rrbのブログ - 2008/11/06のエントリ
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一殺多少2008/11/06 12:00 am
いっせつたしょう…多くの人を生かすためには、一人を殺すのもしかたがないということ。大利のためには、小害を為すこともやむを得ないということ。
◇ちょっと予備知識 → 「一殺」は「いっさつ」とも読む。「一殺多生の理(ことわり)に任せる」などと使う。
お札
京都では、いたるところにお札が貼ってある。お札によるご利益や災難除けの意味があるのはもちろんだが、ちょっと意味合いの違う理由もある。

台所はもちろんのこと、仕事場や機械や道具にも一枚のお札を貼ることによって、その場所を、そのものを神聖化し、決して粗末に扱わないようにしている。お札の使いみちとして、これほどすばらしいアイデアはないと思うし、これもまた京都の暮らしの知恵かもしれないと思う。

お札は機械類を扱われる仕事場で特に多く見ることができる。織物の機械はもちろんのこと、現代的な機械にもお札が貼ってある。刀の鍛冶屋さんの仕事場をイメージしたらわかると思うが、日本刀がそうであるように、織物でもそれ以外でも、そこで作り出されるものはただの製品ではなく、制作者の魂が、心が込められた特別な品物なのだ。

祇園祭の縁起もののちまきに添えられているお札をご覧になったことがあるだろうか? そのお札には「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と記されている。

昔、インドに牛の頭のように角のはえた王様がいた。名を牛頭天皇(ごずてんのう)といい、大変恐ろしい方だった。ある年、お妃を探すために旅に出たが、ある日、巨旦将来(こんたんしょうらい)という男に出会う。この男は裕福なのに大変なけちんぼうで、もとなすどころかかえって王様を怒らしてしまう。
しかし、次の日、蘇民将来(そみんしょうらい)という男の家に一夜の宿を頼まれたところ、その男は大変貧しい生活をしていたが、真心を込めてもてなしをした。その姿に王様は大層感動され、そして、そのおかげでお妃をも見つけることができた。
やがて王様は再び蘇民将来の家に行かれ、「心のこもったもてなしができるということは、人間として最も大切なことである。以後は門口に蘇民将来と書いて吊るしておけば、子々孫々まで悪いことが起こらぬ」といって立ち去られた。

この物語がどうして京都に伝わったかは知らないが、祇園祭のこのお札を門口に吊るすということは、自分たちが悪疫や災難から逃れるということだけではなく、人々に対して最高のもてなしをしますとの気持ちの表れであると共に、その人に幸福が訪れるようにと祈っている。
京都はもてなす文化が非常に発達したところだといわれている。もしかすると、それは蘇民将来のお札が吊るされているからかもしれないという京都の文化のお話…今京都。


◇ちょっと予備知識 → 「一殺」は「いっさつ」とも読む。「一殺多生の理(ことわり)に任せる」などと使う。
お札
京都では、いたるところにお札が貼ってある。お札によるご利益や災難除けの意味があるのはもちろんだが、ちょっと意味合いの違う理由もある。

台所はもちろんのこと、仕事場や機械や道具にも一枚のお札を貼ることによって、その場所を、そのものを神聖化し、決して粗末に扱わないようにしている。お札の使いみちとして、これほどすばらしいアイデアはないと思うし、これもまた京都の暮らしの知恵かもしれないと思う。

お札は機械類を扱われる仕事場で特に多く見ることができる。織物の機械はもちろんのこと、現代的な機械にもお札が貼ってある。刀の鍛冶屋さんの仕事場をイメージしたらわかると思うが、日本刀がそうであるように、織物でもそれ以外でも、そこで作り出されるものはただの製品ではなく、制作者の魂が、心が込められた特別な品物なのだ。

祇園祭の縁起もののちまきに添えられているお札をご覧になったことがあるだろうか? そのお札には「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と記されている。

昔、インドに牛の頭のように角のはえた王様がいた。名を牛頭天皇(ごずてんのう)といい、大変恐ろしい方だった。ある年、お妃を探すために旅に出たが、ある日、巨旦将来(こんたんしょうらい)という男に出会う。この男は裕福なのに大変なけちんぼうで、もとなすどころかかえって王様を怒らしてしまう。
しかし、次の日、蘇民将来(そみんしょうらい)という男の家に一夜の宿を頼まれたところ、その男は大変貧しい生活をしていたが、真心を込めてもてなしをした。その姿に王様は大層感動され、そして、そのおかげでお妃をも見つけることができた。
やがて王様は再び蘇民将来の家に行かれ、「心のこもったもてなしができるということは、人間として最も大切なことである。以後は門口に蘇民将来と書いて吊るしておけば、子々孫々まで悪いことが起こらぬ」といって立ち去られた。

この物語がどうして京都に伝わったかは知らないが、祇園祭のこのお札を門口に吊るすということは、自分たちが悪疫や災難から逃れるということだけではなく、人々に対して最高のもてなしをしますとの気持ちの表れであると共に、その人に幸福が訪れるようにと祈っている。
京都はもてなす文化が非常に発達したところだといわれている。もしかすると、それは蘇民将来のお札が吊るされているからかもしれないという京都の文化のお話…今京都。




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