rrbのブログ - 2008/04/23のエントリ
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千軍万馬2008/04/23 12:06 am
せんぐんばんば…多数の兵士と兵馬。そこから多くの動乱を経てしたたかになった人。また、ある分野について経験が豊富なこと。
◇ちょっと予備知識 → 類義語に千兵万馬(せんぺいばんば)・海千山千(うみせんやません)・
百戦錬磨(ひゃくせんれんま)・飽経風霜(ほうけいふうそう)がある。
岩上神社

京都では、辻(つじ)ごとに歴史があり、物語がある。京都市上京区、西陣・大黒町の辻のそれは「岩神さん」。木造の社の中に、大人の背丈ほどある大きな石が鎮座している。脇にある駒札には、岩上神社(岩神祠(いわがみのほこら))とあり、以前に写真だけは掲載した。

言い伝えによると、もともとは中京区の二条堀川付近にあったという。徳川家康の二条城築城の際、社殿は岩上通六角に移された。ご神体の「岩神さん」は、大きすぎて引くことができず、そのまま残したとも、社殿とともに移したともいわれているが定かではない。

物語が始まるのは、その後。
「姿が良い」と後水尾天皇の女御中和門院の御所の庭に移したが、夜になると「帰りたい」とすすり泣きの声が聞こえた。
はたまた、内裏の築山に引こうとすると、ほえた。
子どもに姿を変えて町を歩いた。
など、さまざまな騒ぎを引き起こしたとされる。

真言宗の僧侶が現在の地に移し、寺の本尊として安置したところ怪異はおさまり、有乳院岩神寺と称し授乳の神として信仰を集めるようになったが、寺は西陣焼け(1730年)と天明の大火(1788)で類焼、明治維新の前後に廃寺となった。

明治時代、西陣の繁栄に支えられて、同じ場所に「岩神座」という芝居小屋が建った。すぐ東には「西陣の聖天さん」と親しまれる雨宝院。人の集まるにぎやかな一角だったと想像できる。

現在、土地は帯製造会社の所有。岩神さんと岩神座にちなんだ「岩神ホール」が建ち、ファッションショーや演劇などの舞台となっている。織り屋が軒を連ねる、落ち着いたたたずまいの大黒町。
以前の岩神さんは、工場などに囲まれていたため、わかりにくかったが、「このあたりの守り神さんなのでお参りしやすいほうがよい」と、少しずつ整備し昨年3月鳥居を新調したという。

周辺は石畳を敷いた落ち着いた町並み。おまけに「西陣なので、京都らしいものを」と北山杉の磨き丸太。美しい木肌が町並みともよく似合っている。「美しい町並みがあれば歩きたくなる。人通りがあることは安心につながる。岩神さんをシンボルに、人の集まる、町づくりを続けたい」という…今京都。
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◇ちょっと予備知識 → 類義語に千兵万馬(せんぺいばんば)・海千山千(うみせんやません)・
百戦錬磨(ひゃくせんれんま)・飽経風霜(ほうけいふうそう)がある。
岩上神社

京都では、辻(つじ)ごとに歴史があり、物語がある。京都市上京区、西陣・大黒町の辻のそれは「岩神さん」。木造の社の中に、大人の背丈ほどある大きな石が鎮座している。脇にある駒札には、岩上神社(岩神祠(いわがみのほこら))とあり、以前に写真だけは掲載した。

言い伝えによると、もともとは中京区の二条堀川付近にあったという。徳川家康の二条城築城の際、社殿は岩上通六角に移された。ご神体の「岩神さん」は、大きすぎて引くことができず、そのまま残したとも、社殿とともに移したともいわれているが定かではない。

物語が始まるのは、その後。
「姿が良い」と後水尾天皇の女御中和門院の御所の庭に移したが、夜になると「帰りたい」とすすり泣きの声が聞こえた。
はたまた、内裏の築山に引こうとすると、ほえた。
子どもに姿を変えて町を歩いた。
など、さまざまな騒ぎを引き起こしたとされる。

真言宗の僧侶が現在の地に移し、寺の本尊として安置したところ怪異はおさまり、有乳院岩神寺と称し授乳の神として信仰を集めるようになったが、寺は西陣焼け(1730年)と天明の大火(1788)で類焼、明治維新の前後に廃寺となった。

明治時代、西陣の繁栄に支えられて、同じ場所に「岩神座」という芝居小屋が建った。すぐ東には「西陣の聖天さん」と親しまれる雨宝院。人の集まるにぎやかな一角だったと想像できる。

現在、土地は帯製造会社の所有。岩神さんと岩神座にちなんだ「岩神ホール」が建ち、ファッションショーや演劇などの舞台となっている。織り屋が軒を連ねる、落ち着いたたたずまいの大黒町。
以前の岩神さんは、工場などに囲まれていたため、わかりにくかったが、「このあたりの守り神さんなのでお参りしやすいほうがよい」と、少しずつ整備し昨年3月鳥居を新調したという。

周辺は石畳を敷いた落ち着いた町並み。おまけに「西陣なので、京都らしいものを」と北山杉の磨き丸太。美しい木肌が町並みともよく似合っている。「美しい町並みがあれば歩きたくなる。人通りがあることは安心につながる。岩神さんをシンボルに、人の集まる、町づくりを続けたい」という…今京都。
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