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けんずい2009/10/05 12:00 am

んずい
間食。呉音で読むと、ケンズイとなる。昔、朝夕二食のころ、今の昼食に当たる中間の食事をケンズイといった。三食の時代になって、昼食と夕食の間に食べる軽食をケンズイと呼ぶようになった。地域でケンズイの意味はさまざま。棟上げの日に出る酒や食物をいったり、新築の家に贈る米や酒をいうところもある。大工職人に出す昼食と夕食の間のケンズイもある。間水・間炊・硯水と書くのは当て字。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

を仰いで思うこと



月のお話。月見(つきみ)とは、満月など月を眺めて楽しむことで、観月(かんげつ)ともいう。月見(お月見)とは、旧暦の8月15日と9月13日に月を鑑賞すること。前者の夜を「十五夜」、後者の夜を「十三夜」と呼び、十五夜の月は、サトイモなどを供えることが多いため「芋名月」とも呼ばれる。一方、十三夜の月は、栗や豆を供えることが多いため「栗名月」又は「豆名月」とも呼ばれる。どちらか一方の月見だけをすることは、「片見月」として嫌われたというから驚きである。十五夜の月を鑑賞する習慣は中国から伝わったというが、十三夜の月見は日本独特の風習であり、平安時代に貴族たちが集まって、月を見て詩歌を詠んだのが始まりといわれる。十五夜の月は「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」とも呼ばれる。繰り返しになるが、十五夜は、中国が始まりとされる。中国では中秋節として盛大に祝い月餅を作ってお供えする。この月餅が日本に伝わって、月見団子に変ったとか。十三夜は、日本独自の風習があり、ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月または栗名月という。江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」と言って遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行うために、十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった、ということだ。



さて、その月だが、国によっても扱いが違う。中国・日本では、月を愛でるという習慣が古くからあり、日本では縄文時代ごろからあるといわれ、平安時代ごろから中国から月見の祭事が伝わると貴族などの間で観月の宴や舟遊び(直接月を見るのではなく船などにのったりして水面に揺れる月を楽しむ)など歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。しかし、ヨーロッパでは満月は人の心をかき乱し、狂わせるものであるといわれ、月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て変身するというのは、その典型的な例。とても月を眺めて楽しむという気分にはなれなかったようだ。日本では『竹取物語』に、月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があるため、中国から観月の風習が入るまでは月に対する考えがヨーロッパと似ていたのではないかといわれている。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。また、俳諧では葉月十四日、十六日のことを特に「待宵(まつよい)」「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でるが、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低いというから、見ることができないかも知れない。その他に、月を愛でる証として、十五夜以後、月の出はしだいに遅くなり、十六夜(いざよい)の月は山の端にいざよい、十七夜(立待月)は立ち待つほどに出、十八夜(居待月(いまちづき))は座し居て待ち、十九夜(臥待月(ふしまちづき))は臥して待ち、二十日(更待月(ふけすまちづき))には夜半近くと遅くなる、という呼称があるところからも伺える。いずれにしても、月は太陽と同じように地球にとっては大切な存在。住んでいる地域や国が違っても、みんな「おなじ月をみている」のは確かだ…と、天を仰いで思うこと。

なじ月をみている
ステキな企画(←クリック)に参画。10月2日から出張。出張先の天気が良くないとの情報だったのでカメラは持って行かなかった。ところが、晴れ。あいにく携帯電話のデタルカメラモードでしか撮れなかった。


(10月2日の月。飛行機の中から)


(10月3日の月。出張先にて)

こういうことがあるから、やはりカメラはいつも持っていかないとダメね。大いに反省。そうそう、企画された方の「おなじ月をみている」はここ(←クリック)。


 

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