ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2009 4月 » »
29 30 31 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 1 2
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - 2009/04のエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

今京都 左団扇 2009/04/12 12:00 am

だりうちわ…のんびりと安楽に暮らすこと。心配事もなくゆったり暮らすこと。
◇ちょっと予備知識 → 団扇を利き手でない左手であおぐことから。
                    類義語に悠悠自適(ゆうゆうじてき)・平穏無事(へいおんぶじ)がある。
                    対義語は四苦八苦(しくはっく)・困窮(こんきゅう)。

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。






蔵物語(252)




 

このエントリーの情報

今京都 鐚一文 2009/04/11 12:00 am

たいちもん…ほんの少しのお金。また、わずかなお金のたとえ。
◇ちょっと予備知識 → 「鐚」とは鐚銭の略で、質の悪い貨幣のこと。「鐚一文もやらない」などと否定的に使う。
                類義語に端金(はしたがね)・目腐金(めくされがね)がある。
                対義語は大枚(たいまい)・大金(たいきん)・千金(せんきん)。

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

居、屋根看板 (旧フォトヴィレッジ 2006年10月20日、2006年12月12日掲載)



2

京都に限ったことではないと思うけれど、暗いところ、人が少ないところ、路地裏などでよく見かける小さな鳥居。そして、あまり目線の高いところにはなくて、うつむきかげんに下を向いたときに目に入るような高さ、だいたい地上20cmから30cmぐらいのところにある。京都では特に祇園や木屋町という飲み屋街に多く見られる。小さいものだけれど効果覿面。そう、殿方の立ち小便防止の標識みたいなものだ。元々は不浄除けの風習であったということだけれど、いつの間にか、立ち小便防止の標識となってしまった。まぁ立ち小便も不浄だから理にかなっているといえばかなっている。



商家にあって看板は、暖簾とならんで家の顔そのもの。店の看板と暖簾は、非常に大切にされたようで、今でも「店の看板に傷がついた」あるいは「暖簾に傷をつけた」などという言葉がまかり通るところを見ると、商家のシンボルであることは、今も昔も変わらないということだ。また、商品よりも看板に凝ったほど、派手な看板合戦をしたこともあるようで、所司代から派手な看板を禁止する御触れが出されたこともあるとか。ちょっと粋な話かも知れない。



総けやき看板、破風造り、字は金箔押し、七宝の釘隠し、下地は総漆螺鈿蒔絵なども使用されたらしく、江戸時代の日本は、封建時代であるのにもかかわらず、商家台頭の資本主義そのものであった。明治維新にドイツ憲法を取り入れ、西洋化を図ったが、経済そのものは何も混乱しなかったのがその証拠であるかな。



今のような、目立てばいいという周囲を考えない看板とは一味違う。最近の看板は、ピンクの電飾など景観になにも配慮していないものが多い。このような屋根付き看板の他に軒からぶらさげたものや、商品のビッグサイズの模型を飾ったものなど、いろいろ見て歩くと楽しめるものが今でもたくさんある、という京の街のお話…今京都。 ※3枚め以降の写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景で本文とは関係ないのであしからず。


 

このエントリーの情報

今京都 破天荒 2009/04/09 12:00 am

てんこう…これまでにだれも成し得なかったことを成し遂げること。また、型破りであること。
◇ちょっと予備知識 → 「天荒」は天地が開ける前の、混沌とした状態。
                類義語に前人未到(ぜんじんみとう)前代未聞(ぜんだいみもん)・未曾有(みぞう)がある。

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

まき (旧フォトヴィレッジ 2006年11月18日掲載)



京都の街では玄関に吊るされたちまきをよく見かける。ちまきは京都の祇園祭りとともにあるもので、厄災をはらう意味がある。祇園祭りは、祇園の八坂神社のお祭りで、御霊会(ごりょうえ)である。御霊会というのは、厄災をもたらす霊魂を鎮めるための祭礼。北野天満宮が菅原道真を祀り、彼の御霊を鎮めることを目的としたように、京都には、そのものずばり上御霊神社・下御霊神社というものさえある。神社には、天皇一族をお祀りした神宮や神話の神々をお祀りした社が多くみられるが、このように別系統として霊を鎮めるための神社も多くある。



