rrbのブログ - おやかまっさんのエントリ
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ことの不思議2011/09/08 12:00 am
「こと」の不思議
日本語は面白いものだ。前回の た に続く第2弾。「私のこと」「あなたのこと」の「こと」の話。

カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「私のことをどう思う?」などとつく「こと」。何故「私をどう思う?」ではないのかということだ。明治・大正・昭和の作家たちの使用を調べると、「私のこと」は、
(1)他人が自分を低く扱ったときの表現が大部分だということ
(2)明治→大正→昭和と使用例が減っていくこと
「あなたのこと」は、
(1)相手をいくらか高く扱う言葉であるということ
(2)「私のこと」と同様に明治→大正→昭和と使用例が減っていくこと
ということがわかるという。
さらに、「私を」と「私のことを」とには違いがあり、「私のことを」は自分を低く扱うばかりだったが、「私を」にはプラスの評価、中立の例が随分とあるという。逆に「あなたのことを」にはマイナスの評価の例はなく、「あなたを」にはマイナスの例があるという。

カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
ちょっと話は変わるが、退職願などに書く、「私儀、今般一身上の都合により・・・・・・」の「私議」であるが、これは、「私事、今般一身上の都合により・・・・・・」とも書いて、威儀を正して相手に向かう気持ちを表した。また、「貴方儀」という例もあり、これは相手を正式な相手と認めて呼ぶ言い方であった。「貴方儀」は「貴方事」とも書かれた。
つまり、「私こと」はもともと「私儀」と同じ意味を表わし得て、「私こと」は姿勢を正して相手に向かっていることを示し、自ら自分を低く扱う表現。「おなたこと」は「貴方儀」と同じ意味を表わし得て、「あなたこと」は相手を高めている表現。この「私こと」が「私のこと」に転じ、「あなたこと」が「あなたのこと」に転じているようだ。同じ「こと」でも、「私」につく場合と「あなた」につく場合では意味が異なる。

カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「私事、今般一身上の都合により・・・・・・」という寿退社を夢見るが、現実は有り得ず儚い夢のまた夢、さらに夢というところか。それにしても「儚い」とは「人(ニンベン)」の「夢」とはうまく書き表したものだ、とわが身を振り返りつくづく思う。「こと」の不思議、というより日本語の不思議というところか…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。

日本語は面白いものだ。前回の た に続く第2弾。「私のこと」「あなたのこと」の「こと」の話。

カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「私のことをどう思う?」などとつく「こと」。何故「私をどう思う?」ではないのかということだ。明治・大正・昭和の作家たちの使用を調べると、「私のこと」は、
(1)他人が自分を低く扱ったときの表現が大部分だということ
(2)明治→大正→昭和と使用例が減っていくこと
「あなたのこと」は、
(1)相手をいくらか高く扱う言葉であるということ
(2)「私のこと」と同様に明治→大正→昭和と使用例が減っていくこと
ということがわかるという。
さらに、「私を」と「私のことを」とには違いがあり、「私のことを」は自分を低く扱うばかりだったが、「私を」にはプラスの評価、中立の例が随分とあるという。逆に「あなたのことを」にはマイナスの評価の例はなく、「あなたを」にはマイナスの例があるという。

カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
ちょっと話は変わるが、退職願などに書く、「私儀、今般一身上の都合により・・・・・・」の「私議」であるが、これは、「私事、今般一身上の都合により・・・・・・」とも書いて、威儀を正して相手に向かう気持ちを表した。また、「貴方儀」という例もあり、これは相手を正式な相手と認めて呼ぶ言い方であった。「貴方儀」は「貴方事」とも書かれた。
つまり、「私こと」はもともと「私儀」と同じ意味を表わし得て、「私こと」は姿勢を正して相手に向かっていることを示し、自ら自分を低く扱う表現。「おなたこと」は「貴方儀」と同じ意味を表わし得て、「あなたこと」は相手を高めている表現。この「私こと」が「私のこと」に転じ、「あなたこと」が「あなたのこと」に転じているようだ。同じ「こと」でも、「私」につく場合と「あなた」につく場合では意味が異なる。

カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「私事、今般一身上の都合により・・・・・・」という寿退社を夢見るが、現実は有り得ず儚い夢のまた夢、さらに夢というところか。それにしても「儚い」とは「人(ニンベン)」の「夢」とはうまく書き表したものだ、とわが身を振り返りつくづく思う。「こと」の不思議、というより日本語の不思議というところか…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


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