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rrbのブログ - 2009/05のエントリ

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あいのもん2009/05/23 12:00 am

いのもん
間食。「ごはん食べんと、アイノモンばっかり欲しがる」。間食、おやつをナンドともいう。子どもはよく「ナンドええもんおくれ」とねだった。ナンゾともいう。午前10時、午後3時頃に相楽郡上狛の農家などでも間食の意味で用い、「寒うなったさかい、ナンド引っかけときや」などといった。おやつは午後の間食。八つどき(午後3時)に食べることから。ナンドより上品な感じもする。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月11日掲載)
「京都が空襲を免れたのは米軍による文化財保護のため」との説は間違いであった」というのは空襲に掲載したとおり。さらに調べていくと、「原爆投下の第一目標は、広島でも長崎でもなく、京都だった」ということが浮かんできた。



「三方を山に囲まれた盆地である京都は、原爆の爆風が最大の効果を発揮しうる地形、加えて人口100万都市、宗教的意義をもつ重要都市でもある」と理想的な条件を備える原爆投下目標都市として、通常爆撃を温存していた可能性が高いという。(空襲が合計6回と他の地域に比べて少ないのはそういうことだったのか。) このことはアメリカの公文書として公表された原爆関係極秘文書の中から、上空からの目標にしやすい旧国鉄・梅小路機関区(現在の梅小路蒸気機関車館)を照準点として、直径3マイル(4.8km)の円が描かれた地図が発見されているということによる。



梅小路機関区は東海道線と山陰線の合流地点を利用した広大な車庫。9000m上空から識別するには絶好のポイントというわけだ。もしも梅小路機関区に原爆が投下されていたら、京都盆地は南西と南に開いているので、そこから新鮮な空気が補給され、火の手は爆心地から北東および北の方向、つまり市の中心地から洛東、洛北まで全域をなめつくしたろうといわれる。京都では1944(昭和19)年から五条通、御池通、紫明通など各地で建物疎開が始まっていた。馬町が初空襲に遭うと被害が洛中に迫ったとして、祇園白川沿いをはじめ建物の撤去はさらに広がった。こうして長らく住み慣れた家々を多くの人が手放したわけだが、東京・大阪・名古屋がいちめん焼け野原になるにつけ、有無を言わせない切迫感があったに違いない。しかし、このころに人類史上最初の原爆投下のために、海の向こうでは京都の地図が広げられていたことになる。



どういう経緯で京都に原爆が落とされなかったのかはわからない。しかし、京都に原爆が落とされなかったことを「よかった」などと言うつもりは全くない。広島でも長崎でも、それ以外の地域でもよくない。原爆、いや、戦争はあってはならないこと。体験や記憶が風化してしまったとき、また「戦争」を繰り返してしまう可能性がある、おろかな生命体、それが人間だとしっかりと認識しておきたい。そして、いったん戦争が始まると、どんな歴史都市も世界遺産も戦争の前では虚しいということもしっかりと意識に留めておくべきだと思う。さまざまな偶然が重なって、奇跡的にも焼け残った都市、それが京都というべきかも知れない、という京の街のお話…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。


 

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