格子のことで芯部の角材を土で塗り込めたもの。まるで虫かごのように格子が縦に入っていて、このデザインを考案した先人の洗練された構成力には脱帽させられる。本格的な2階建ての家には虫籠窓はなく、中2階の低い2階建築にこの意匠は使われている。重苦しい中2階の窓を美しく見せるために考案されたのかもしれない。表屋造りの大きな町家では、この虫籠窓の部屋(厨子二階)が男衆(おとこし)・女子衆(おなごし)の寝起きの間として使われたらしい。

虫籠窓をつくる技術は難しいものらしく、内側と外側を違う職人が同時にやったとも。もちろん、外側を担当する職人の方が技術が上で、先輩であったらしい。壁の素材は漆喰(しっくい)であったり、聚楽であったり、粗壁土であったりするのだが、壁土の種類によって色が違って見える。真っ白いのは漆喰である。ばったり床几(しょうぎ)と虫籠窓の両方が見られるお家はとても希少価値だという京の街のお話…今京都。


このエントリーの情報
今京都 長丁場 2009/04/02 12:00 am
ながちょうば…区間が長いこと。物事が長い間続くこと。
◇ちょっと予備知識 → 「丁場」は宿場と宿場の間。「長町場」とも書く。
類義語に長期戦(ちょうきせん)がある。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
お地蔵さん (旧フォトヴィレッジ 2006年10月15・16日掲載)

京都では8月のお盆が終わった後の24日ごろに地蔵盆というお祭りがされている。これは町内単位で行われる子供のための無病息災、子育てのお祭り。基本的に各町内にお地蔵さんがある…というより、地蔵物語とシリーズで紹介しているとおり、至る所にあるという感じ。京都の町内は、規模が小さく60世帯もあれば多いほうだと言われている。この地蔵盆、最近では土・日に行われることが多く、お盆が終わった後の土・日に京都の町中を散策すればあちこちで地蔵盆の行事を見ることが出来る。

聞くところによると、少子化と核家族化によるドーナツ化現象で子供がいない町内もあるらしいが、行事は続けられているとのこと。行事を続けることも大変だが、それにもまして大変なのがお地蔵さんの維持管理。このお地蔵さん、どこのお寺にも属さず、どこの宗派にも属していないという。それなのに立派なお堂に収まっていたり、祠にお祀りされていたりする。

いったい誰がお世話をしているの? と疑問を持つが、お花やお線香のお供え物は、町内の信心深いおばあさんなどによるボランティア。今では輪番制としている町内もあるみたいだけれど…本来はおばあさんなどによるボランティアだということ。もっともお世話をしているおばあさんたちにとっては、ボランティアだとは思っていないところが、最近の奉仕活動と違うところ。世話をするのは当たり前で、日常生活の一部になっているという。だからこそ、いつもキレイに維持されているのだろう。

さて、8月の後半の土・日は京都の町中は地蔵盆一色になる。ここの角を曲がっても、あそこの角を曲がっても、提灯がぶら下がり、テントが設置され、小さい道などは通行止めにさえなっていて、歩行者天国と化している。提灯に染め抜かれた文字は「大地蔵菩薩」以外に「大日如来」や「子育て地蔵」もある。これは、町内の祠に祀られている本尊が、3つも4つもあって、どれがお地蔵さんでどれが大日如来かわからなくなっているからだと言われている。町内によって日程は異なるけれど、最近では1日で終わるところが多くなっているという。

地蔵盆の会場となる場所は、町内の役員の家の表の間であったり、ガレージであったり。格子戸をはずすと、会場に早変わり。そこで町内の子供たちは一日中遊ぶ。おやつの時間やくじ引きの時間があって、楽しい時間を過ごす。どこの宗教にも属していないが、仏教の行事であるので、近くのお寺さんがお経をあげに来たりする。そして、大きな数珠回しをしたり、お説教を聴いたりもする。こういう光景を見ていると長い間培われた京都の自治組織のパワーを見る思いがする。

夏休み最後の土・日は地蔵盆を求めてぶらりと京都の街を散策するのも一興かも。「ちょっとそこのお兄さん、お姉さん。あっ、お父さんもお母さんも、ちょっと寄っておいきやすぅ」と声がかかるかも、という京の街のお話…今京都。 ※写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景で本文とは関係ないのであしからず。

◇ちょっと予備知識 → 「丁場」は宿場と宿場の間。「長町場」とも書く。
類義語に長期戦(ちょうきせん)がある。
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お地蔵さん (旧フォトヴィレッジ 2006年10月15・16日掲載)

京都では8月のお盆が終わった後の24日ごろに地蔵盆というお祭りがされている。これは町内単位で行われる子供のための無病息災、子育てのお祭り。基本的に各町内にお地蔵さんがある…というより、地蔵物語とシリーズで紹介しているとおり、至る所にあるという感じ。京都の町内は、規模が小さく60世帯もあれば多いほうだと言われている。この地蔵盆、最近では土・日に行われることが多く、お盆が終わった後の土・日に京都の町中を散策すればあちこちで地蔵盆の行事を見ることが出来る。

聞くところによると、少子化と核家族化によるドーナツ化現象で子供がいない町内もあるらしいが、行事は続けられているとのこと。行事を続けることも大変だが、それにもまして大変なのがお地蔵さんの維持管理。このお地蔵さん、どこのお寺にも属さず、どこの宗派にも属していないという。それなのに立派なお堂に収まっていたり、祠にお祀りされていたりする。

いったい誰がお世話をしているの? と疑問を持つが、お花やお線香のお供え物は、町内の信心深いおばあさんなどによるボランティア。今では輪番制としている町内もあるみたいだけれど…本来はおばあさんなどによるボランティアだということ。もっともお世話をしているおばあさんたちにとっては、ボランティアだとは思っていないところが、最近の奉仕活動と違うところ。世話をするのは当たり前で、日常生活の一部になっているという。だからこそ、いつもキレイに維持されているのだろう。

さて、8月の後半の土・日は京都の町中は地蔵盆一色になる。ここの角を曲がっても、あそこの角を曲がっても、提灯がぶら下がり、テントが設置され、小さい道などは通行止めにさえなっていて、歩行者天国と化している。提灯に染め抜かれた文字は「大地蔵菩薩」以外に「大日如来」や「子育て地蔵」もある。これは、町内の祠に祀られている本尊が、3つも4つもあって、どれがお地蔵さんでどれが大日如来かわからなくなっているからだと言われている。町内によって日程は異なるけれど、最近では1日で終わるところが多くなっているという。

地蔵盆の会場となる場所は、町内の役員の家の表の間であったり、ガレージであったり。格子戸をはずすと、会場に早変わり。そこで町内の子供たちは一日中遊ぶ。おやつの時間やくじ引きの時間があって、楽しい時間を過ごす。どこの宗教にも属していないが、仏教の行事であるので、近くのお寺さんがお経をあげに来たりする。そして、大きな数珠回しをしたり、お説教を聴いたりもする。こういう光景を見ていると長い間培われた京都の自治組織のパワーを見る思いがする。

夏休み最後の土・日は地蔵盆を求めてぶらりと京都の街を散策するのも一興かも。「ちょっとそこのお兄さん、お姉さん。あっ、お父さんもお母さんも、ちょっと寄っておいきやすぅ」と声がかかるかも、という京の街のお話…今京都。 ※写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景で本文とは関係ないのであしからず。