八坂神社の祭神は、牛頭天王といわれるもので、インドの仏教精舎であった祇園精舎の守護神であり、日本に来るとスサノオノミコトにすり替わる。スサノオノミコトは、神話にもあるように非常にやんちゃな神で、アマテラスの弟とされているが、たいてい神話の原型は、征服民族の神が被征服民族の神を融合するさいに、兄弟姉妹にしたり、守護神にしたりするケースが多い。また、征服しないまでも新しい神が出現した場合には、古い神は新しい神に取り入れられ、家来のような存在となってくゆく。ちなみに日本では仏教が導入された以後もそんなに軋轢なく融合していたらしく、現在も神社の風習や儀式が失われていないのをみてもわかる。



ちまきは「けがれを払うおまじない」として玄関の軒下に吊された。茅で巻くのでちまきといったのだろう。現在も神社では茅の輪くぐりという夏の行事がある。暑さ除けでもあり、疫病の流行る夏の疫病除けでもある。
ちまきには 「蘇民将来子孫也」というお札が貼ってある。その意味は…「将来」なんて文字があるので将来のことかと思えば、まったく違う意味。



ちょっと残酷な話だけれど、ある時、スサノオノミコトが旅の途中に宿を頼んだ。すると蘇民将来と巨将来の兄弟のうち、貧乏な方の蘇民将来が引き受けてくれた。数年して同じ土地を通りかかったミコトは、蘇民将来の家族に茅の輪をつけさせて判別できるようにして、茅の輪をつけていない巨将来の家族を皆殺しにしてしまった。そして、「後の世で厄災にあったときには、茅の輪を腰につけて蘇民将来の子孫也と唱えるようにしなさい。そうすれば厄災を免れるだろう」と約束したということからきているということ。こうしてみると神社の茅の輪くぐりやちまきのお札も「生臭い」というか「残酷」というか、神聖なイメージとはほど遠いかもしれない、という京の街のお話…今京都。 ※2枚め以降の写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景で本文とは関係ないのであしからず。


 

このエントリーの情報

今京都 白日夢 2009/04/07 12:00 am

くじつむ…真昼間に見る夢。そこから、非現実的な空想や幻想のこと。
◇ちょっと予備知識 → 「白日」は真昼、日中。
                類義語に白昼夢(はくちゅうむ)・夢想(むそう)がある。

候がようよう平年並みとなってきた。早いところでは、桜の花が風に舞っているところもある。この季節、入学式や始業式で街には新しい制服や鞄をもった新1年生を見かける。また、新しいスーツに身を包んだ社会人1年生も見かける。初々しい姿を見ると、こちらまで気持ちが洗われる。疲れた身体や気分を少し元気にしてくれる光景に感謝!

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

土居  (旧フォトヴィレッジ 2006年10月19日掲載)
御土居(おどい)は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防として、1591(天正19)年に多くの経費と労力を費やして築いた土塁。台形の土塁と堀(堀の一部は川、池、沼を利用)からなり、その延長は22.5kmに及ぶ。



東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、南は九条あたりにそって築かれた。土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所には七口(長坂口、鞍馬口、大原口、粟田口、伏見口、鳥羽口、丹波口)を設け、洛外との出入口とした。



江戸時代になると天下泰平の世が続き、外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在となる。また市街地が洛外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたものなどを除いて次々と取り壊され、北辺を中心に僅かに名残をとどめるのみとなった。



1930(昭和5)年、市内に残る御土居のうち8箇所が、京都の沿革を知るうえに、また、広く我が国における都市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定され、1965(昭和40)年にさらに1箇所(北野天満宮境内)が追加され、現在9箇所が指定地となっている。これら指定地以外では、北区の大宮交通公園内や中京区の北野中学校内でも、部分的に御土居が残っている、という京の街のお話…今京都。 ※写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景で本文とは関係ないのであしからず。


 

このエントリーの情報

今京都 野放図 2009/04/05 12:00 am

ほうず…横柄なこと。勝手気ままなこと。際限がないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「野放途」とも書く。
                類義語に傍若無人(ぼうじゃくぶじん)・無軌道(むきどう)・放恣(ほうし)・
                放逸(ほういつ)・縦(ほしいまま)がある。

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。




(カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4)


蔵物語(251)




 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

« 1 2 (3) 4 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop