rrbのブログ - 今京都のエントリ
ヘッダーナビゲーション
むしくしする2009/10/24 12:00 am
むしくしする
「おなか(腹)がムシクシスル」は腹がちくちく痛むのをいう。「あいつのすることを見ているとムシクシスルわ」のムシクシは、腹が立って耐えられない、むしゃくしゃすること。ムシは「腹の虫」、クシは「苦しい」ことである。今の若者のキレル状態である。「思わせぶる」ことをムシオコシという。「こんなムシオコシやったら、ないのと同じこっちゃ」のムシも腹の虫で、食欲、さらに欲を起こさせること。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
つかずの鐘/報恩寺 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月3日掲載)
織屋の町、西陣の一角に浄土宗の報恩寺がある。境内の一角にある鐘は、高さ120cm、直径81cm、重さ1.5トン。平安時代に作られた。江戸時代の大火の中でも残り、重要文化財に指定されている。昔、つらい奉公や夜なべの仕事に励んだ織女(おへこ)たちは、報恩寺の朝夕の鐘で、仕事の始めや終わりの時間を知ったという。今は、除夜以外は突かれることのない「つかずの鐘」から、悲しい音色と逸話が響いてくる。

話は江戸時代にさかのぼる。寺の近くに古い織屋があった。店には15歳の丁稚(でっち)と13歳の織女が働いていた。この2人は何故か仲が悪く、顔を合わすと喧嘩ばかりでお互いにいがみ合っていたという。ある時、2人は報恩寺の夕方の鐘の数をめぐって口論になる。織女は「9つ」、丁稚は「8つ」と主張。そして「間違った方が何でもする」と約束した。

そのいがみ合いが事件を引き起こす。年上で悪知恵のはたらく丁稚がこっそり店を抜けて寺男に問うと、正解は織女の「9つ」。そこで丁稚は「今日だけは数を8つにして欲しい」と頼み、事情を知らない寺男は気軽に引き受けてしまう。その日の夕方、鐘の数を数えていたところ、9つめが鳴らない。丁稚から、さんざん悪口を浴びせられた織女は悔しさのあまり、鐘楼に帯をかけ首を吊ってしまう。その後、恨めしげな表情の織女の霊が現れるようになり、寺も鐘を突くのをやめてしまい、代々「つかずの鐘」として伝わってきたという。

話はさらに続く。近年、織女と丁稚の話を再現ドラマにとテレビ番組で撮影を頼まれ特別に鐘を突くのを許したことがある。しかし、織女役の女優が鐘楼の梁にぶら下がろうとしたところ、ささくれた木が手に刺さったというエピソードもあるという。

今では大みそかだけ法要の後に108の鐘が突かれる。ボーン、ボーンと美しい余韻をひいて鐘が鳴る。織女の嘆きのようにも聞こえる繊細な音色が風に乗り、今も街に流れる手機の音と重なる。平成の今、家族の間でも悲しい事件や争いごとが絶えず人同士の対話がない。言い伝えは、煩悩をなくし、みんな仲良く暮らせという戒めなのだろうか…今京都。

「おなか(腹)がムシクシスル」は腹がちくちく痛むのをいう。「あいつのすることを見ているとムシクシスルわ」のムシクシは、腹が立って耐えられない、むしゃくしゃすること。ムシは「腹の虫」、クシは「苦しい」ことである。今の若者のキレル状態である。「思わせぶる」ことをムシオコシという。「こんなムシオコシやったら、ないのと同じこっちゃ」のムシも腹の虫で、食欲、さらに欲を起こさせること。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
つかずの鐘/報恩寺 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月3日掲載)
織屋の町、西陣の一角に浄土宗の報恩寺がある。境内の一角にある鐘は、高さ120cm、直径81cm、重さ1.5トン。平安時代に作られた。江戸時代の大火の中でも残り、重要文化財に指定されている。昔、つらい奉公や夜なべの仕事に励んだ織女(おへこ)たちは、報恩寺の朝夕の鐘で、仕事の始めや終わりの時間を知ったという。今は、除夜以外は突かれることのない「つかずの鐘」から、悲しい音色と逸話が響いてくる。

話は江戸時代にさかのぼる。寺の近くに古い織屋があった。店には15歳の丁稚(でっち)と13歳の織女が働いていた。この2人は何故か仲が悪く、顔を合わすと喧嘩ばかりでお互いにいがみ合っていたという。ある時、2人は報恩寺の夕方の鐘の数をめぐって口論になる。織女は「9つ」、丁稚は「8つ」と主張。そして「間違った方が何でもする」と約束した。

そのいがみ合いが事件を引き起こす。年上で悪知恵のはたらく丁稚がこっそり店を抜けて寺男に問うと、正解は織女の「9つ」。そこで丁稚は「今日だけは数を8つにして欲しい」と頼み、事情を知らない寺男は気軽に引き受けてしまう。その日の夕方、鐘の数を数えていたところ、9つめが鳴らない。丁稚から、さんざん悪口を浴びせられた織女は悔しさのあまり、鐘楼に帯をかけ首を吊ってしまう。その後、恨めしげな表情の織女の霊が現れるようになり、寺も鐘を突くのをやめてしまい、代々「つかずの鐘」として伝わってきたという。

話はさらに続く。近年、織女と丁稚の話を再現ドラマにとテレビ番組で撮影を頼まれ特別に鐘を突くのを許したことがある。しかし、織女役の女優が鐘楼の梁にぶら下がろうとしたところ、ささくれた木が手に刺さったというエピソードもあるという。

今では大みそかだけ法要の後に108の鐘が突かれる。ボーン、ボーンと美しい余韻をひいて鐘が鳴る。織女の嘆きのようにも聞こえる繊細な音色が風に乗り、今も街に流れる手機の音と重なる。平成の今、家族の間でも悲しい事件や争いごとが絶えず人同士の対話がない。言い伝えは、煩悩をなくし、みんな仲良く暮らせという戒めなのだろうか…今京都。


このエントリーの情報
トラックバックping送信用URLを取得する
このエントリは以下のURLにトラックバックしています。
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/538/p1l5ji5ihnsm 2009-10-24/00:20:57
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/68842/p1l5ji5ihnsm 2009-10-24/00:20:57
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/9829/p1l5ji5ihnsm 2009-10-24/00:20:57
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/48940/p1l5ji5ihnsm 2009-10-24/00:20:57
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/540/p1l5ji5ihnsm 2009-10-24/00:20:57
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/539/p1l5ji5ihnsm 2009-10-24/00:20:57
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/70367/p1l5ji5ihnsm 2009-10-24/00:20:56
- http://photo.blogmura.com/rpc/trackback/68969/p1l5ji5ihnsm 2009-10-24/00:18:04