rrbのブログ - 2009/08/22のエントリ
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きずない2009/08/22 12:00 am
きずない
「えらい気(きー)使うてもろて、キズツナイことどす」「いつもええもんいただくばっかりで、キズツノーおす」 すまないの意。ズツナシは、なすべき方法がない、困った、苦しい、せつないの意。「気がズツナイ」とも。ズツナイのズツはツクと同系。ツクは人間の背骨で、直立するもの。人間の気力、勇気など男らしい好ましさをズクといった。ズクナシは気持ちが苦しいことで、ズクナイからズツナイとなった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
すずめのお宿 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月29日掲載)
伏見稲荷大社)の近くのお店では、スズメのくし焼きが名物として売られている。スズメさんを被写体テーマにしているのでちょっとショッキング。当然、買って食べることはできない。

ところが、意外なことをお店の方に聞いた。この地域に、かつて「すずめのお宿」と呼ばれた家があったという。「すずめのお宿」といわれた家は、伏見稲荷大社前から伏見街道を約500m南へ行った辺りにあったらしい。早速、出向いてみる。

地元には「小学生の頃、先生から学校の近くにスズメが集まる家があると教わった」という方もいるとか。1933(昭和8)年に地元住民がまとめた「深草誌」には深草名所の一つとして「すずめのお宿」の短い説明があるという。

その説明には、「今より200年前程以前より多くの雀が座敷と云(い)わず臺(だい)所迄、巣を造り喧(やかま)しく囀(さえず)る様は全く童話の世界その侭(まま)であり、深草の名に負ふ名所と云はねばならぬ」とあり、それに続く七つの句が当時の様子を伝えているという。

その句の一つは、「ふくべ吊(つ)る亭主に馴染(なじ)む雀哉」。「ふくべ」とはヒョウタンのことで、昔話の「舌切りすずめ」のように心優しい主を慕いスズメが集う様子が目に浮かぶ。スズメのひなをヘビから守るため、穴を開けたヒョウタンを針金でつるしていたらスズメが集まった。ヒョウタンの数は何百とあり、軒先にずらーっと吊るされていたという。

しかし、スズメが来ていたのは戦前までで、食糧難で餌もなくなって、来なくなったという。さらに元禄時代に建てられた「お宿」は約30年前に建て替えられ今はない。心和む話は地域の記憶からも消えかけており、最近は地元の人々の会話にも出てこないという。現地もご覧のとおり「すずめのお宿」の「す」の字も出てきそうに無い。歴史都市京都が時の流れで風化していく姿をここでも見ることになったような気がする。緩やかな時間の流れを表すかのように、近くを疎水が優しく流れているのが印象的だった…今京都。

「えらい気(きー)使うてもろて、キズツナイことどす」「いつもええもんいただくばっかりで、キズツノーおす」 すまないの意。ズツナシは、なすべき方法がない、困った、苦しい、せつないの意。「気がズツナイ」とも。ズツナイのズツはツクと同系。ツクは人間の背骨で、直立するもの。人間の気力、勇気など男らしい好ましさをズクといった。ズクナシは気持ちが苦しいことで、ズクナイからズツナイとなった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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すずめのお宿 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月29日掲載)
伏見稲荷大社)の近くのお店では、スズメのくし焼きが名物として売られている。スズメさんを被写体テーマにしているのでちょっとショッキング。当然、買って食べることはできない。

ところが、意外なことをお店の方に聞いた。この地域に、かつて「すずめのお宿」と呼ばれた家があったという。「すずめのお宿」といわれた家は、伏見稲荷大社前から伏見街道を約500m南へ行った辺りにあったらしい。早速、出向いてみる。

地元には「小学生の頃、先生から学校の近くにスズメが集まる家があると教わった」という方もいるとか。1933(昭和8)年に地元住民がまとめた「深草誌」には深草名所の一つとして「すずめのお宿」の短い説明があるという。

その説明には、「今より200年前程以前より多くの雀が座敷と云(い)わず臺(だい)所迄、巣を造り喧(やかま)しく囀(さえず)る様は全く童話の世界その侭(まま)であり、深草の名に負ふ名所と云はねばならぬ」とあり、それに続く七つの句が当時の様子を伝えているという。

その句の一つは、「ふくべ吊(つ)る亭主に馴染(なじ)む雀哉」。「ふくべ」とはヒョウタンのことで、昔話の「舌切りすずめ」のように心優しい主を慕いスズメが集う様子が目に浮かぶ。スズメのひなをヘビから守るため、穴を開けたヒョウタンを針金でつるしていたらスズメが集まった。ヒョウタンの数は何百とあり、軒先にずらーっと吊るされていたという。

しかし、スズメが来ていたのは戦前までで、食糧難で餌もなくなって、来なくなったという。さらに元禄時代に建てられた「お宿」は約30年前に建て替えられ今はない。心和む話は地域の記憶からも消えかけており、最近は地元の人々の会話にも出てこないという。現地もご覧のとおり「すずめのお宿」の「す」の字も出てきそうに無い。歴史都市京都が時の流れで風化していく姿をここでも見ることになったような気がする。緩やかな時間の流れを表すかのように、近くを疎水が優しく流れているのが印象的だった…今京都。


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