rrbのブログ - 2008/05/29のエントリ
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今京都 捲土重来 2008/05/29 12:04 am
けんどちょうらい…一度失敗した者が、再び勢力を盛り返して立ち向かってくること。
◇ちょっと予備知識 → 「捲土」は土を巻き上げるの意で、勢いが激しいこと。「巻土」とも書く。
「重来」は「じゅうらい」とも読む。
類義語に七転八起(しちてんはっき)がある。
対義語は一蹶不振(いっけつふしん)。
常照皇寺(納豆発祥伝説) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)

さて、その理由だが、実はこの常照皇寺には「納豆発祥の伝説」があるという。納豆発祥の伝説は日本各地にあり、この地域にも伝わる。

納豆を最初に口にした勇気ある人は誰か。舞台は、南北朝時代の政争に敗れて出家した光厳法皇が開山したこの常照皇寺にあるというから驚きだ。

地域や文献に伝わる話によると、厳しい修行をする光厳法皇を見た村人が、歳末に炊く「みそ豆」を藁を束ねて袋状にした「つと」に入れて献上した。

光厳法皇は煮豆を少しずつ食べ、しばらくすると豆に糸が引くようになった。村人からもらった豆を粗末にできないと、塩をかけて食べたところ、味がよくなった。そこで村人に振る舞い、広まったという。

なぜこの京北で納豆が生まれたのかと疑問に思うが、納豆を寝かせる時期の冬の気温が適していることと、丸太や農作物を送り込むなど都との関係が深く、当時は貴重だった大豆が手に入ったことなどが理由ではないかと推測される。

この地域には他にも、納豆にちなむ物や風習が残るという。同寺にある光厳法皇の生涯が描かれた絵巻には、藁にくるまれた納豆の絵が描かれているとも聞く。

さらに、この地域には歌詞の中に納豆が登場する子守歌も伝わっており、特に知られるのが、正月三が日に餅でくるんで食べる「納豆もち」だという。昔の「納豆もち」は抱えるほどの大きさで、いろりであぶったり、お湯で温めたりして少しずつ食べたそうだ。

「納豆もち」は旧日吉町や旧美山町のほか、京都市左京区の花背や大原などでも食べられ、作り方や味付けがそれぞれ異なるという。

例えば旧美山町のある地域では、もちを焼いて塩を加え、練った納豆をくるむ。花背は「白もち」や「とちもち」「よもぎもち」を練り合わせ、納豆は黒砂糖をまぶすという。

だが今は、どの地域でもほとんど食べられていないというから寂しい思いがする。「納豆もち」は地域の特徴を表す文化、ぜひ地域で食べ続けて欲しいと願う…今京都。


◇ちょっと予備知識 → 「捲土」は土を巻き上げるの意で、勢いが激しいこと。「巻土」とも書く。
「重来」は「じゅうらい」とも読む。
類義語に七転八起(しちてんはっき)がある。
対義語は一蹶不振(いっけつふしん)。
常照皇寺(納豆発祥伝説) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)

さて、その理由だが、実はこの常照皇寺には「納豆発祥の伝説」があるという。納豆発祥の伝説は日本各地にあり、この地域にも伝わる。

納豆を最初に口にした勇気ある人は誰か。舞台は、南北朝時代の政争に敗れて出家した光厳法皇が開山したこの常照皇寺にあるというから驚きだ。

地域や文献に伝わる話によると、厳しい修行をする光厳法皇を見た村人が、歳末に炊く「みそ豆」を藁を束ねて袋状にした「つと」に入れて献上した。

光厳法皇は煮豆を少しずつ食べ、しばらくすると豆に糸が引くようになった。村人からもらった豆を粗末にできないと、塩をかけて食べたところ、味がよくなった。そこで村人に振る舞い、広まったという。

なぜこの京北で納豆が生まれたのかと疑問に思うが、納豆を寝かせる時期の冬の気温が適していることと、丸太や農作物を送り込むなど都との関係が深く、当時は貴重だった大豆が手に入ったことなどが理由ではないかと推測される。

この地域には他にも、納豆にちなむ物や風習が残るという。同寺にある光厳法皇の生涯が描かれた絵巻には、藁にくるまれた納豆の絵が描かれているとも聞く。

さらに、この地域には歌詞の中に納豆が登場する子守歌も伝わっており、特に知られるのが、正月三が日に餅でくるんで食べる「納豆もち」だという。昔の「納豆もち」は抱えるほどの大きさで、いろりであぶったり、お湯で温めたりして少しずつ食べたそうだ。

「納豆もち」は旧日吉町や旧美山町のほか、京都市左京区の花背や大原などでも食べられ、作り方や味付けがそれぞれ異なるという。

例えば旧美山町のある地域では、もちを焼いて塩を加え、練った納豆をくるむ。花背は「白もち」や「とちもち」「よもぎもち」を練り合わせ、納豆は黒砂糖をまぶすという。

だが今は、どの地域でもほとんど食べられていないというから寂しい思いがする。「納豆もち」は地域の特徴を表す文化、ぜひ地域で食べ続けて欲しいと願う…今京都。



